原題:“Forrest Gump” / 原作:ウィンストン・グルーム / 監督:ロバート・ゼメキス / 脚本:エリック・ロス / 製作:ウェンディ・フィネルマン、スティーヴ・ティッシュ、スティーヴ・スターキー / 撮影監督:ドン・バージェス / 特撮:ILM / プロダクション・デザイナー:リック・カーター / 編集:アーサー・シュミット / キャスティング:エレン・ルイス / 音楽:アラン・シルヴェストリ / 出演:トム・ハンクス、サリー・フィールド、ロビン・ライト、ゲイリー・シニーズ、ミケルティ・ウィリアムソン、マイケル・コナー・ハンフリーズ、ハンナ・R・ホール、ハーレイ・ジョエル・オスメント、レベッカ・ウィリアムズ、サム・アンダーソン / 配給:UIP Japan / 映像ソフト発売元:Paramount Japan
1994年アメリカ作品 / 上映時間:2時間22分 / 日本語字幕:戸田奈津子 / PG12
1995年3月11日日本公開
2012年9月14日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video2枚組:amazon|DVD Video1枚組:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
新・午前十時の映画祭(2013/04/06〜2014/03/21開催)上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/07/30)
[粗筋]
バス停のベンチで座る男がいる。彼は偶然、隣に座った人物に、フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)と名乗ると、自分の来歴を語りはじめた。
幼いフォレスト(マイケル・コナー・ハンフリーズ)は、母・ガンプ夫人(サリー・フィールド)に守られて育った。背骨が湾曲して歩行がままならず、知能指数は75しかない我が子を、しかしガンプ夫人はほかの子供と同じように育てようと努める。脚装具を発注して普通に歩けるようにし、知能指数を入学基準にする小学校には、かなり強硬な手段でねじ込んだ。
そうして進んだ学校で、フォレストは生涯の親友に出会う。初めての通学バスからいきなり手厳しい扱いを受ける彼に優しく接してくれた少女ジェニー(ハンナ・R・ホール)である。その日からふたりは豆と人参のように、常に一緒に行動する。ジェニーはふたりきりで暮らしていた父親とのあいだに問題を抱えていたが、それが警察に通報され、親戚の元に引き取られる。偶然にも身を寄せたのがガンプ家の近くだったために、ふたりの距離はより狭まる。
ジェニーと親しくなっても相変わらず周囲のひとびとからはいじめられていたフォレストだったが、ジェニーに「走って」と言われ、素直に走り続けているうちに、いつしかフォレストは脚装具のいらない身体になり、遂には誰も追いつけないほどの脚力を備えるようになった。そのスピードがやがて大学のアメリカンフットボール部の目に留まり、知能指数の低さで小学校入学を拒まれそうになった少年は大学入りを果たした。
アメフトの全米代表に選出され、時の大統領ジョン・F・ケネディとの対面まで果たしたフォレストに対し、女子大に進んだジェニー(ロビン・ライト)の運命は暗転する。大学を中退したジェニーは招かれてストリップ劇場で裸のシンガーとして雇われるが、連絡もなく訪ねてきたフォレストに立腹して飛びだし、それからしばらく音信が絶えた。
一方、フォレストは軍隊に入った。愚直だが器用で、覚えたことを的確にこなすフォレストは思いのほか水が合っていたらしい。エビ漁で稼ぐことを夢見る新兵ババ(ミケルティ・ウィリアムソン)という新しい親友とともに、ほどなくベトナム戦争に送られた……
[感想]
なんとも不思議な感覚の作品である。たまたま隣り合ったひとに突然自己紹介を始め、自らの過去を語る、どこか足りなそうな少年。些細な日常を雄々しく語るのか、と思いきや、彼の話す物語はまるでファンタジーだ。背骨が湾曲して歩くのも困難だったはずが、補助器具を破壊する勢いで全力疾走出来るまでになり、その才能が認められてアメリカン・フットボールで活躍し、軍隊でも功績を上げ……ろくに挫折もなく、時代の波に乗っていくさまは、はっきり言って非現実的だ。
しかし、本篇にはその非現実性に、まとわりつきがちな嫌らしさがない。これは語り手であるフォレスト・ガンプが、功名心のかけらもない、純粋極まる人物として徹底された造形になっているが故だ。作中、のちの世界的著名人や、アメリカの歴史を揺るがした大事件とフォレストに接点があったかのような描写が随所に組み込まれているが、当人がそれを決して大事と捉えず、自分の人生において大きく扱っていない――あくまで彼の人生のちょっとした盛り上がり程度に描いている。
フォレスト・ガンプという人物には、野心も大望もない。どちらかと言えば、周りの愛するひとびとの言葉に影響され、虚心にそれに従っている、いわば流されるがままの生き方をしている。ただそれだけなのに、大きな成果を上げ、持てはやされているのだ。そのこと自体が一種のファンタジーだが、同時にそもそも成功も失敗も、当人の意志とは無縁に訪れるものなのだ、ということを象徴しようとしているようにも映る。
それは、彼が愛し尊敬したひとびとの生き様にも窺える。幼い頃に親しくなり、フォレストが一途な想いを寄せ続けるジェニーは、反戦運動やそこから拡大したヒッピー・ムーブメントに乗じて、新しい若者としての生き方に邁進していったかに映るが、そんななかで最初にそっと語っていた“歌手になる”という夢はどこかへ消え去ってしまい、この当時の理想に燃えた人々がよく辿ったと言われるような、薬物中毒、破綻した男女関係といった苦難へと転がり落ちていく。ベトナム戦争を通して知り合った親友ババとふたりの上官・ダン小隊長(ゲイリー・シニーズ)も、途中で語っていた将来の夢、理想の生き様とは程遠いところへ投げ出される。フォレストの浴した栄光と比較すると、沈痛であまりに惨め、とも言える。
だが、そんな彼らの姿は不思議と、悲しいとは感じられない。無心で彼らの言葉に従い、多くを望まぬままに成功を得ていくフォレストの行動が、まるで彼らの人生を救済しているかのような印象を与えている。だからこそ、本篇は理不尽な運命をきちんと描きながらも悲劇的な様相を帯びず、むしろ優しささえ湛えているのだ。
そのうえで本篇は、いちばん最初のあるべきところへ戻っていくかのような結末を迎える。まるで何もかもがなかったことのようなクライマックスのひと幕には、ある種の空虚さも漂っているが、それ以上に、どれほど取るに足らないような人生でも、本当は語るに値する歴史が隠れている、と囁くかのようなときめきと、そのうえで変わらぬ生き方を選んでいくことの潔さ、尊さを描き出すかのようだ。
1950年代から1980年代頃までのアメリカ史のパノラマとして眺めることも出来る本篇だが、しかし華やかな表層以上に、実は市井にいるひとびとへの優しい眼差しに満ちあふれた物語でもある。「こんなことあるものか」と思わせながらも、観る者の胸を暖かくする、優秀なファンタジーだ。
関連作品:
『フライト』
『声をかくす人』
『フォーガットン』
コメント
フォレストママの「人生はチョコレートの箱みたいなもの 開けてみないとわからない」
まさに名言でした。
そうそう、※(とある役)を演じた俳優のSam Anderson
彼がまたいい役なんです。
この役は今でいう 「ツンデレ」っぽいんじゃないかって思うんですよねえ。(個人的に)