原題:“North by Northwest” / 監督&製作:アルフレッド・ヒッチコック / 脚本:アーネスト・レーマン / 撮影監督:ロバート・バークス / タイトルデザイン:ソウル・バス / プロダクション・デザイナー:ロバート・ボイル / 編集:ジョージ・トマシーニ / キャスティング:レオナルド・マーフィ / 音楽:バーナード・ハーマン / 出演:ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイント、ジェームズ・メイソン、ジェシー・ロイス・ランディス、マーティン・ランドー、レオ・G・キャロル、エドワード・ビンズ、ロバート・エレンスタイン / 配給:MGM / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1959年アメリカ作品 / 上映時間:2時間17分 / 日本語字幕:岡枝慎二
1959年9月26日日本公開
2010年7月14日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2010/11/24)
[粗筋]
ニューヨークで広告代理店を営むロジャー・ソーンヒル(ケイリー・グラント)にとって、その日もいつも通りありふれた日常を送るはずだった。秘書を送り、滞在中のホテルに戻り、友人たちと歓談し、そしてトイレのために中座する。だが、席を立って間もなく、彼の日常は暗転する。
突如、脇腹に銃口を突きつけられ、ロジャーが連れ去られたのは一軒の広壮な住宅であった。主らしき男はロジャーを“ジョージ・カプラン”と呼び、命のやり取りさえ仄めかす話をし始める。困惑し、人違いだと訴えても相手は一切聞き入れなかった。
協力を拒み続けたロジャーは、彼を拉致した男たちによって酒をしこたま呑まされ、車に乗せられる。酒酔い運転で事故死を装う魂胆だったようだが、ロジャーは泥酔状態ながらどうにか車を運転し、パトカーの絡む追突事故を誘発、地元署に連れて行かれた。
翌る朝、法廷にかけられたロジャーは、自らが見舞われた奇禍を訴える。ロジャーは警察を従え、昨日彼が連れこまれたレスター・タウンゼンドという人物の館に赴くが、邸内にはロジャーが証言したような痕跡は一切残っていなかった。彼らを出迎えたタウンゼンドの妻を名乗る女は、ロジャーがタウンゼンドの友人であり、泥酔してやって来て、泊まっていくよう忠告したのを無視して帰った、と言う。そんなことはない、とロジャーがいくら訴えようと、警察も弁護士も、彼の母でさえももはや聞く耳を持たなかった。
だが、どうしても納得のいかないロジャーはホテルに戻ると、策を弄して、自分が間違えられた“ジョージ・カプラン”という人物の滞在する部屋に忍びこむ。どうやら誰もカプランという人物を目撃したことがない、と察したロジャーは、タウンゼンドが勤めているという国連本部に向かい、タウンゼンドを呼び出したが……
[感想]
……何一つ、間然するところがない。
いや、さすがに“古さ”は否めないのだ。あまりに正統派の“芝居”は現在の主流と比較するとやはり臭みが鼻につくし、スリリングな場面で不自然な填め込み合成映像を眼にすると苦笑を禁じ得ない。重要な舞台がおおむね書き割りであることも、大時代的な印象を受ける。
だが、欠点や引っ掛かる部分はそうした、技術の進歩や表現の変化によるものばかりで、そのあたりを許容すれば、“完璧”という言葉を用いることに躊躇すら感じないほど見事な作品だ。
全篇クライマックス、という表現を時折見かけるが、本篇はそれに近い。いきなりトラブルに巻き込まれ、最後まで息を吐く暇がほとんどないのだ。まったく状況の判然としないままに命の危険に晒され続けるロジャー同様、なかなか事態を把握出来ず五里霧中の中に放り出された観客もまた、物語に振り回される。
これは同じヒッチコック監督の『裏窓』にも言えることだが、畳みかけるような謎と緊張で観る者を惹きつけながら、随所にそののちの出来事に影響するような伏線を細やかに織りこんでいるのが巧い。やがて殺人の嫌疑を掛けられながらも、なおもカプランの正体を探り汚名を雪ごうとするロジャーが乗り込んでしばらく、ちょっとした小休止のようなくだりがあるが、ここでのさり気ない描写がかなりあとになって効いており、いざその場面に遭遇すると、あまりに自然な手捌きに感嘆するほどだ。
これも『裏窓』や、のちに登場するサスペンスの名品『スティング』にも共通する点として、本篇で用いられた趣向の多くはもはや定番と化しており、仕掛けのふんだんに用いられた昨今の映画、フィクションに馴染んだ観客なら、見抜ける部分も少なくない。だが、普通ならここで幕を引いてもいい、というタイミングで更に新たな展開に至り、映画の尺が尽きるラスト1分まで予断を許さない、という作品など、近年も稀だ。そこまで引っ張ってもあざとさがなく、完結した瞬間、軽やかに欺かれたという快感さえ覚えるのだから、ただただ恐れ入る。
斯様に緊密に作られながら、観客が息を吐く余裕、ユーモアをそっと仕込んでいるのがまた憎らしい。たとえばロジャーと母との関係や、列車から脱出する際の出来事、クライマックス手前で閉じ込められているロジャーが壁伝いに隣の部屋に侵入した際の軽いひと幕など、快い弛緩がそのあとの張り詰めた空気に観る者をいっそう没頭させてくれる。
無理の多い合成ゆえにわざとらしくなっている活劇の数々に、もしいまの撮影技術があればどれほど迫力があったか、と惜しい気も一瞬するのだが、いやいや、むしろその“緩み”もまた、物語全体の異様な緊迫感を程よく和らげているとも考えられる。仮に後年、才能ある映画監督が見事にリメイクを成し遂げることがあったとしても、当時の大らかな空気を纏ったこの豊かな味わいはいつまでも愛されるに違いない。
関連作品:
『裏窓』
『ローマの休日』
『ベン・ハー』
『激突!』
『スティング』
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