原題:“Trouble with the Curve” / 監督:ロバート・ロレンツ / 脚本:ランディ・ブラウン / 製作:クリント・イーストウッド、ロバート・ロレンツ、ミシェル・ワイズラー / 製作総指揮:ティム・ムーア / 撮影監督:トム・スターン / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・J・ムラカミ / 編集:ゲイリー・ローチ、ジョエル・コックス / 音楽:マルコ・ベルトラミ / 出演:クリント・イーストウッド、エイミー・アダムス、ジャスティン・ティンバーレイク、ジョン・グッドマン、ロバート・パトリック、マシュー・リラード / マルパソ製作 / 配給:Warner Bros.
2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:菊地浩司
第25回東京国際映画祭公式クロージング作品
2012年11月23日日本公開
公式サイト : http://www.jinsei-tokutouseki.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2012/10/28)
[粗筋]
メジャーリーグのスカウトマンとして長年に亘って野球選手を見極め、その面倒を見てきたガス(クリント・イーストウッド)だが、いつしか球界は彼を生きる化石同然に扱いはじめていた。時代はスカウトもデータ重視となり、ガスが所属するチームでも、コンピューターのみを用い、選手のプレーを見ようともしないフィリップ(マシュー・リラード)のような男が持てはやされている。それでも愚直に己の目と直感を信じたスカウトを続けていたガスだったが、折しも各球団が注目のスラッガー、ボー・ジェントリー(ジョー・マッシンギル)獲得に躍起になるなか、ガス自身に問題が発生する――視野がぼけ始めたのだ。
ガスは己の異変を隠して、ボーのプレイを確かめるべく、彼の地元へと赴いたが、異変を察した同僚で友人のピーター(ジョン・グッドマン)は一計を講じた。若い頃に妻を喪ったガスにとって唯一の家族であるひとり娘・ミッキー(エイミー・アダムス)に、付き添いを頼んだのである。
ミッキーは最初、この頼みを拒んだ。現在、若手の弁護士として活躍しているミッキーは、所属する弁護士事務所の共同経営者に昇格する一歩手前まで迫っており、決定打となるはずの重要な裁判での勝利に向けて準備に余念がない。ましてミッキーは、幼い頃こそ父のスカウトの旅に同行していたが、ある時期を境に半ば捨てられるように親類に預けられた経緯があり、未だにそのことを引きずっていた。
しかし、様子を見に出かけたときの、自分の状態にあまりに無頓着な父の振る舞いは、ひとり娘としてさすがに看過できない。ミッキーは思案の挙句に、仕事を抱えたまま、父のあとを追って旅に出るのだった……
[感想]
近年こそ、重厚で深遠なテーマを扱うことの増えたクリント・イーストウッド監督だが、年代順に辿っていくと、一時期は人情ものと呼べそうな作品ばかり撮っていた。たとえば『ダーティファイター』は題名だけならアクションものだが、内容は風変わりな相棒とともに旅をする喧嘩屋のコメディで、さながらアメリカ版寅さん、という趣だったし、『ブロンコ・ビリー』は旅芸人を軸とした、まさに人情もの、としか呼びようのない話だった。
本篇はイーストウッド自らの監督作ではないが、代わりにメガフォンを取ったロバート・ロレンツは長年にわたって製作や第二班監督としてイーストウッドをサポート、まぢかでその演出スタイルに接してきた、いわば愛弟子のような人物である。それ故にか、本篇はまるで前述した人情ものの路線を蘇らせたかのような味わいになっている。
しかし、その手管は熟練し、洗練されている。ガスとミッキー、それぞれの性格や仕事ぶりが素直に伝わる序盤から、合流してからの生活感にあふれるやり取り。そんななかで終盤のドラマに繋がる描写を細かにちりばめていく。決して奇を衒ったり、ひねくれた用い方をしていないので、ある程度フィクションに慣れていると概ね手筋は読めてしまうが、それが物語全体にある快い安心感にも繋がっているあたり、狙っているのだとしたらそつがない。
この作品はまた、観終わっても全体のなかで位置づけが不明瞭な会話が妙に印象的なのが特徴だ。スカウトマンたちが何故か俳優談義をし、「アイスキューブがオスカーを獲れないのは変だ」と熱弁していたりするかと思うと、ガスは眼の不調とは関係なく、部屋中を煙だらけにしてハンバーグを焼いて娘を辟易させたりする。笑いを取る、というより、彼らの飾らない姿をそっと織りこむことで、より人情を感じさせているようだ。
そうして描き出される人物像が、実に堂に入っている。ガスを終始気遣う同僚のピーターや、データのみを信用して、ガスの古い手法を嘲笑うフィリップ、かつてガスに見出されプロ入りしながら挫折し、新しい道を模索するジョニー(ジャスティン・ティンバーレイク)。ほぼガスと並ぶもうひとりの主人公として活躍する娘ミッキーの、過去の出来事とも絡む奥行きのある振る舞いは、物語の結構においても、そこに付与されるユーモアという意味でもよく効いている。
だが何と言っても秀逸なのは、クリント・イーストウッドだ。それまでの役柄の集大成ともいえる『グラン・トリノ』で俳優業から退くことを仄めかすような発言をし、実際にそれ以降は監督業に専念していた彼が今回復帰したのは、愛弟子の門出に華を添える、という意味合いもあったように思えるが、さすがにそれだけで終わっていない。ガスの人物像は、やはり『グラン・トリノ』と同様に、長年イーストウッドが演じてきたキャラクターとどこか似通っている。いつも似たような人物を演じている、と批判する向きもあろうが、彼の場合、そこに毎回何かしらプラスアルファがある点を見逃してはならない。このガスにしても、血気盛んだった男が年老いて、意地に凝り固まったように振る舞いながら、いつか久方ぶりに心を通わせた娘の言葉によって、ほんの少しだが変化していく、そんな姿が微笑ましい人物像になっている。イーストウッドお馴染みのキャラクターのようでいて、しかし安易にそこに留まっていない。本来引退していても不思議でない年齢になったイーストウッドが演じるに、確かに相応しいキャラクターなのだ。
そうして様々な要素がきっちりと噛み合っているから、予想のつきやすいプロットでも、素直に受け入れられる。快く浸っていられる。まったくと言っていいほど派手なところはないが、しかしどぎつい作品や、刺激が強烈な作品に辟易していたような人には、きっと最適の清涼剤となることだろう。きっと、『ダーティファイター』などを撮っていた頃のイーストウッドが本当に描きたかった空間が、ここにはある。
関連作品:
『ブロンコ・ビリー』
『父親たちの星条旗』
『グラン・トリノ』
『J・エドガー』
『アーティスト』
『マネーボール』
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