原題:“The Kite Runner” / 原作:カーレド・ホッセイニ(ハヤカワepi文庫・刊) / 監督:マーク・フォースター / 脚本:デヴィッド・ベニオフ / 製作:ウィリアム・ホーバーグ、ウォルター・パークス、レベッカ・イェルダム、E・ベネット・ウォルシュ / 製作総指揮:シドニー・キンメル、ローリー・マクドナルド、サム・メンデス、ジェフ・スコール / 撮影監督:ロベルト・シェイファー,ASC / プロダクション・デザイナー:カルロス・コンティ / 編集:マット・チェルシー,A.C.E. / 衣装:フランク・フレミング / 音楽:アルベルト・イグレシアス / 出演:ハリド・アブダラ、ホマユーン・エルシャディ、ゼキリア・エブラヒミ、アフマド・ハーン・マフムードザダ、ショーン・トーブ、アトッサ・レオーニ、アリ・ダネシュ・バクティアリ、サイード・タグマウイ、ナビ・ターナ、アブドゥル・カディール・ファロク、アブドゥル・サラム・ユスフザイ、エラーム・エーサス / 配給:角川映画
2007年アメリカ作品 / 上映時間:2時間9分 / 日本語字幕:松浦美奈
2008年2月9日日本公開
2009年6月19日DVD日本最新盤発売 [bk1/amazon]
公式サイト : http://eiga.com/official/kimisen/
DVDにて初見(2009/10/28)
[粗筋]
2000年、アメリカ。念願の作家デビューを果たしたアミール(ハリド・アブダラ)のもとに、懐かしい人から電話がかかってきた。亡き父・ババ(ホマユーン・エルシャディ)の友人であり、幼いアミールに物語を書き続けるきっかけを与えてくれた恩人、ラヒム・ハーン(ショーン・トーブ)である。現在パキスタンにいるという彼が、病を患い、自分に会いたがっていることを知ったアミールは、キャンペーン・ツアーを断って、中東の地へと赴く。
――幼少時代のアミール(ゼキリア・エブラヒミ)が暮らしていた頃のアフガニスタンは、まだ牧歌的な雰囲気を留めていた。深い絆を築いた召使いハッサン(アフマド・ハーン・マフムードザダ)を相手に、創作した物語を語り聞かせ、来たる凧合戦で勝利を収めるために、日々特訓を続けていた。
だが、アミールとハッサンが念願叶って凧合戦で勝利した日、ある事件が起きる。毎日離れることのなかったふたりが、この日を境にすれ違いを繰り返すようになる。最終的にハッサンは父であり、ババと幼馴染みの関係であるアリ(ナビ・ターナ)に連れられて、屋敷を出て行ってしまった。
ハッサンと仲直りする機会を得ることもなく、アミールは運命の日を迎えた。ソビエト連邦軍が、アフガニスタンに侵攻してきたのである。命の危険を感じたババはアミールを連れて国を脱出、アメリカに亡命する。
本国での贅沢な暮らしぶりが嘘のように、倹しい生活を強いられながらも、アミールは大過なく成長し、とうとう幼い日の夢を叶えた。そんな彼をおよそ20年振りに中東の地に導いたラヒム・ハーンは、驚くべき真実を告げる……
[感想]
現代の人間にとって、アフガニスタンといえば、長年続く中東の紛争の中心であり、最も危険な土地、というイメージが強い。だが、考えてみれば当然ながら、そんなアフガニスタンにも平和な時代はあった。それも決して大昔の話ではない。上の粗筋にもあるように、ソ連軍の侵攻以前はまだ、発展途上ながら極めてのどかな雰囲気のある国だった。
本篇は、あまり映画では触れられることのなかった、幸福な時代のアフガニスタンと、それから20年以上の時を経て見るも無惨に汚された同じ土地の姿を対比させ、かの地が如何に荒廃していったのか、人々がどれほどの絶望を突きつけられたのか、を克明に描き出している。
人種差別や、のちの悲劇に繋がる不穏な気配は漂わせているが、基本的に本篇序盤のトーンは牧歌的でさえある。かなり粉じみた土地柄だがちゃんと樹々は生い茂っているし、特に凧合戦の場面は勢いを漲らせつつものどかなムードを湛えている。
それが2000年、アミールが再訪したときには、ソ連軍によって木を切り倒されたために景色は荒涼とし、漂う匂いでさえ変わっている。警戒するタリバンの不興を買わぬよう、目を合わせるな、と主人公は忠告されるが、結果として街並には人の姿も乏しく、歩く者はろくに顔も上げない。前半でカブール往年の活気を描写しているからこそ、その陰鬱さが際立っている。
アフガニスタンのそんな歴史的な変遷が、アミールとハッサンの関係の変化と重ねて描かれているのが絶妙だ。はじめからぼんやりと存在していた不穏な気配は、凧合戦直後の事件を境に急激にふたりの関係を、アフガニスタンの平穏な日々を蝕んでいく。やがてアミールは父と共にアメリカに逃れるが、そこでの暮らしぶりはアフガニスタンからのごく一般的な亡命者、難民の姿を象徴しているように感じられる。アメリカという国の持つ雰囲気に染まりながら、祖国て抱えていた習慣や矜持を捨てることは出来ない。
忘れようとして忘れることが出来ない、拭いがたい古傷、という筆致が、そのままアミールにとってのハッサンの記憶と重なる。だから、物語がふたたびプロローグに舞い戻り、意外な事実が判明することで、およそ20年振りに、今や危険で満たされた郷里にわざわざ赴くという行動に絶好のモチベーションとなっているのだ。
ドラマとして眺めたとき、実は重要なポイントとなっているのが、アミールとハッサンを引き裂いた事件の内容である。最初はあそこまで生々しく凄惨な目に遭わせなくとも、と思うかも知れないが、それ自体がうまく物語の主題、性質を象徴すると同時に、ある意味通底する悲劇が時を経て、ハッサンの息子にも起きていることで、アミールに彼自身の罪を償う機会を与えている。御都合主義ではあるが、決してあり得ない話ではないし、だからこそ本篇のクライマックスは強く胸を打つ。
原題は、ハッサンがアミールのために凧の回収をすることを差した言葉だが、まるっきり別の言葉のように響く邦題も、そんな彼らの行動と無縁ではない。作中、最も印象的な場面で反復されるこの台詞は、いささか芝居がかっているが、それ故にとても丁寧に構築された作品世界をも簡潔に象徴している。
未だ解決されない悲劇の上に成り立ち、物語の上でも決着はしていないが、そこにひと匙の救いを見出させてくれる、上質のドラマである。
関連作品:
『チョコレート』
『ネバーランド』
『25時』
コメント