『劇場版ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』

『劇場版ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』

原作:水木しげる / 監督:古賀豪 / 監修:京極夏彦 / 脚本:三条陸 / CG監督:森田信廣 / キャラクター・デザイン:上野ケン / 総作画監督:浅沼昭弘 / 作画監督補佐:仲條久美、藪本陽輔、信実節子、袴田裕二 / 美術監督:本間禎章 / 色彩設計:辻田邦夫 / 編集:福光伸一 / 録音:池上信照 / 音楽:横山菁児 / 声の出演:高山みなみ田の中勇高木渉今野宏美龍田直樹山本圭子八奈見乗児、中山さら、丸山優子池澤春菜古川登志夫中田譲治小林沙苗小杉十郎太石塚運昇半場友恵折笠愛 / 配給:東映

2008年日本作品 / 上映時間:1時間15分

2008年12月20日日本公開

公式サイト : http://www.kitaro.cx/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/01/13)



[粗筋]

 風祭華(小林沙苗)は放課後の校舎でひとり怯えていた。鏡の前を通りかかると、中から現れた腕が彼女を鏡の中に引きこもうとするからだ。優等生で通っているが、その真面目さとしっかりした性格のために冷たい人間だと誤解され、友達のいない彼女には相談する相手が周りにいない。母親(折笠愛)は華に過大な期待をかけるが、成績にしか興味がなく、まして“妖怪に狙われている”などと言っても信じてくれるはずがなかった。思いあまった華は、かつて祖母に聞いた話を頼りに、ゲゲゲの鬼太郎(高山みなみ)に助けを求める。

 妖怪ポストを経由して華からの手紙を受け取った鬼太郎はさっそく馳せ参じるが時既に遅し、風祭家の豪邸に華の姿はなかった――文字通り、存在自体が掻き消えていた。唯一、華のことを覚えていた京夜(藤田淑子)の話によれば、鏡の中に引きこまれそうになった京夜を庇って代わりに鏡に吸い込まれてしまったのだという。そして華の存在は、なかったことにされていた。華の母も召使い達も、誰ひとり華のことを記憶していないのである。

 ここで転機をもたらしたのが、鬼太郎の悪友・ねずみ男であった。妖怪専門の探偵を標榜して小銭を稼いでいるねずみ男は、華の担任教師という女性・日比野マヤ(半場友恵)から、華の身辺を調査していたのだという。まだ華の記憶を留めている、というねずみ男の話を頼りに鬼太郎たちは学校に向かうが、その学校の正面は陽光が照り返し、巨大な鏡のようになっており、そこから華を襲った鏡の妖怪が出没し、鬼太郎たちに牙を剥いた。

 どうにかマヤを助け戦うものの、肝心な場面でねずみ男の裏切りに遭った鬼太郎は、鏡の世界に引きこまれてしまう。そこでようやく鬼太郎は、今回の事件の当事者・華と遭遇する。妖怪・鏡爺(石塚運昇)は華の姿形を封じ込め、魂だけの状態で鏡の世界に閉じ込めていた。助けに来たはずが不甲斐ない有様にある自分を恥じる鬼太郎だったが、華に励まされ、脱出を試みる。

 そんな鬼太郎にとって助け船となったのが、意外なことにねずみ男であった。鏡爺と同様、何者かの指示で動いているらしい大蛇女に脅されて鬼太郎を罠にかけたねずみ男は、マヤに泣かれたことでまたぞろ翻心し、彼を救うため鏡爺の本拠に駆けつけたのである。危うくマヤが鏡爺に囚われそうになったが、ねずみ男の必死の行動が鬼太郎に出口を教えることとなり、鬼太郎とねずみ男が共闘した結果、どうにか鏡爺を封印することに成功する。

 華も晴れて姿形を取り戻し、無事に決着したかと思いきや、長時間鏡の世界に囚われていた鬼太郎はそのために姿を失いかけていた……

[感想]

 水木しげる原作によるテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は、2008年に放映開始から40周年を迎えた。本篇は、2009年1月現在も放送中の第5期シリーズのキャラクター・世界観をもとにした劇場版である。

 いちおう今期のアニメ版はだいたい観ているが、もし何もなかったら劇場版までは観に来なかっただろう。私がこれを敢えて鑑賞したのは、監修として京極夏彦の名前がクレジットされていたからである。第4期でもエピソードの1つを手懸け、ゲスト出演した方であるだけに、今期もいずれは関わってくるのでは、と予想していたが、劇場版での登板となったようだ。

 いったい氏がどのあたりを監修し、どんな風に噛んでいったのかは作品を観ただけではいまいち解らないが、この劇場版は現行のテレビシリーズと較べて、実に手の込んだプロットとなっている。観ているととても解り易い展開のように思えるが、粗筋を書き出すとなかなか厄介で、上記でやっと1/4ぐらいのものなのである。しかも、やはりシンプルながら細々とした仕掛けや罠があるため、紆余曲折が豊富で見応えがある。

 惜しむらくは、現行シリーズ2年目あたりから登場している妖怪四十七士も活躍するクライマックスが、序盤の複雑な流れと並べると安易で大味に感じられることである。ちゃんとテレビ版の設定を活かしつつ、映画としての派手なクライマックスを描こうとした故だろうが、あまりに巨大すぎる敵を作ってしまったために、どうも雑然とした感じになってしまっている。その中でも、序盤から織りこんでいた要素が事態決着のきっかけとして有効に働いているし、それなりにカタルシスを得ることは出来るが、そこまでが「子供にも解り易く、大人としても納得のいく筋書き」であったのと較べると、「やっぱり子供向けの話」という顛末になってしまっているのが残念だった。

 また、短めの尺に複雑な話を詰め込もうとしたあまりか、全体に間の取り方が雑だったのも惜しまれる点である。この劇場版では、鬼太郎の側にありながらしばしば裏切ったり、また舞い戻ったりとトリックスター的な存在にあるねずみ男が、その本来の持ち味をうまく発揮しているのだが、その心情や立場の変化をうまく表現して然るべき部分で駆け足気味となっており、やや情緒に欠いたきらいがある。

 だが全体として観れば、そのねずみ男の、最近のテレビシリーズでは充分に活かし切れていない特徴を存分に駆使し、込み入った展開と途切れない見せ場、そして劇場版に相応しい派手なクライマックスと、揃えるべき要素をきちんと揃えた大作に仕上がっている。テレビシリーズを知っていれば、という前提は必要だが、そういう観客には満足のいく出来だ。ヒロイン・華の設定はあまりにも古典的だがそれを充分に魅力的に描いているため、正統派のジュヴナイルとしても楽しめる。

 と、おおむね評価できるものの、どうしても納得いかない――というより不憫でならないのは、ネコ娘である。現行のシリーズでは主人公・鬼太郎に恋するヒロインであり、様々なアルバイトをして人間社会に溶け込んでいる、という設定のため活躍する場面も非常に多いのだが、オリジナルのヒロインが異様な存在感を示している本篇では、外郭から事態を解説する程度の役割しか果たせていない。本篇は日本を6つのブロックに分け、それぞれで一部のシーンが異なる、という趣向を用意しており、どうやらネコ娘の登場するパートがそれに当たっているようだが、そのためになおさら取って付けた印象が強まっている。テレビシリーズでその健気さに愛着を覚えていればいるほど、ネコ娘が気の毒でならない劇場版であった――まあ、それもある意味、今期のネコ娘の魅力ではあるのだけど。報われなさ加減が。

 ちなみにこの作品は、本篇に入る前にオマケとして、これまでの5期にわたる5人の鬼太郎が競演する短篇が添えられている。ついでに桃屋の『ごはんですよ!』CMに登場する三木のり平風鬼太郎まで登場していて、大人としてはここの遊び心がいちばん愉しかった。更に、2008年初頭に深夜枠で放送され好評を博した、子供向けでないオリジナルの鬼太郎『墓場鬼太郎』ヴァージョンが揃っていれば完璧だったのだが――まあ、やはりさすがにそれは場違いか。

 或いは私が気づかなかっただけで、どこかに隠れている可能性もなきにしもあらず、と思うので、もしこれからご覧になる方があれば、ちょっと注意して捜してみていただきたい。

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