……2010、2011、2012、2013、茜――2010年以降毎回参加してたら、もう寝たきりになった以外の理由で来るのを辞める気がしません。ゲストの充実した人気の回が無事に確保出来たので、今年も出かけてきました。これがあるので今日は映画鑑賞も抜きなのです。
もう残すところあすの1回だけですが、それを愉しみにしている方のために、以下は閉じておきます。来る予定がない、内容が窺い知れても大丈夫、という方は記事を開き、スクロールして先にお進みください。
実のところ今年は、入場前からイベントが展開してました。本堂入り口の前で、風船釣りの露天が開かれていたのです。店主は波平さん、もといこのイベントの生みの親であり企画・演出を務める茶風林氏。釣りやすいように風船を動かすわ、お客さんのために防虫スプレーを提供したり、とサービス精神旺盛でしたが、最終的にこの土地を縄張りにする怖い人に連れていかれました……という寸劇を演じていました。明日もあるかは知らない。
入場後、照明が落とされて、いつものように不気味なオープニングのあと、本篇へ。
今年は3本連続で、『隣之怪 木守り』をベースとしたエピソードが繰り広げられました。最初は“枝”です。……個人的にこれはタイトルを聞いただけでピンと来る、けっこう衝撃的な話なのですが、如何せん怪異の内容がこういう役割を分担するかたちの朗読劇に合っているのか、というのが疑問でした。しかしそこはプロ、そして7年もこういうかたちで“怪談”を扱ってきたスタッフだけあって、じわじわとした盛り上げが上手い。舞台の性質上、ひとりの役者がひとつのエピソードで二役をこなすこともあるのですが、この割り振りも絶妙でした。
2話目は“遺書”。有り体すぎてピンと来なくても、ちょっと話が進むと「あれだ」と察しがつくぐらいには、読者に印象を残す話。こちらは役の割り振りもさることながら、効果音の使い方がうまい……ただ贅沢を言えば、もーちょっとあの“音”は大きく移動しても良かったんじゃなかろうか。音響的に難しかったのかしら。
3話目は“ふたり”。これは、体験したことひとつひとつだけなら類型的なのに、束になることで類を見ないおぞましさを感じさせるエピソード。この舞台においては、終幕にちょっとした脚色を加え、複数による朗読方式での怪談として仕上げてます。しつこいようですが、これも役割分担が上手い。本筋だけでもけっこうおぞましく、「このあといったいどうなるんだ?!」という好奇心と共に「知りたくない」という拒絶反応をもたらす話でしたが、ああすることでホラー的に昇華してます。
前半最終話は、“邂逅”です。これは『新耳袋 第七夜』で語られ、劇場版として長篇映画にもなった大作を原型としている。のちに体験者に追加取材を試みた『新耳袋殴り込み』のスタッフにまで累が及んだ強烈なエピソードで、ここまで沈黙を守っていた座長・茶風林氏が満を持して登壇、一連の怪異の中心人物を“怪演”します。長年、木原氏の著書やイベントを追っているひとならご存知の、ある特徴までフォローしていることにただただ感心しました。……乗り移っていただけかも知れませんが。ご本人は嫌でしょうけど。このエピソード、起きる怪事だけでなく、前提部分も長いので、前半は思いのほか長尺となりましたが、さすがに圧巻でした。
ここで休憩、というか実はこのイベントの本題かも知れない、“お清め”と称した酒宴へ。毎年、茶風林氏が厳選されているお酒、今回は秋田にある日の丸醸造の“まんさくの花”です。私は飲めるけど嗜まない、という人間なので、善し悪しは断言しかねますが、確かに美味しかった。おつまみ風にアレンジした明治座の折詰を摘まむ箸が進むったら。ちなみに今回は日の丸醸造のジョージ・クルーニー似(茶風林氏・談)の社長がサプライズで見えていて、余計に場が盛り上がったり。今回も見えていた――っていうか、いらっしゃっているからこそ私ゃこの回を選んだんですが――原作者・木原浩勝氏が、前半で綴られたエピソードに絡んだ後日談を語ると、参加者がどよめいておりました……このイベントって、新耳袋トークライブと観客の被りがそれほど大きくないようで、怪談に対する一部の反応が私にはちょっと新鮮です。あのライブにいると、驚きや恐怖で小さな悲鳴を上げる、なんて状況ほとんど経験しないもの。
ふたたび本堂に戻って後半です。といっても最後は1話だけ、それも『九十九怪談 第五夜』で語られたごく短いエピソードをベースとした“心中”という話。しかしこれをトリに持ってきたのは理解できます。オリジナルに大幅に肉付けをして、ドラマとして熟成させたこの話は、一般に言う“怪談”の要素こそわずかですが、巡り逢わせの妙が感動をもたらす。たぶん土・日のみ出演だった岩男潤子氏だと思いますが、語り終えたあとで演者本人が涙ぐんでいたのが印象的でした。
というわけで今年は以上、5話。毎回あった木原氏書き下ろしの話がなかったのがちょっと残念なのと、個人的にはもうちょっとBGMに頼らず、会話のみで異様さを表現する、このスタイル以外では成り立たない次元にまで研ぎ澄ませた話が欲しかったところですが――って、基本は木原氏の取材してきた実話が土台ですから、望んだからと言っておいそれと見つかるものではないのも承知してますが、それでもこの手法の魅力を実感しているからこそ、ちょっと高望みをさせて欲しい。何にせよ、身体が無事である限りは来年も来たいと思います……それとも、今年の秋にも『茜』はあるのかしら。
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