『フィースト2/怪物復活』

『フィースト2/怪物復活』

原題:“Feast II : Sloppy Seconds” / 監督:ジョン・ギャラガー / 脚本:パトリック・メルトン、マーカス・ダンスタン / 製作:マイケル・リーヒイ / 製作総指揮:ボブ・ワインスタインハーヴェイ・ワインスタイン、クリス・ムーア / 撮影監督:ケヴィン・アトキンソン / プロダクション・デザイナー:エルマンノ・ディ・フェボ=オルシニ / 視覚効果スーパーヴァイザー:ケヴィン・オニール / 編集:マルコ・ヤコボヴィッツ / 衣装:ジュリア・バーソロミュー / 音楽:スティーヴン・エドワーズ / 出演:ジェニー・ウェイド、クルー・ギャラガー、ダイアン・ゴールドナー、トム・ギャラガー、カール・アンソニー・ペイン2世、マーティン・クレバ、ジュダ・フリードランダー、ウィリアム・プラエル / ライヴプラネット製作 / 配給:TORNADO FILM

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間37分 / 日本語字幕:加藤真由

2009年6月27日日本公開

公式サイト : http://www.feast2-3.com/

新宿バルト9にて初見(2009/07/03)



[粗筋]

 ……テキサスの片隅にある酒場で繰り広げられた阿鼻叫喚から、一夜が明けた。

 見る影もなく朽ち果てた酒場に現れたのは、バイカー・クイーン(ダイアン・ゴールドナー)。彼女は犬がくわえていた手首に、双子の姉ハーレー・ママの刺青があったことで、肉親の身にとんでもない災厄が訪れたことを知った。バイカー・クイーンはどうにか身を潜め息の合ったバーテン(クルー・ギャラガー)を発見、途方もない一部始終を聞き出す。彼女は酒場を襲った化物よりも、ハーレー・ママを囮に使った無慈悲な男に憤り、生きて逃げたらしいそいつを追うことを決意する。バーテン以外の生存者を乗せたトランザムが向かったのは、近くにある小さな街。

 その頃、酒場を襲撃した化物たちは、まるでトランザムを追ったかのように、問題の街に押し寄せていた。各所に身を潜め、或いは閉じ込められ、或いは閉じこもり、猛威が過ぎ去るのを待つなか、バイカー・クイーンとその仲間のアマゾネスども、そしてカーナビ代わりに積み込まれたバーテンたちが街に現れる。

 この狂った事態のなか、果たして何人が生き延びることが出来るのか……?

[感想]

 マット・デイモンベン・アフレックが主催したシナリオ公募にて入選、実際に映画化された作品『ザ・フィースト』は、一部のマニアを熱狂させた。画面が真っ赤に染まっている、と感じるほど凄惨な描写の数々に、モンスターを中心とするホラー映画の定石をことごとく裏切る展開。凶悪だが、あまりの理不尽さに笑ってしまう、という異様な感覚を齎す怪作であった。本篇は前作終了直後からの出来事を描いた続篇である。

 前作で徹底的にお約束を破壊したあとで、これ以上手をつけられるところはないのではないか、と危惧していたが、なかなかどうして、まだやりようがあったようだ。前作が郊外の一軒家を舞台にしたホラーのヴァリエーションなら、本篇はジョージ・A・ロメロ監督『ゾンビ 』を思わせる、怪物の猛威に晒された街のなかで、1箇所に閉じこもった人々の内部に生じる軋轢や葛藤を、極めて露悪的に描いている。

 ホラー映画自体、良識がある、と思いこんでいる人々にとっては、およそ見るに堪えない代物だろうが、しかし本篇が笑えるのは、登場人物たちの言動に決して不自然さはないからだ。口では大きなことを言っているわりには怪物を前に無力だったり前言をあっさり撤回したり、なまじのホラー映画などより反応はよほどリアルだ。リアルだからこそ、笑いに繋がる。無自覚であればその滑稽さに素直に反応できるだろうし、自覚していれば自嘲的な笑いが込みあげてくる。ホラーを題材にしたブラック・ユーモアとしては実に徹底した完成度を示している。

 惜しむらくは、怪物そのものの“活躍”はあまり描かれなかったことだ。殺戮のヴァリエーションは前作であらかた出尽くしてしまい、大量発生した奴らは基本“貪り食う”だけになっている。その存在がクローズアップされるのは中盤あたりだが、「戦うためには相手の生態を知らないと」と、バカ野郎がひとり、ろくすっぽ知識もないのに解剖を始めたあたりで、つまり凶暴さやその生態の怖さ、というよりは常識で計れない肉体の作りのほうに焦点が集まっているのだ。まあ、解剖中の経緯だけでもある意味“暴れた”とは言えるのだが。個人的には、前作で見せた「子供が殺されたらその場で再生産」という充分にショッキングな素材を更に押し広げてくれそうな描写があったのに、少なくともこの第2作のなかでは放置してしまったのが惜しまれる。

 しかし、最初から最後までとことん観る側の予測を裏切る、お約束がほとんど機能していないストーリーの面白さは1作目と変わらず秀逸だ。一般に、感動や悲劇性を煽るために用いられる、いわゆる“死亡フラグ”は完全に無視され、誰がいつ死ぬかまったく解らない。逆に、普通死ぬだろうタイミングでなかなか死なない人も多く、しぶとく生きていたり突然身を起こしたりする場面が実に愉しい。そして、ほとんどの観客が「頼むからお前早く死んでくれ!」と念じたくなるような奴でもしぶとく生き残る、そのヤキモキ感もまた素晴らしい。死が普通に間近にあるからこそ、毒々しい笑いを誘うのだ。そして死ぬときは皆、基本的に無意味に死んでいく。

 基本的にホラーが嫌いである、良心をこそ重んじたい、という人でなければ充分に面白い、と感じられる話運びであるし、細かな伏線についてうまい具合にオチをつけていく周到さも備わっている。だが、全体を通してのカタルシスがないので、それでも誰しもが満足するか、と問われれば、否、と返すほかない。もともと第3作も同時に製作が決定していただけあって、恐らくはそちらに丸投げしたオチもあるのだろう。

 そのため、決してごく一般的な感性の持ち主には勧めるべきではない、と思う。ホラー映画談義だけで一時間も二時間も盛り上がれそうな、そして第3作も続けて鑑賞する意思がはじめから持てるような、奇特な方にこそお薦めする。

 ――個人的には、エンドロール前の趣向だけで充分に堪能した気分だったのだが、それもきっと特殊な感性だろう。

関連作品:

ザ・フィースト

SAW4

SAW5

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