原題:“Before Midnight” / 監督:リチャード・リンクレイター / キャラクター創造:リチャード・リンクレイター、キム・クリザン / 脚本:リチャード・リンクレイター、ジュリー・デルピー、イーサン・ホーク / 製作:リチャード・リンクレイター、クリストス・V・コンスタンタコプーロス、サラ・ウッドハッチ / 製作総指揮:ジェイコブ・ペチェニク、マーティン・シェイファー、リズ・グローツァー、ジョン・スロス / 撮影監督:クリストス・ヴドゥリス / 編集:サンドラ・エイデアー / 音楽:グレアム・レイノルズ / 出演:イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー、シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック、ジェニファー・プライアー、シャーロット・プライアー、ゼニア・カロゲロプーロ、ウォルター・ラサリー、アリアネ・ラベド、ヤニス・パパドプーロス、アティーナ・レイチェル・トサンガリ、パノス・コロニス / ディトゥアー・フィルム製作 / 配給:ALBATROS FILM
2013年アメリカ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12
2014年1月18日日本公開
公式サイト : http://beforemidnight-jp.com/
ヒューマントラストシネマ有楽町にて初見(2014/03/05)
[粗筋]
ジェシー(イーサン・ホーク)はギリシャのカラマタ空港で、前妻とのあいだの息子ハンク(シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック)を見送った。いまの妻セリーヌ(ジュリー・デルピー)と、ふたりのあいだに生まれた双子の娘エラ(ジェニファー・プライアー)とニナ(シャーロット・プライアー)とともに招かれ、6週間の休暇を愉しんだのである。
だが、見送ったあと、ジェシーは寂しさと不安を顕わにする。前妻と彼との関係は悪く、長い休暇にしか逢うことが出来ないハンクは、アメリカの少年としては少し柔弱に育っていた。やはり自分もパリからシカゴに越して、近くで生活するべきではないのか。
セリーフは彼の提案に、不快感を示した。自然保護のNPOで活動してきたセリーヌだが、長い時間をかけて進めていた計画が頓挫し、前々から誘われていた政府主導の計画に加わることを考えている。そんな彼女にとって、アメリカに拠点を移すのは望ましくなかった。まして、先鋭的なフェミニストであるセリーヌにとって、自分を家庭に押しこむようなジェシーの発想が許せない。
滞在先に戻る車中でふたりは険悪な雰囲気になるが、うたた寝していた双子の娘が目醒め、ふたりを招いたパトリック(ウォルター・ラサリー)の邸宅に着くと、集まった友人たちとの会話で少し落ち着きを取り戻した。ギリシアでの最後の夜をふたりきりで愉しんで欲しい、という好意で友人たちが取ってくれたホテルへ、肩を並べて向かう。
途切れないふたりの会話はいつしか、出逢った頃と現在、そしてこれからの関係を探りはじめる……
[感想]
まず断言できることがある。内容とは関係なく、これはとても“幸せ”な作品だ。
物語は1995年の『ビフォア・サンライズ 恋人までの
そして本篇は、シリーズの先行作と同様に、全篇ほぼ会話のみで構成されている。そのなかで、背景について説明するような台詞はほとんどない。観客はひたすら、ふたりを中心とするひとびとの会話の端々にちらつく情報から、登場人物たちがどんな関係で、どんな境遇にあるのか、ということを推測しなければならないわけだ。そこが若干敷居が高い、という捉え方も出来ようが、基本的に話の趣旨はシンプルだ――友人たちと食卓を囲んで語る内容はしばしば文学的、思索的だが、それでも主な話題は男女の性愛や人間関係、家族関係だ。彼らの立ち位置は平凡ではないが、口々に漏らす感慨は決して浮き世離れはしていない。
そうして本篇は、ほぼ会話のみで、あの劇的だが現実的なロマンスによって結ばれた男女が、当然のように迎えた危機を、極めて生々しく浮き彫りにする。
巧みなのは、ジェシーもセリーヌも、彼らが語り合う友人たちもおおむね知的で、豊富な語彙を用いて含蓄のある会話をする。文学や彼らの感性について、或いはギリシアの景観や歴史について語る姿には詩情があり、ロマンティックで美しい、ということだ。そのくせ、いったん互いの仕事や、生活について採り上げると、途端に生々しさを帯びる。それまでは理性的に、しかしその会話の醸しだす空気に身を委ねていたはずなのに、にわかに水底に足を置いて水面から身体を乗り出すかのように、現実の乾いた空気に全身を晒す。
説明だけすると艶消しでしかないようなこんな語り口が許され、そしてやり遂げられるのは、本篇に繋がる2作品いずれも、ロマンティックな状況を捉えながらも、この感情を維持し、自らの生活と折り合いをつけていくことの難しさを自覚した会話を繰り広げていたからだ。その延長上にあるのだから、スタッフたちが安易な幸福、現実をまるで無視した空想に酔うはずがない。
また彼らだからこそ、この現実的な物語をただ興醒ましなままにはしない。ギリシアの美しい風景や、多くの悩みを抱えるふたりをくつろいで受け入れる友人たちとの交流を緩衝材に、極めて真摯で誠実な、現実に対する考察を繰り広げる。観客に水をぶちまけるようなことはせず、静かに穏やかに現実を浸透させていく。
とは言っても、さっきまで甘い雰囲気だったものが、僅かなきっかけで急に険悪になる様はなかなか強烈ではある。そこに至る伏線がちゃんと仕掛けられてあるから、ふたりの感情の変化は決して唐突ではないし、この急転直下ぶりも納得がいく。無軌道な会話のように見せかけて、非常に計算された組み立てが、観客の感情をも巧みに誘導しているのである。
こうした巧妙さは本篇だけ鑑賞しても理解できるはずだが、面白いのは、旧作を観ていると更に掘り下げて鑑賞することが出来る点だ。出来事や細かな会話は必ずしも旧作と密接に絡んでいるわけではないが、しかしたとえばジェシーが語る家族の事情、セリーヌがこだわる福祉活動など、1作目から連綿と続いている描写については、ふたりの生き方にある種の一貫性があると共に、否応なく変化も求められていることが窺える。非常に理性的で厳しいものの見方が出来る彼らだが、それでも若い頃には情熱をかけることが出来たものが、いつしかそれでは済まなくなっている。以前も取り沙汰されていた生活の拠点の問題が、加齢と共にいっそう生々しくなっていることは、本篇の会話だけでも明瞭だが、旧作と並べるといっそうに現実味を帯びる。
しかしそれでも、理想を求める意志はある。何度も諍いながら、懸命に歩み寄ろうとし、お互いが常に抱き続けている愛情に見合う快さを得よう、と努力する姿が見える。その痛ましいほどの試行錯誤がはっきりと窺えるから、通う想いに真実味が感じられるのだ。とても鋭く痛烈な内容で、いちおうは綺麗に締めくくっているが、観る者が年輪を得ているほどに、この結末には暗さ、苦さを感じずにはいられない。このあと、より醜悪な修羅場を演じている可能性だって充分にあるし、登場人物にとっては受け入れがたい、不幸な顛末を迎えても不思議ではない。だが、そう解釈してさえ、不思議と本篇の結末は暖かく、優しいのだ。
努力にも拘わらず、彼らは破局を迎えるのかも知れない。しかし、それもまた人生だろう。宣伝においては“最終章”を謳い、監督も続篇については明言していないが、別れるにせよ、妥協を重ねて寄り添い続けるにせよ、手を取りあいこのシリーズを築きあげてきた監督、主演のふたりは、また9年後に語ることを選ぶ可能性はありそうだし、もし発表されたとしても、本篇に接した観客はきっとふたたび彼らに逢いに行くはずだ。
だからこそ、これは“幸せ”な作品なのである――18年の時間の経過を描くことが許され、製作者たちの豊かな成長を刻みこんで、更に“先”を待ち望んでもらえるのだから。こんなシリーズは恐らく、そう簡単には生まれない。
関連作品:
『ビフォア・サンライズ 恋人までの
『パリ、恋人たちの2日間』/『血の伯爵夫人』
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