原題:“Boyhood” / 監督&脚本:リチャード・リンクレイター / 製作:リチャード・リンクレイター、キャスリーン・サザーランド / 製作総指揮:ジョナサン・セリング、ジョン・スロス / 共同製作:サンドラ・エイデアー、ヴィンス・パルモ・Jr. / 撮影監督:リー・ダニエル、シェーン・ケリー / プロダクション・デザイナー:ロドニー・ベッカー / 編集:サンドラ・エイデアー,A.C.E. / 衣装:カリ・パーキンス / 音楽:ランドール・ポスター / 出演:エラー・コルトレーン、パトリシア・アークエット、ローレライ・リンクレイター、イーサン・ホーク、マルコ・ペレラ、チャーリー・セクストン、ブラッド・ホーキンス、ジェニィ・トゥーリー、ゾーイ・グラハム / ディトゥアー・フィルム・プロダクション製作 / 配給:東宝東和
2014年アメリカ作品 / 上映時間:2時間45分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里
2014年11月14日日本公開
公式サイト : http://6sainoboku.jp/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2015/01/07)
[粗筋]
メイソン(エラー・コルトレーン)はママ(パトリシア・アークエット)と姉のサマンサ(ローレライ・ンクレイター)の3人で暮らしている。パパ(イーサン・ホーク)はママと別れたあと、漁船に乗ったりしながら日銭を稼いで、未だにミュージシャンになる夢を追っている。ママはずっと働きながらふたりの子供を育てていたが、今のままでは就ける仕事に限界があると感じ、テキサス州からおばあちゃん(リリー・ヴィラリ)の暮らすヒューストンへの転居を決めた。
だが、引っ越し先にはパパもついてきてくれた。久しぶりに会ったメイソンとサマンサをボウリングへ連れていき、めいっぱい遊んでくれたが、メイソン達の期待に反し、ママとは結局喧嘩別れ。家族の復活とはならなかった。
ヒューストンでの暮らしに慣れてきたころ、ママには新しい恋人が出来た。ママが受講している講座の教授であるビル・ウェルブロック(マルコ・ペレラ)という人物だ。聡明で優しそうで裕福な暮らしをしており、ミンディ(ジェイミー・ハワード)とランディ(アンドリュー・ヴィラレアル)というふたりの子供とメイソン達がすぐに親しくなったこともあって、間もなくママはビルと再婚した。
一見、安定した生活は、だが同居してからビルの尊大さが露わになっていった。メイソンやサマンサに口うるさく注文を付け、何かと雑用を押しつけ、嫌がると怒鳴りつける。実はビルはもともとアルコール依存症で、以前の結婚が失敗したのもそれが原因だったらしい。ママと出逢った頃は落ち着いていたが、だんだん昔に戻っていた。
ビルの尊大さはとうとう暴力にまで発展し、ママは友人を頼って家を逃げ出した。裕福な暮らしから一転、メイソン達は着の身着のままで新しい生活を始めることを余儀なくされたのだった……
[感想]
『ビフォア・ミッドナイト』の感想にて私は、リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・サンライズ 恋人までの
だが、本篇はそれ以上に幸せな作品と言えそうだ。やはり同じ俳優が同じ人物を演じ、ひとつの家族を、大人になっていく少年の目線で描ききってしまった。
言うだけなら簡単だが、これは容易な話ではない。少なくとも、それだけ長期間にわたって映画産業に携わる覚悟は必要だし、カメラマンなど一部のスタッフは流動したとしても、俳優は変えられない。企画したとしても、参加者が揃わない可能性だってあるし、途中で資金が尽きることも考えられる。
本篇と『ビフォア』3部作との大きな違いは、本篇が途中経過を大衆にお披露目することなく、すべてが揃うまで――映画としての体裁を整えるまで全貌が明かされなかった点だ。あちらは『ビフォア・サンライズ』が高く評価され、主演したふたりの俳優のその後の活躍、という幸運もあって、3作まで紡がれたが、本篇はそうではない。状況によっては頓挫したかも知れないし、不幸な事情で脱落する俳優がいても不思議ではなかったのだ。
実際、本篇にはリンクレイター監督の愛娘ローレライが出演しているが、当初は進んで役に就いた彼女も、年齢を重ねるごとに関心が演技から離れたために、積極的でなくなった、という経緯があるらしい。当人は、自身が演じるサマンサを作品から撤退させることも提案したようだが、恐らくその意見も考慮して、監督は彼女の露出を減らしていったのだろう。
もともとそういう構想で臨んだのかも知れないが、どうやら本篇はそれぞれのキャラクターを演じる俳優たちの現状に即して、臨機応変にストーリーを組み直している気配がある。だから、その時々によって変化する髪型や体型、自然と醸し出す雰囲気に、人物像が馴染んでいる。不自然さがないから、本篇は描写の一つ一つに説得力があり、異様なまでの奥行きがある。さり気ないやり取りにも、描かれていない部分での歴史を感じさせて、味わいをたたえているのだ。演技力、演出力でも補えることではあるが、実際の成長さえ辿ってしまう本篇のような手法が備える厚みにはそうそう敵わない。
そうして描写に時間の厚みが備わっているからこそなのか、本篇は3時間近い長尺なのに、あまり長さを感じさせない。しかも起きる事件と言えば、決して珍しいものではない。両親の離婚に再婚、DV、引っ越しに初恋、進路の選択と、誰もが経験するわけではないにしても、ありふれた凡庸な出来事ばかりである。だが、人物たちの存在感が生々しく、身近に感じられる本篇では、わざとらしさがなく他人事とも思えない。気づけば彼らの世界に入り込んで、一緒に先行きを気遣ってしまう。ありふれていても当事者にとっては深刻な出来事なのだから、入り込んでしまえば時が経つのは速い。出来のいい物語を“人生を凝縮したかのような”と表現することがあるが、本篇は今までに存在したどんな作品よりもその表現がしっくり来る。
もちろん、ありふれた出来事を単純にまとめたところで、良質なドラマになるわけではない。毎年スタッフとキャストを招集し、その都度新しい物語を組み立て、根気よく撮り続けていったリンクレイター監督の演出と作劇のセンスがあってこそだろう。『ビフォア〜』シリーズや『ウェイキング・ライフ』のような実験的作品から『スクール・オブ・ロック』のような一般にも受け入れやすい作品まで、様々なスタイルで撮ってきたリンクレイター監督だからこそ、本篇の実験的な趣向が先鋭的にならず、絶妙なさじ加減を保っつことが出来た。恐らく、今後、似たようなことを誰かが考えたとしても、同じような成果を得るのは至難の業だろう。
特筆すべき趣向で編まれながら、本篇には押しつけがましさや、とってつけたようなドラマはない。私たちの知っている誰かの物語であるような感覚をもたらす。どこにでもありそうな物語なのに、そんな軽さはない。さり気ない出来事が、本人や周囲のひとびとにとってドラマであることを、本篇はくっきりと印象づける。
特に華やかさのないラストが、とても感慨深く映るのは、その情熱と、費やした時間の長さ故だ。
こんな映画、そうそう巡り会えるものではない。
作品の評価とはあまり関係がないのだが、印象深かった点を最後にひとつだけ。
1年おきに撮影を行っているため、本篇に織り込まれる文化にはわざとらしさがない。日本人がよく知らないものでも恐らくその時点での文化の実態を反映しているのだろう、と思われる。
だが、そのつもりで鑑賞すると驚くのは、日本文化の入り込みようである。物語序盤、幼いメイソンの部屋は日本の漫画やアニメーションのグッズだらけだし、パパが趣味で乗っていたのは現地の高級外車だが、身の丈に合ったものとして購入するのが日本車だったりする。挙げ句の果てに、写真の道に進むことを決意したメイソンが選んで手にしたカメラはキヤノン製だ。
他に日本の要素など何も絡んでこないのだが、だからこそ彼の地での浸透ぶりを垣間見るようで、不思議な気分だった。
関連作品:
『ビフォア・サンライズ 恋人までの
『テープ』/『ウェイキング・ライフ』/『スクール・オブ・ロック』/『がんばれ!ベアーズ <ニュー・シーズン>』/『スキャナー・ダークリー』/『ファーストフード・ネイション』/『バーニー/みんなが愛した殺人者』
『ゲッタウェイ スーパースネーク』/『パーフェクト ワールド』/『シン・シティ』
コメント