『オードリー・ヘプバーン』

TOHOシネマズシャンテが入っているビル外壁にあしらわれた『オードリー・ヘプバーン』キーヴィジュアル。
TOHOシネマズシャンテが入っているビル外壁にあしらわれた『オードリー・ヘプバーン』キーヴィジュアル。

原題:“Audrey” / 監督&脚本:ヘレナ・コーン / 製作:ニック・ターシグ、アナベル・ウィグオーダー / 製作総指揮:フィル・ハント、コンプトン・ロス、ルーシー・フェントン、ナイト・ボロトン、タミール・アルドン、ポール・ヴァン・カーター、イアン・バーグ、アビオ・マジッド、レイノルド・ディシルヴィア / アーカイヴ・プロデューサー:ジャッキー・ラムザミー / 撮影監督:シモーナ・サスネア / 編集:マーク・カーディ / 音楽:アレックス・ソマーズ / 音楽スーパーヴァイザー:デヴィッド・フィッシュ、ルパート・ホーリアー / 振付:ウェイン・マクレガー / バレエダンサー:アレッサンドラ・フェリ、フランチェスカ・ヘイワード、キーラ・ムーア / 出演:オードリー・ヘプバーン、ショーン・ヘプバーン・ファーラー、エマ・キャサリン・ヘプバーン・ファーラー、クレア・ワイト・ケラー、リチャード・ドレイファス、ピーター・ボグダノヴィッチ、アンナ・カタルディ / サロン製作 / 配給:STAR CHANNEL MOVIES
2020年イギリス作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:佐藤恵子
2022年5月6日日本公開
公式サイト : https://audrey-cinema.com/
TOHOシネマズシャンデリアにて初見(2022/5/12)


[粗筋]
 1953年、ハリウッドに忽然と、スターが降臨した。ウィリアム・ワイラー監督によるロマンス『ローマの休日』に大抜擢された新人女優が、初主演にしてアカデミー賞主演女優賞を獲得する、という快挙を成し遂げたのである。
 その名は、オードリー・ヘプバーン。それまでの大スター、エリザベス・テイラーともマリリン・モンローとも異なり、気品と透明感のある佇まいは、視界に衝撃をもたらし、観客に新鮮な驚きを与えた。以降も『麗しのサブリナ』、『戦争と平和』、『パリの恋人』と優れた作品に出演、その地位を確固たるものにする。
 その愛らしく美しい容貌と、気品のある言動で人気を博した一方、絶頂期のオードリーはプライヴェートについて多くを語らなかった。出演作で安定評価と人気を獲得しながら、1967年の『いつも2人で』『暗くなるまで待って』を最後に、露出を大幅に減らしたのちも、その私生活は謎に包まれていた。
 オードリーが秘めていた出生について語るようになったのは、1988年、縁あってユニセフの親善大使に任命されて以降のことだった。ユニセフの活動のPRと、その資金援助を多く募るために、オードリーは初めて積極的に公の場に姿を現し、自らの過去を口にするようになった。
 彼女は本物の貴族の血筋を引いて生まれた。父ジョセフは貴族に憧れるオーストリア系のイギリス人に過ぎなかったが、母エラはファン・ヘームストラという姓を受け継ぐオランダ貴族の末裔だった。しかし夫婦仲は当初から良好ではなく、オードリーが6歳の頃、父は家を出て行く。母もオードリーの容貌を悪し様に罵り、彼女は愛された記憶のない幼少時代を過ごす。
 母に伴われオランダに帰国したオードリーは、学校に通い、バレエを学び始めた。だがオードリーが11柴を迎えた1940年、ナチス・ドイツがオランダを占領する。伯父が処刑され、親族も強制収容所に送りこまれるなか、オードリーはレジスタンスの活動に協力した。子供が疑われにくいがゆえに、メッセンジャーの役割を担い、資金調達のため闇でバレエの公演に加わった。戦況は日々悪化していき、終戦を迎えた頃のオードリーは、他の子供たちと同様、栄養失調の状態だったという。
 戦いから解放されたオードリーは、ふたたびバレエのレッスンに臨んだ。しかし、数年間のブランクは他の練習生との実力差を広げ、「バレエは続けられるが、プリマにはなれない」と指摘されてしまう。そこでオードリーは、バレエで培った表現力を活かすべく、演技の道へと進む。端役で映画に出演した頃のオードリーにとって、俳優という仕事は当初、生活の糧を得る手段に過ぎなかった。
 だが、ひとつのオーディションが、彼女の運命を大きく変える。それこそ、彼女の存在を世界に知らしめた『ローマの休日』であった――


[感想]
 未だにオードリー・ヘプバーンは映画ファンから愛され続けている。彗星の如くデビューし、当時の優れた監督らと一時代を築く話題作、映画史に残る名作に幾つも出演、その存在を映画史に深く刻みつけた。それが決して一過性でなかったのは、本篇の公開から1週間後の5月19日、初主演作『ローマの休日』が新しい吹替を収録のうえ地上波のゴールデンタイムに流され、好評を博したことでも明白だろう。
 だがその一方で、俳優として積極的に活動した期間は短い。15年ほどで露出を大幅に絞り、引退も同然の状態になってしまった。その後、ユニセフ親善大使に就任したあたりから、意識的に広告塔として活動、それまで触れることのなかった過去も語るようになっていったというが、恐らくリアルタイムで関心を抱いていたひとぐらいしか当時の話には接していないだろう。
 本篇はそんな彼女の生涯を、様々な記録や証言と共に、網羅的に描いている。
 一風変わっているのは、こうした著名人についてのドキュメンタリーはしばしば、他の著名人が証言者として顔を連ね、交友関係のショーケースになりがちだが、本篇は家族やごく親しい友人を中心に取材している。
 だがそれゆえに、ほんとうにプライヴェートに踏み込んだ印象が強い。そして、浮かび上がってくるオードリーの素顔は、驚くほどに親しみやすく、繊細だ。
 親善大使時代に自ら語ることが増えていったとはいえ、それでもここで綴られるオードリーの『ローマの休日』以前の生い立ちには驚きが多い。バレエを学びながら戦争によって中断を余儀なくされ、そのことがプリマになる道を閉ざし、俳優への方向転換のきっかけとなった。ファシストとなって家族を顧みなかった父、自分に対して冷淡だった母と、安らぎのない家に育ち、戦争中にはレジスタンスの伝令という危険な任務に駆り立てられ、終戦前後には極度の飢餓状態も味わった。
 こうした幼少時の辛い記憶はそのまま、名声を得てからの彼女の行動に大きな影響を与えていたことが本篇からは窺える。伴侶との関係が冷え切っていても、子供のために家庭を守ろうとした。穏やかな日常を送るために、メディアの目が届かないよう国境を越えて居を移す。そして晩年の、ユニセフ大使としての精力的な活動と、自らの壮絶な過去を意識的に告白する行為は、現在進行形で戦禍に苦しめられる子供たちを救うため、少しでも彼らに関心を寄せて欲しい一心から出ていた。
 本篇から透け見えてくるのは、オードリー・ヘプバーンという女性の逞しさだ。これほど過酷な来歴を経ていれば、スレたところや世を儚む言動があっても不思議はないが、終戦し衣食への不安が少なくなると、オードリーはすぐさまバレエのレッスンを再開する。もうプリマは難しい、という現実を知るや、生計を立てるために芝居の道へと入っていく。自身は決して役者志望ではなかったが、バレエで培った表現力は間違いなく映画の世界で花開く才能を育んでおり、スターとなってからも彼女はこの蓄積を大いに役立てた。名声を得ながら、あっさりと身を引いたことも、一転してユニセフの活動のために自らの過去をさらけ出したことも、自らの理想のために果然とした行動に出る強さを証明しているように映る。
 彼女の容姿が、それまでにはなかった繊細で透明感のある美しさを素地としていたことも、オードリーを類のない映画スターに押しあげたのは間違いない。しかし、未だにその作品が愛され、敬意と共にその人柄が語られるのは、壮絶な生い立ちのなかで得た強さと優しさ、それでいて決して名声に執着せず平穏な暮らしを望んだ親しみやすさがあったからだろう。
 決して恵まれない幼少期ゆえに、オードリーは愛されることを強く望んでいた、と親しい人びとは劇中で語る。だが、映画界で名声を得てもなお、求めていた愛情に満たされることはなかった。だが、その体験がスクリーンの中で衰えぬ輝きを放ち続ける魅力を彼女に与えるとともに、親しいひとや苦しむ子供たちへの大きな愛の源泉となった。
 映画としての工夫は、オードリーの来歴に合わせるように、3世代のバレエダンサーが踊る映像を挿入している点だけで、基本的には生前の記録や、周囲の人びとのインタビューを、概ねオードリーの人生の時系列に添って連ねていくシンプルな構造だ。しかしそれゆえに、彼女のほんとうの姿が体感出来るような作りだ。そして、オードリー・ヘプバーンという、恐らくは今後も2度とは現れることのないスターを、更に愛さずにはいられなくなる。彼女の魅力をもっとも相応しいかたちで伝えるドキュメンタリーである。


関連作品:
ローマの休日』/『麗しのサブリナ』/『パリの恋人』/『昼下りの情事』/『ティファニーで朝食を』/『シャレード』/『いつも2人で
スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち』/『容疑者、ホアキン・フェニックス』/『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』/『サラの鍵』/『ジョジョ・ラビット』/『異端の鳥』/『ピラニア リターンズ

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