原題:“葉問 Ip Man” / 監督:ウィルソン・イップ / 脚本:エドモンド・ウォン / アクション監督:サモ・ハン・キンポー / 製作:レイモンド・ウォン / 撮影監督:オー・シンプイ / 美術:ケネス・マク / 編集:チュン・カーファイ / 音楽:川井憲次 / 出演:ドニー・イェン、サイモン・ヤム、池内博之、リン・ホン、ゴードン・ラム、ルイス・ファン、渋谷天馬、シン・ユー / 配給:Face to Face×Libero / 映像ソフト発売元:日活
2008年香港作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:堤洋子
2011年2月19日日本公開
2011年6月2日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc(続篇とのセットのみ):amazon]
公式サイト : http://www.ip-man-movie.com/
DVD Videoにて初見(2012/07/07)
[粗筋]
1935年、中国の広東省、佛山。多くの武術家が集うこの街でも、特にその技倆を高く評価されているのが、詠春拳の達人イップ・マン(ドニー・イェン)である。新たに武館を開く者が手合わせを請いに訪ねるほどだが、当のイップは、妻ウィンシン(リン・ホン)が快い顔をしないため、家族の平安を優先して自ら武館は開かず、慕ってくる青年ラム(シン・ユー)らに個人的に手解きをするに留めていた。
そんな佛山に、北部からカム(ルイス・ファン)とその配下たちが道場破りにやって来た。多くの師範たちを蹴散らし、得意になっていたカムであったが、佛山で最強と謳われているのがイップであることを知ると、彼の邸宅に踏み込んできた。住民達のみならず、地元警察の署長リー・チウ(ゴードン・ラム)に請われ、更に妻にも「家のものは壊さないで」と婉曲に許しを与えられたイップはカムと拳を交え、カムの鼻っ柱をあっさりとへし折ってしまう。この痛快な出来事に佛山の住民達は感銘を受け、イップに弟子入りを望む者が一気に増えていった。
だが、それから間もなく盧溝橋事件が発生、政情は不安定になった。佛山も日本軍によって占領、かつては30万を誇った人口も、数万人に激減する。地元の名士であったイップの館は占領軍の司令部として徴発され、豊かだったイップ一家の生活は困窮した。
かつては働く必要さえなかったイップだが、やがて売り払うものもなくなると、遂に日雇いの仕事を求めるようになる。ようやくありついた石炭掘りの現場で久々に再会した、ラムや佛山の武術家も、彼と同様に生活に苦しんでいるのが窺える。そこへ突如、日本軍が現れた――
[感想]
どこかで聞いたようなプロットだ、と感じるのは当然のことで、本篇のタイトル・ロールであるイップ・マンは実在した武術家であり、かのブルース・リーの師として知られている。リーの代表作『ドラゴン 怒りの鉄拳』で描かれた出来事も、どうやら彼の師が体験した事実を土台にしているようで、恐らく香港のカンフー映画に対して多大な影響を与えた人物と言うことが出来るのだろう。
監督はそのイップ・マンの係累にあたるウィルソン・イップ、主演はブルース・リーを敬愛し21世紀のマーシャル・アーツ映画を牽引するドニー・イェン、そしてアクション監督を務めるのはブルース・リーとの共演も経験した重鎮サモ・ハン・キンポー……と、スタッフ自体がいわば香港カンフー映画によって育てられてきたメンバーが揃っている。およそオーソドックスなプロットと言い条、そうするだけの矜持があってのこと、と捉えるべきだろう。
そして実際に鑑賞してみれば、その完成度の高さ、充実ぶりは如実だ。似たようなプロットであるからこそ、『ドラゴン 怒りの鉄拳』と比較してみると、本篇の誠実さ、説得力は段違いに秀でている。和やかな序盤から、時局の変化によって逼迫していく人々。そんな彼らを権力によって牛耳る日本軍の暴虐に、いつしか怒りを募らせていくイップ・マンの姿の説得力は、日本人像の描写に安易さがつきまとった『ドラゴン 怒りの鉄拳』とは雲泥の差がある。本篇とて、日本人が悪逆非道に過ぎることに、日本人としては居心地の悪さがあるが、悪役として芯が通っているのでまだしも納得がいく。
タイトル・ロールであるイップ・マンは『ドラゴン 怒りの鉄拳』のような、短慮で喧嘩っ早い人物ではない。家族を気遣い、当初は表立って実力を誇示しない。しかし、圧倒的な実力は人を惹きつけずにおかず、挑戦を試みる他流派や、友人の工場を襲う悪党らの存在によって、否応なく表舞台に立たされる。どんな状況にあっても穏やかに振る舞い、他人を傷つけたり力で圧倒するために武術を用いることがない。派手ではないが、尊敬を集めるのも頷ける人物像を丹念に築きあげる。その忍耐の果てに、羅刹の如く拳を振るうからこそ、カタルシスは強烈だ。
現代のマーシャル・アーツ映画を牽引するドニー・イェンだが、意外なことに本篇でイップ・マンが操る詠春拳をきちんと学んだことはない、という。しかしこのプロジェクトが決定すると本格的に修練を始め、撮影時には詠春拳の指導者も太鼓判を捺すほどの腕を身につけたそうだ。優れた身体能力と、映画作りに対する情熱の為せる技だが、しかし本篇の場合、彼が積んできたキャリアも重要な意味を持っている。
ジェット・リーに続くぐらいのキャリアを持つ彼は、初期は身体能力こそ傑出しているが、表情に険があり、刺々しさが強かった。だが、ここ数年はその表情が柔らかになっている。本篇よりあとの作品であるが、『捜査官X』で見せた朴訥な笑顔は、かつてのドニーには表現出来なかったものだ。その変化は21世紀に入っての作品で少しずつあらわになっていたが、節目となっているのは間違いなく本篇だろう。鬼神の如き戦闘能力を秘めながらも、平素は争いを望まず淡々と、見ようによってはでくの坊のように振る舞う。そういう日常の表情、落ち着きが表現出来ているから、クライマックスでの、態度こそ冷静にも映るが、確かな怒りを滾らせた戦いぶりが際立つのだ。憎々しいまでの敵役を演じる池内博之は、アクション俳優としてはどうしてもドニーよりかなり見劣りしてしまうが、それでも最後の敵として印象を留めるのは、徹底した悪役ぶりで、ドニー演じるイップ・マンの怒りを引っ張り出したがゆえだ。
どこかで観たような話だから興味が湧かない、と切り捨てるのは、個人の感覚なので、それはそれで構わない。しかし、同じようなプロットであっても、物語に芯を通し、描写を研ぎ澄ませれば、新たな傑作として完成しうる。むしろ、有り体なプロットであるからこそ、本篇はこれまでの香港カンフー映画の系譜を正しく受け継ぎ、その成熟ぶりを証明した作品になった。それが、カンフー映画を世界的に普及させたブルース・リーの源流に位置する人物を題材としていたことには、間違いなく意味がある。カンフー映画を愛している、と言うなら、“絶対に”をつけてでも観逃して欲しくない、記念碑的名作である。
関連作品:
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝/アイアン・モンキー』
『捜査官X』
『SPIRIT』
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