原題:“The Day of the Jackal” / 原作:フレデリック・フォーサイス / 監督:フレッド・ジンネマン / 脚本:ケネス・ロス / 製作:ジョン・ウルフ、デイヴィッド・ドイッチェ、ジュリアン・ドロード / 撮影監督:ジャン・トゥルニエ / 衣裳:ジョアン・ブリッジ、ロシーヌ・デラメア、エリザベス・ハッフェンデン / 編集:ラルフ・ケンプレン / キャスティング:マーゴット・キャペリエ、ジェニア・レイザール / 音楽:ジョルジュ・ドルリュー / 出演:エドワード・フォックス、エリック・ポーター、デルフィーヌ・セイリグ、ミシェル・ロンズデール、シリル・キューザック、オルガ・ジョルジュ・ピコ、アラン・バデル、デレク・ジャコビ、ミシェル・オークレール、バリー・インガム、アントン・ロジャース、ジャン・マルタン / 配給:東宝東和 / 映像ソフト発売元:GENEON UNIVERSAL ENTERTAINMENT
1973年アメリカ作品 / 上映時間:2時間22分 / 日本語字幕:岡枝慎二
1973年9月15日日本公開
2012年4月13日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
新・午前十時の映画祭(2013/04/06〜2014/03/21開催)上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/11/27)
[粗筋]
1962年8月26日、会合を終えエリゼ宮殿から発とうとしたドゴール大統領を、待ち伏せしていた一団の一斉射撃が襲った。完璧に不意をつかれた形だったが、幸いに大統領のみならず護衛にも重傷者は出ず、全員難を免れる。間もなく犯行はテロ組織OASの犯行と判明、首謀者らは刑に処され、このことを教訓に、政府は警備を固める。
国外に逃亡したOASの幹部らは、しかしそれでもドゴール大統領暗殺を果たすべく、最後の手段を選んだ。素性を悟られやすいOAS内部の人間ではなく、外部のプロに計画を委ねたのだ。一匹狼であり、計画に荷担している、とは捉えられないような外国人であることが望ましい――そうして、3ヶ月を費やし、ひとりの男が招かれた。男の暗号名は、ジャッカル(エドワード・フォックス)。いっさいの経歴を明かさず、万一のために計画の内容さえ組織には知らさず、しかし確実に遂行する、と請け負った男が提示したギャラは50万ドル。法外な額だが、他に手立てのないOASはこの提案を呑み、金を工面するために銀行強盗さえ辞さなかった。
ジャッカルは極めて迂遠に、しかし着実に準備を始めたが、しかしOASの不気味な沈黙と、銀行強盗という強硬な手段に、フランス当局は不審を抱いた。OAS幹部ロダン大佐(エリック・ポーター)の護衛のひとりウォーレンスキー(ジャン・マルタン)を捕らえ拷問すると、彼が断片的に漏らした言葉から、いまだ何者かによって暗殺計画が継続している可能性を察知する。
政府は急遽会合を催し、暗殺計画を防ぐために、極秘で捜査を行わせることを決めた。この大役を任されたフランス警視庁のルベル警視(ミシェル・ロンズデール)は補佐としてキャロン刑事(デレク・ジャコビ)を起用し、秘密裏に準備を進めるジャッカルに、静かに肉迫していく……
[感想]
政治的謀略を扱ったサスペンスとして、未だに名品のひとつとして挙げられる作品である。
キャスト、スタッフの印象は正直なところ地味だ。その後も堅実に活躍している俳優が名を連ねているが、主演級の、いわゆるスターになったような俳優は見当たらない。作中においても、無理に花を咲かせるような演出をしていないので、よけいに地味な印象が強い。
物語自体にも、本質的に派手な動きには乏しい。冒頭の襲撃シーンは強い印象を残すが、あとはクライマックス付近まで、大掛かりな見せ場は出て来ない。
だが、まさに一歩一歩、着実に足場を固めていくかのような語り口の重厚感と、そのディテールが生み出すリアリティは、全篇においてアクションに匹敵する迫力をもたらしている。ナレーションやテロップを用いることなく、いっさいの説明を抜きにして辿るジャッカルの足跡は、なかなか意図が窺えず、その謎めいた行動自体が牽引力としても機能している。並行して描かれるフランスの捜査当局の動きが緩やかにシンクロし、静かだが一瞬たりとも油断を許さない緊迫感を維持し続ける。穏やかながら、観ていて疲れるほど張り詰めた語り口だ。
とは言い条、やはり40年も前の作品ともなると、一種のお約束に縛られてしまうのか、途中に唐突に濡れ場が設けられているのがちょっと奇妙だ。いちおうその後の展開にも影響はしているのだが、あの行動はプロフェッショナルを貫いてきたジャッカルにしては不自然、という印象は拭えない。ささやかな人間味を添えている、と好意的に評価することも出来ようが、それを肯定するためには、もう少し何らかの裏打ちが必要ではなかったか。
昨今の、セットよりもロケ重視、固定カメラではなくハンディカメラを駆使した、臨場感と迫真性の表現と比較すると、本篇にはまだまだ虚構の匂いが強い。クライマックスのある表現も、折角のリアリティを損ねかねないくらいに大袈裟な印象を受ける。
だがそれでも、随所にちりばめられた、暗殺をその瞬間まで極秘裏に運ぶための工夫の数々、それを重厚なトーンで描き出した演出の巧みさは傑出している。後続する政治サスペンス、謀略ものは更にリアリティを増し、本篇を置き去りに成長を続けていくことだろうが、1973年の時点でこのクオリティにまで達したことは今後も高く評価されるべきだろう。
関連作品:
『ジュリア』
『ミュンヘン』
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