監督・脚本:瀬々敬久 / 企画:下田淳行 / プロデューサー:平野隆 / 共同プロデューサー:青木真樹、辻本珠子、武田吉孝 / ラインプロデューサー:及川義幸 / 撮影監督:斉藤幸一 / 照明:豊見山明長 / 美術:金勝浩一 / 録音:井家眞紀夫 / 編集:川瀬功 / VFXスーパーヴァイザー:立石勝 / 音楽:安川午朗 / 主題歌:レミオロメン『夢の蕾』(OORONG RECORDS) / 出演:妻夫木聡、壇れい、藤竜也、佐藤浩市、国仲涼子、池脇千鶴、田中裕二、カンニング竹山、金田明夫、光石研、キムラ緑子、嶋田久作、正名僕蔵、ダンテ・カーヴァー、馬淵英俚可、小松彩夏、三浦アキフミ、夏緒、太賀 / 制作プロダクション:ツインズジャパン / 配給:東宝
2009年日本作品 / 上映時間:2時間18分
2009年1月17日日本公開
公式サイト : http://kansen-rettou.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/01/27)
[粗筋]
年を越したばかりのいずみ野市立病院。救命救急医の松岡剛(妻夫木聡)は、搬送されてきた患者を見て愕然とする。それはつい最近、彼がインフルエンザ陰性、ただの風邪として、安静にするよう申し伝えた患者だった。吐血し多臓器不全を発症した患者は、処置の甲斐なく間もなく息を引き取る。心臓マッサージもまったく効果がない、重篤な症状であった。
松岡は見立て違いを怖れたが、辣腕の救急医・安藤一馬(佐藤浩市)はインフルエンザ反応は陰性のままだと告げる。困惑する間もなく、状況は急速に変化した。次から次へと、同様の症状を起こした患者が運ばれてきたのだ。
病院は急遽マスクの着用と抗ウイルス剤の投与を全職員に促すと、一般外来とウイルス性の症状を呈した患者とを分け、院内感染を防ごうとする。だが時既に遅く、安藤を皮切りに院内スタッフにも感染者が現れ、とうとう死者まで出てしまった。
同じ頃、いずみ野市にある養鶏場で鳥インフルエンザが発生する。時期の一致から感染源と疑われたが、鳥インフルエンザの権威である大学教授・仁志稔(藤竜也)は経営者本人が感染せず、管理の行き届いた養鶏場から拡大することはあり得ないと言う。確証はないが、ほかに原因がある可能性を示唆していた。
この非常事態に、ついに世界保健機構が動いた。防疫の専門家であるメディカル・オフィサーを送りこむと、病院でウイルスに対応している部分を完全に隔離、対策の拠点とすることを決定する。
横暴なやり口に多くの職員は閉口したが、ただひとり、松岡だけは別の理由で動揺していた。やって来たメディカル・オフィサーは、数年前に別れたかつての恋人、小林栄子(壇れい)であったからだ……
[感想]
昨年末に公開された『252 生存者あり』は気象がきっかけとなる大災害をモチーフにしたパニック映画だったが、明けてすぐに公開された本篇はウイルスの爆発感染をモチーフにしている。なまじ近接して公開されただけに比較して観てしまうのは仕方ないことだが、仮に比較材料がなかったとしても、本篇の印象ははあまり芳しくないだろう。
決して新味のあるものではないが、SARSや鳥インフルエンザの問題を受けて本編を製作する着想は悪くない。各地の出来事を均等に描くのではなく、最初の感染者が確認された病院を中心に描写しているのも、物語がやたら散漫になるのを防いでいるので、判断は正しい。
だがその場合、僅かな視点でも世の中の混乱が解るような工夫がもっと必要なのだが、本篇はいまひとつ徹底していないし、それ以前に爆発感染によって麻痺した社会の描写にいまいちリアリティがないのだ。街が半ば廃墟のようになった状況、食糧も配給する云々の台詞があるわりには、ライフラインの破綻について言及もしていなければ対処もしていないように映る。
この状況では一般人の海外渡航は規制されそうだが、あくまで救急医に過ぎない主人公が後半であんな任務を帯びて渡っているのはさすがに御都合主義と思えるし、感染が拡大してすべての土地の封じ込めが行われている状況で、遥か遠方から移動してきている人物がいるのはまずいだろう。特に後者は、移動してきた人物の素性を考えると、絶対にあり得ないと思えるのだ。
医療については監修がついているだけあっておおむね説得力は感じられたが、しかし肝心のウイルス対策の部分で、いちばん最後に示される対処法は、確かに可能性としてあり得るのは解るのだが、あの時点まで誰も思いつかない、というのは不自然ではないか。決して疫学の知識のない私でも途中で察したというのに、わざわざあそこまで回避した事情がよく解らない。正体を割り出す経緯についても、ずいぶんドラマティックにしているが、その必要性が認められないのはまずいだろう。
主要登場人物であっても、運命には抗えないとばかり命を奪っていく容赦のなさはパニック映画としては正しいものだし、そうした命のやり取りをドラマティックに演出するエピソードの選択そのものは悪くない。ただ、そこでやり取りされる会話があまりに凡庸なのも気に懸かった。救急医である主人公とメディカル・オフィサーの会話など、先が読めるものがあまりに多い。仮にオーソドックスさを狙っていたとしても、ひねりがなさすぎる。
救急医とメディカル・オフィサーの関係性や、仕事のために半ば隔離された状態にいる看護師と家族とのコミュニケーションといった要素は印象的だし、全体として危機感はよく表現されている。だが、たぶん先に着想したそれら細かなイベントと、爆発感染の影響で変化した社会情勢との辻褄合わせをしっかり行わなかったばっかりに、説得力に欠く出来になってしまった。発想も時期も悪くないだけに、勿体ない作品だと思う。
今月に入ってから、TOHOシネマズの1ヶ月フリーパスを有効利用しようとするあまり、いつもより日本映画を観る比率が高くなっている。結果として、同じ俳優をまったく別の役柄で二度三度と目撃することになってしまった。それだけ彼らが引く手あまた、ということなのだろうが、しかし観る側としては苦笑いを禁じ得ない。
本篇で最初の感染者の妻であり、物語にとっても重要な役割を果たす人物を演じている池脇千鶴は、『20世紀少年<第1章>終わりの始まり』で主人公ケンヂの経営するコンビニチェーン店の軽薄なアルバイトに扮しており、そのキャラクターのあまりの違いに驚かされる一方で、“友情出演”として家族サービスを気にするベテラン救急医を演じた佐藤浩市は、『誰も守ってくれない』で非常によく似た家族構成を持つ主人公に扮しており、あちらを観たあとで本篇に触れると、その言動がいちいち重なり、変なところで笑いそうになってしまった。
多くの作品に出演する俳優諸氏には、是非とも役柄と公開時期の兼ね合いをもう少し考慮していただきたい……といっても無理なのは承知しているのだが。
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