原題:“Contagion” / 監督:スティーヴン・ソダーバーグ / 脚本:スコット・Z・バーンズ / 製作:マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェア、グレゴリー・ジェイコブス / 製作総指揮:ジェフ・スコール、マイケル・ポレール、ジョナサン・キング、リッキー・ストラウス / 撮影監督:ピーター・アンドリュース(スティーヴン・ソダーバーグ) / プロダクション・デザイナー:ハワード・カミングス / 編集:スティーヴン・ミリオン,A.C.E. / 衣装:ルイーズ・フログリー / 音楽:クリフ・マルティネス / 出演:マリオン・コティヤール、マット・デイモン、ローレンス・フィッシュバーン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ、ケイト・ウィンスレット、ブライアン・クランストン、ジェニファー・イーリー、サナ・レイサン、ジョシー・ホー、チョイ・ティンヤウ、モニーク・ガブリエラ・カーネン、ダリア・ストロコウス、ジョン・ホークス、アルミン・ローデ、ラリー・クラーク、アナ・ジャコービー=ヘロン、ディミトリ・マーティン、エリオット・グールド、エンリコ・コラントーニ、ジム・オルトリーブ、カーラ・セディカー / 配給:Warner Bros.
2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:松浦美奈
2011年11月12日日本公開
公式サイト : http://www.contagion.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2011/11/18)
[粗筋]
ミッチ・エムホフ(マット・デイモン)は出張中の妻ベス(グウィネス・パルトロウ)に電話をかけた際、彼女が咳き込むのを聞いた。やがて帰宅したとき、ベスは具合が悪そうだったが、はじめはただの風邪だと思っていたのである。しかし、手が正常に動かない神経症状を発した直後、ベスは昏倒し、病院に搬送されて間もなく息を引き取った。現実が受け入れられないあいだに、自宅で息子を預けていたベビーシッターから連絡が入り、急いで帰宅するが、息子も既に呼吸を止めていた。
この時点で既に、各地で極めて重篤な感染症の報告が相次いでいた。世界保健機関はベスが判明しているなかでの第1感染者である可能性が高いと判断、レオノーラ・オランテス博士(マリオン・コティヤール)をベスが感染したと思われる出張先、香港に送りこんで、感染源の特定を図る。
一方で、アメリカ疫病予防感玲センター=CDCも、驚異的な感染の広まりに反応して、行動を開始した。エリン・ミアーズ博士(ケイト・ウィンスレット)が感染症調査官として、ベスが帰国後接触していた人々に聴取を行い、事前に感染拡大の危険が高い地域を予測、感染者の隔離と収容が可能なインフラの確保に奔走する。
だが、その正体すら判然としないこの感染症の拡大ペースは、専門家たちの必死の活動を嘲笑うかのように世界各国を侵蝕していく。そんななかで、アラン・クラムウィディ(ジュード・ロウ)というフリー・ジャーナリストのブログがにわかに注目を集めはじめていた。彼はちょうどアメリカでの第1感染者ベス・エムホフと時を同じくして、日本で発症した男性の映像を紹介したことで既に耳目を惹いていたが、その報告を新聞に売り込んでも採り上げられなかったため、独自に取材を続けていたのである。CDCから今回の感染症のもととなるウイルスの分析を依頼されていたカリフォルニア大学のサスマン教授(エリオット・グールド)から詳しい情報こそ得られなかったが、クラムウィディはある確信を得て、情報を発進していく……
[感想]
ウイルスが拡散していく恐怖を描いた映画は多い、が、ウイルスそのものの怖さ以上に、それを起点とした根拠のない不安や恐怖そのものを、ここまでリアルに描いた映画、というのは珍しいように思う。
序盤は、ウイルスを題材とした映画の王道を行く展開をしていく。同時多発的に発覚し、次々と倒れていく感染者たち。事態を察した専門家が動き始めると、彼らと第1感染者の家族の視点を交互させながら、感染が急速に拡大していくさまを淡々と描き出す、その筆致が静かな恐怖を齎す。
しかし、ある程度恐怖が浸透したあと、そこからが本篇の本領と言っていい。蔓延した恐怖と、そのなかで各人が自らの立場のなかでどう振る舞うのか。そうして滲み出すのは、ウイルスを起点としながらも、むしろ人間が自らの言動、或いは他人の行動に対して抱く、醜くも生々しい感情だ。
最初の感染者にいちばん近いところにいながら発症しなかった、遺伝的に抗体を持っていた可能性のあるミッチ・エムホフは、しかし娘にもそれが遺伝した、という確証が得られないために、娘を可能な限り外部の人間から遠ざけようとする。CDCの責任者として、厳格な判断を要求される立場にあるエリス・チーヴァー博士(ローレンス・フィッシュバーン)は、しかし有能な部下や恋人を、優先的に扱おうとする。どちらも、仮に自分がその立場にあれば、と想像してみれば、決して不自然ではない。しかし、それが世間に対する罪悪感に結びつき、実際、後者はある成り行きによって糾弾される状況に陥ってしまう。あり得ることだが、自然な感情までがしばしばスケープゴートにされてしまう、凶暴化した群集心理に恐怖を覚える。
だがこの作品において、最も優れた着眼点は、ブログを中心にゲリラ的な情報発信を行うフリー・ジャーナリストの存在である。インターネットが大いに発達した現在、こういうタイプのジャーナリストは確かに存在しており、どうしても印刷や放送枠といった規制によって縛られ、情報発信までにタイムラグの生じる既存のマスメディアよりも活躍する場面も見受けられるようになった。しかし他方で、速報性にばかり注目され、情報の内容、質が精査されないまま発信され、しばしば憶測や誤った情報が、さも真実であるかのように拡散されてしまうケースがある。本篇におけるフリー・ジャーナリスト、アラン・クラムウィディはまさにこの極端な類例となっている。特ダネのつもりで持ち込んだYou Tubeの投稿画像が事実上ボツになったことがきっかけで、独自に取材を行う、という序盤の流れはまだいいのだが、公的機関から詳しい発表が行われないことを理由に陰謀説を唱え、独自に“発見”した特効薬の存在を喧伝して、結果的にパニックの最初の引き金を引いてしまう、という流れは、こうしたネット発信の情報の有効性と危険性とを見事に抉り取っている。
この一連のくだり、日本においては先の東日本大震災以降散見されており、苦笑いを禁じ得ない人も少なくないはずだ。本篇の制作時期から推察すると、脚本は昨年のうちには完成していたと考えられ、決して日本の出来事を想定して執筆したわけではないだろう。だが、だからこそ本篇が緻密に“起きうる出来事”をシミュレートして製作していることが実感できる。
疫病の爆発感染を題材とした多くの映画と異なり、本篇は病に冒された人々の壮絶な姿や、それに対する恐怖に焦点を合わせてはいない。その代わり、ひたすらに起きうることの怖さと、その中での人々の決してヒロイズムに因らない行動を抽出し続ける。
アカデミー賞受賞者、ノミネート経験者揃いの豪華なキャストを召集しているが、決して贅沢さを演出しようとしたわけではなく、本篇にはそれだけの演技力が必要だった。ミッチやチーヴァー博士の出番は比較的多めだが、他の人々の出番は決して多くはない。そのなかで、彼らの言動に説得力を齎すためには、緻密なリサーチだけではなく、短い尺のなかで見せる表情、振る舞いにリアリティがなければならない。これだけ名優揃いだからこそ、多くのホラー映画のような悲鳴や鮮血に彩られていないパニックの様子を観客に実感させる。そして、パニックを踏み越えたあとで見せる、心が穏やかになった一瞬の行動が、観るものを震わせる。退場間際のミアーズ博士の仕草や、ラストでミッチ、チーヴァー博士、それぞれが見せる行動に、心が安らぐような想いを抱かされるのは、それだけ描写がしっかりしていることの証明だろう。
いちおう最後の最後に、感染のきっかけについては描かれるが、それは決して重要ではない。本篇は現実に起こりうる出来事を緻密に描き出し、一般のホラー映画では逆に表現出来ない恐怖と、それに対する反応を感じさせることに意欲を注ぎ、見事に達成した作品なのである。観ていて決して愉しい、とは感じないが、ひたすらに興味深く、向かい合う人それぞれに感じるところの多い、奥行きのある1本である。とりわけ日本人は、いま観ておいて損はないはずだ。
関連作品:
『インフォーマント!』
『28日後…』
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『キャビン・フィーバー』
『パンデミック・アメリカ』
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