『ブラック・ダリア』
ジェイムズ・エルロイ/吉野美恵子[訳] James Ellroy“Black Dahlia”/translated by Mieko Yoshino 判型:文庫判 レーベル:文春文庫 版元:文藝春秋 発行:1994年3月10日(2006年9月5日付9刷) isbn:4167254042 本体価格:733円 |
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終戦間もない1947年1月25日、ロサンゼルスで、凄惨な暴行を加えられたのち殺害、腰部で両断された女の屍体が発見された。ハリウッドには多い女優志望で、キャスティング・マネージャーたちの目を惹くために黒い服に身を包み、奔放な暮らしを送っていた彼女は間もなく“ブラック・ダリア”の名で呼ばれ、その捜査の行方はロサンゼルス住人の注目を集める。元ボクサーの刑事バッキー・ブライチャートはかつて拳を交え、いまは仕事のパートナーとなったリー・ブランチャードとともに捜査陣に連なるが、やがて“ブラック・ダリア”の魔力は彼らの絆をも侵蝕していった……。アメリカ文学界の狂犬ジェイムズ・エルロイが、実際の未解決事件をベースに描く、“暗黒のLA四部作”第1作。
エルロイ作品初体験である。聞いていたよりも密度が高く、思っていたほど暴力性は感じなかった。だが、人間の暗い部分が放つ瘴気の充満した、特異で熱い作品であることは間違いない。 プロローグでは“ブラック・ダリア”の件は影さえもちらつかず、物語の書き手であるバッキー・ブライチャートと、一種宿命を共にする間柄となるリー・ブランチャードとの最初の縁を描いている。この時点で、物語は彼らの関係性の辿り着くところを決着に選んでいることが解り、少々面食らったが、その流れと事件の展開との絡め方が絶妙だ。恐らくはバッキーもリーも虚構の人物であろうが、本当に“ブラック・ダリア”事件の捜査陣に名前を連ねていたような感覚さえ齎し、どこまでが現実でどこからが虚構なのかが混沌としてくる。読者も登場人物とシンクロして混乱に陥るのは、このあたりの手管によるものだろう。 実際には未解決で終わった事件に対して、物語はいちおうの答を提示しているが、そこに本格ミステリ的な合理性、現実との整合性を期待すると少々物足りなさを覚える。情報がいささか恣意的にばらまかれていて、終章に来て急激に、直観的に回収されている印象があるのだ。フィクションならではの緊迫した成り行きが、やや取って付けたように感じられるなど、全般に整理の悪さが見え隠れする。 ただ、そうした乱雑さが作品の熱気に拍車をかけていることも事実だろう。未整理のままに提示される混沌が、熱病を患ったような感覚に浸らせる。話が進むにつれてバッキーが囚われていく暗黒の、さながら地獄のような熱が行間から滲むようだ。 意外であったのは、その締め括りが前向きであったことだ。これだけ窮地に追い詰められたら結末は悪夢の極地、突き落とされたがゆえの浮遊感でカタルシスに結びつけそうなものだが、曖昧な希望をちらつかせて幕を引いている。あくまでそこにあるのは語り手の願望であるため、報われない可能性もあるのだが、はねつけられる場面を描かないことで、垂れこめた暗雲にひと筋の光明を留めている。僅かに希望が残っているからこそ、却って酷な結末と捉えることも出来よう。 荒削りだが、丹念な取材による確かなディテールはあり、ノンフィクション的な楽しみ方も出来る一方で、フィクションとしての迫力も充分に備えている。並ならぬ膂力を示した、凄まじい傑作だった――今更言うのも何だが。 |
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