TOHOシネマズ日比谷、スクリーン13のサインをバックに撮影した『マリウポリの20日間』パンフレット。
原題:“20 Days in Mariupol” / 監督、脚本&撮影:ミスティスラフ・チェルノフ / 製作:ミスティスラフ・チェルノフ、ミッチェル・マイズナー、ラニー・アロンソン=ラス、ダール・マクラッデン / フィールドプロデューサー:ワシリーサ・ステパネンコ / スチール:エフゲニー・マロレトカ / 作曲:ジョーダン・ディクストラ(BMI) / 配給:SYNCA
2023年ウクライナ、アメリカ合作 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:安本煕生
2024年4月26日日本公開
第96回アカデミー賞長篇ドキュメンタリー部門受賞作品
公式サイト : https://synca.jp/20daysmariupol/
TOHOシネマズ日比谷にて初見(2025/5/9)
[粗筋]
2022年2月23日、AP通信社に所属するビデオ・ジャーナリストのミスティスラフ・チェルノフと彼の取材チームは、ウクライナ南部港湾都市マリウポリに向かう。この数年、ロシアはウクライナに存在する危機に対する自衛、と称してウクライナとの国境に武力を集中させており、要衝であるマリウポリに攻撃が行われる危険性が急速に高まっていた。
取材班が到着して僅か1時間後の午前4時、遂に攻撃は始まった。家族が仕事に赴いているなか、どこに逃げればいい、と戸惑う年老いた住民に、取材班は一般人は標的にしていないことを告げ、家の地下室などに避難すればいい、と伝えて安心させた。だが、取材班は間もなく、それが誤りであったことを知る。ロシアが放つミサイルは民家にも着弾し、着実に住民の生活の場を奪っていった。
マリウポリは周囲を広野に囲まれており、脱出するにも長い距離を移動しなければならない。無関係な民衆を避難させるための人道回廊は、交渉が進まないためなかなか設置されず、街には行き場を失った人々が溢れかえった。ついさっきまでサッカー場で遊んでいた子供たちも砲弾を浴び、両脚を失って病院に担ぎ込まれる。そうして絶え間なく重傷者が担ぎ込まれる病院でさえ、やがて標的にされていく。
インフラは崩壊し、やがては通信網さえ奪われ、取材陣もまた1回に数秒程度の通話で編集局に現状を伝えるしかなくなっていた。ロシアは着実に、マリウポリという都市を追い込んでいた――
[感想]
ロシアとウクライナの因縁は、それほど簡単には説明しきれない。ウクライナ侵攻が始まった当時の緊張状態は、決してあのとき突然浮上したわけではなく、様々な因縁が絡んでのことだった。だからこそ、本篇の監督をはじめとした撮影チームは、緊張の極限まで高まったマリウポリに向かった。
だが、そこで行われた攻撃は、決して撮影チームの予測していたものではなかったと思われる。序盤、撮影スタッフは、攻撃対象は軍関連の施設のみ、というロシア側の発表を鵜呑みにして、戸惑う住民に「自宅にいれば問題はない」と告げるが、当日の家に砲撃は民家に対しても行われた。ロシア側がはじめから騙っていたのか、或いは自らが使用する兵器の精確さを過大評価していたのか、は本篇でも解明はされていないが、その行為が急激に住民達の生活を奪っていく様があまりに壮絶だ。
題名通り、マリウポリ到着から20日間にわたって滞在した――と言うより、途中からは脱出すら容易ではない状態に陥り、そうせざるを得なかったのが実情なのだが、いずれにしても、そこで記録されたのはただの映像ではなく、撮影チームの体験そのものでもある。
屋外を取材し続けることが困難になり、付近の建物の地下室に駆け込んで爆撃を凌ぐ、その迫ってくるような恐怖感。数少ない、機能を続ける病院に矢継ぎ早に担ぎ込まれる負傷者たち。補給を絶たれたことで薬品もあっという間に不足していき、極限状態になっていく医療従事者。そして撮影チームも、ロシア側の攻撃によってライフラインの多くが寸断されていくなかで、機材の充電もままならなくなり、撮影の間隔が間遠になっていく。更には、通信網も次々と絶たれていき、せっかく撮影した素材を編集局に送ることが出来ない。ナレーションで補われる空白に、撮影チームの苦悩が滲み出るようだ。
そして、戦況が過酷さを増すと、人心も乱れていく。情報を遮断することで住民の不安を煽り混乱を招く、というのもロシア側の戦略だったと見られるが、しかしその混乱以上に痛ましいのは、人間の尊厳がどんどん軽んじられていくことだ。もはや薬品も底を尽きかけた病院はトリアージさえままならず、みすみす多くの人命を失っていく。そうして溢れかえった遺体を“処分”する光景は特に衝撃的だ。衛生的な観点から致し方のないことだが、これを決断しなければならなかった関係者の苦衷は察するにあまりある。カメラの前でぼそりと漏らした呟きは、様々な感情が籠もり、あまりにも重い。
終盤の数日はだいぶ駆け足になっていくが、これも仕方のないところだろう。何せ、電力の確保もままならず、通信もほぼ遮断され、撮影した素材を届けることも出来ない。恐らく、記録媒体も容量の限界が近づいていたのではないか。戦場での情報を外部に届ける重責と、それ以前にいったいいつ危機に晒されるか解らない中での脱出劇は、なまじのスリラーでは描き得ないほどの緊張感が漲っている。
正直なところ、観ているのは辛い。フィクションや、再現に基づく劇映画ならまだしも、ここに記録されているのは本物の“戦争”だ。衝撃もスリルも、本当に人の生き死にの瀬戸際にあるリアルなのだ。理解し、想像するほどに、本篇は観る者の心を苛む。
だが、間違いなく本篇は撮られるべき作品だったのだ。既に何度なく繰り返し描かれてきた戦争の恐怖、狂気、愚かしさを我々はしっかりと見つめるべきだ。撮影チームが覚悟をもって現地に臨み、体験として“戦争”を記録したのは、重要なことだった。
もう2度とこんなことが起きるべきではない。決してウクライナ国民ばかりではなく、権力者の身勝手な理屈に振り回されるロシアの国民にとっても不幸であるはずのこの戦いの真実を知らしめるためにも本篇は必要だが、戦争というものを如実に刻みこんだという意味で、映画史においても大きな意味を持つはずだ。叶うならば、こんなものは不必要な世界であって欲しいけれど、いつまでも過ちを繰り返す我々が、向き合うべき作品として、恐らく本篇はいつまでもその衝撃を保ち続けるのだろう。
関連作品:
『ひまわり』/『異端の鳥』/『TENET テネット』
『戦場でワルツを』/『フォーリング・マン 9.11 その時 彼らは何を見たか?』/『オードリー・ヘプバーン』
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