昨年の春、東京公演のナンバーが10を数えたことを節目に怪し会が終了、同年夏から怪談という縛りを外し、お寺でお酒を嗜みつつ声優による朗読劇を楽しむ、という部分を引き継いだ酒林堂が始まりました。が、今までは島根県松江市で開催の“酒林堂 八雲”だけ、怪し会のときメインであった東京での開催は見送られてましたが、1年半を経て、ようやくの開催です。……危うくチケットの確保を忘れるところでしたが、なんとか取れたので、きのうの夕方からの回を鑑賞してきました。
開催地は怪し会と同様、江戸川区の密蔵院もっとい不動です。久々だけどルートは身体が覚えている……でもいちおう確認し直しました。途中の新小岩駅で出口を間違えるとあとが大変だし――と思ってたら、駅の構内が様変わりしていて、北口と南口どちらも同じ改札を通って出られるようになってました。まあ、どちらにしても、バス停のある位置を電車のなかから確かめてたので、間違えることはなかったと思う。
怪し会のときから、開場前の受付ではミニ縁日みたいな催しをするのがこのイベントの常です。今回は、サイコロ2個を振って、ぞろ目が出たら駄菓子が2個、ハズレでも1個貰えるちんちろりんをやってました……ご近所さんに駄菓子問屋のかたがいるので、駄菓子は欲しいものをケースで買ってる私には懐かしくもなんともないんですが、でも賑やかしに参加はした。100円で2回振ることが出来て、1回がぞろ目の、都合3つゲット。そして結局はふだん買ってる奴も貰ってしまったりして。
そしていよいよ開演です。酒林堂では怪談に限定せず色々と試みる、という宣言のとおり、今回は小泉八雲でも木原浩勝原作でもなく、横内謙介が『鶴の恩返し』を解釈し直して創作した演劇『お伽の棺』をベースにした、通しで1篇の物語になっている。
怪談ではなく、そして幻想物語でもない、とことん現実で構成された話。しかし、こういう出来事を空想のオブラートに包めば、きっと私たちの知る民話になるのだろう、と思わせる内容になっている。なるほどこれなら、機屋のなかを覗くな、と宣言したのか、どうして最後に消えたのか納得がいく。
そこに至るのは、人間のどうしようもない欲望や打算です。村の掟として正直たらんとした主人公・ゼンジを縛り、同時に取り返しのつかない行動に駆り立てたのも、クライマックスで悲劇を招くのもまた欲望と打算。救いのない結末ですが、そこに救いを求めた結果が巷間知られる民話に変わっていったのかも、と想像すると、非常に切ない。
今回、ちょっとビックリしたのは、かなり生々しい描写が盛り込まれていることです。母親殺しに、ゼンジが“鶴”に向かって示す劣情、そればかりでなく、この時代に嫁を娶ることの出来ない男の歪さ、自己嫌悪も盛り込んでいる。私が鑑賞した日曜夜の回では、“鶴”を恒松あゆみが演じてましたが、死に怯える様子から逞しさを覗かせ、そのうえ艶っぽい場面まで演じることになる訳で、演技の振り幅が堪能出来ます。
また、今回は“怪談”、そして複数話のオムニバス、という構成の縛りがなくなったので、いままでと異なる演出が多数見受けられる。怪し会のときは、本堂に通されるとき、住職からお清めとしてお香を手に乗せてもらっていたのですが、それがない。従来は真っ暗闇の中、演者が登壇すると雰囲気たっぷりに会のタイトルを唱和する演出があったのですが、今回は最初に3つ立てられた蝋燭に火が点されると、歌女として出演の緒方美穂によるスキャットを挟んで物語に入っていく。また、登場するキャラクターが少ないため、ひとりで複数の人物を演じるような趣向もない。
怪し会で確立した、複数の声優による朗読会、というフォーマットを守りつつ、その枠内で演劇とは違う、独特の見せ方を追求したような内容でした。非常に面白かった。個人的には、お寺で声優陣による雰囲気たっぷりの怪談がまだ聴きたくもあるのですが、こういう実験的な表現も好きなので、今後とも足を運びたいと思います。
なお、朗読と共にお酒を嗜む会、という主旨ももちろん変わってません。今回、お清めの時間に提供されたのは、越後鶴亀。採り上げた物語の設定に引っかけて、ワイン酵母で仕込んだ、という一風変わった純米吟醸酒です。確かに普通の日本酒とは違う甘みや渋みがあって、個性的。
毎回、お酒が入っている瓶に加え、注ぐための枡はお土産として持ち帰ることが出来るのですが、今回はお酒に合わせてワイングラスです。そのまんま鞄に詰めると割れる恐れがある、ということで、親切にも梱包材まで用意してありました。私はこれと、母へのお土産として余分に買った酒瓶2本を、こんなこともあろうかと携帯していたトートバッグに入れて持ち帰りましたが、お陰様でいっさいダメージはありませんでした。
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