『チョコレート・ファイター』

『チョコレート・ファイター』

原題:“Chocolate” / 監督・製作:プラッチャヤー・ピンゲーオ / アクション監督・製作:パンナー・リットグライ / 脚本:ネパリー、チューキアット・サックヴィーラクン / 製作総指揮:ソムサック・テーチャラタナプラスート / 製作:スカンヤー・ウォンサターパット / 撮影監督:デーチャー・スリマントラ / 美術:ラッチャタ・パンパヤック / アート・ディレクター:ノッポン・グーットシン / 編集:ラーチェン・リムタラクーン、パポン・スラサクンワット / 音楽:ジャイアント・エイプ / 出演:“ジージャー”ヤーニン・ウィサミタナン、阿部寛、ポンパット・ワチラバンジョン、“ソム”アマラー・シリポン、タポン・ポップワンディー、イム・スジョン / サハモンコンフィルム・インターナショナル製作 / 配給:東北新社

2008年タイ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:小寺陽子 / 字幕演出:加藤真由美 / PG-12

2009年5月23日日本公開

公式サイト : http://www.chocolatefighter.com/

新宿ピカデリーにて初見(2009/05/23) ※初回舞台挨拶つき上映



[粗筋]

 始まりは、日本のヤクザが勢力拡大を目論んで、タイに乗り込んできたことだった。自らの縄張りに侵入してきたヤクザとその部下の取引現場にナンバー8(ポンパット・ワチラバンジョン)らが踏み込み、一触即発の状態に陥ったなかで、ジン(“ソム”アマラー・シリポン)はその男と出逢う。その男とは、ヤクザの主導者マサシ(阿部寛)。

 ナンバー8は、愛人と抗争相手とのロマンスを歓迎しなかった。嫉妬に狂い苛烈な報復に及ぶナンバー8の姿に、これ以上お互いを危険に晒すまいと痛感したふたりは、別れる決意をする。マサシは日本に帰り、ジンは身籠もった子供と共に隠遁生活を始めた。

 生まれた子供・ゼンは知性に障害があったが、マサシとの愛の結晶であることに変わりはなく、ジンはその成長に喜びを感じていた。だが、そんな彼女のささやかな幸せすら、ナンバー8は認めなかった――ジンがマサシに宛てて手紙を書いていたことを知ると、ナンバー8は側近と共にジンの家に踏み込み、彼女の足の指を一本切り落として去っていった。

 ジンはナンバー8の目を逃れるべく、より奥まった場所に隠れ家を求める。ストリートチルドレンの少年ムンにゼンの面倒を見てもらい、堅気の仕事で懸命に稼ぎ、必死に生きていこうとした。

 しかし、不運は重なる。無理が祟ったのか、ジンは末期の白血症を患ってしまったのだ。

 食うや食わずの生活が続いた彼女に蓄えがあるはずもなく、ジンはまともな診察を受けることも出来ない。そこでムン(タポン・ポップワンディー)は一計を講じた。成長したゼン(“ジージャー”ヤーニン・ウィサミタナン)は情緒不安定で、些細なことでパニックに陥る難しい少女になっていたが、ひとつ異様な特技を身に着けている。何処からボールを放られても、必ず受け取ることが出来るのだ。ムンはその特技を“大道芸”として利用し、金を稼ぎ始める。

 ゼンの“芸”は、一部で反感を買いながらも順調に収益を上げていたが、白血病の治療にはとうてい足りない。難渋したムンは、何か頼りになるものがないかと、ジンが入院しているあいだに彼女の荷物を漁った。

 そして発見した1冊の帳簿が、ある意味でこの哀しい母子をいっそう追い込み――同時に、ゼンの本当の才能を開花させるきっかけとなる……

[感想]

 21世紀に入ってから発表されたアクション映画の中で、最も重要な地位を占めるうちの1本に、『マッハ!!!!!!!!』がある。CGやワイヤーアクションなど、映像技術を駆使して作りあげた大迫力・超現実的なアクションが全盛となっていたなか、CGなし、ワイヤーなし、更にスタントすら使わず本人が、時として本気で肘が脳天を直撃するような壮絶なアクションを披露するこの映画は、多くの好事家を欣喜雀躍させた。この作品の大ヒットを受け、同じトニー・ジャー主演で製作された『トム・ヤム・クン!』でも同じスタイルを踏襲、更に多くの衝撃的なアクション・シーンを提示して映画ファンの度胆を抜いた。

 あれから3年を経て、ピンゲーオ監督が久々に発表したのが本篇である。前2作である意味行き着くところまで行ってしまった感のある、フルコンタクトによるアクション映画に盛り込まれた新しいアイディアは、前2作でトニー・ジャーが実現した極限のアクションを、小柄で華奢な外観をした少女にやらせる、ということだったわけだ。

 もともとテコンドーの達人で、生活費を稼ぐために指導を行っていたというヤーニン・ウィサミタナンに、更に四年間のトレーニングを施したうえで撮った本篇は、少なくともアクションのクオリティという部分でピンゲーオ監督の前2作に充分肩を並べている。

 ただ、折角女の子を主人公としているわりには、前2作と比較しても華やかさが乏しいのは残念に思える。両親が裏社会の人間、そしてやむを得ず隠遁生活を送らねばならない貧しい境遇、加えてヒロインが自らお洒落をする可能性の低い設定であっただけに致し方のないところだが、折角女性を主人公とし、前2作と差別化する意思があったのなら、そこまで工夫が欲しかったところだ。

 そもそもヒロイン・ゼンを巡る物語は、どの時代を切り取っても悲しみに彩られている。両親は裏社会で対立する組織同士の人間であったために最終的に離別せねばならず、元の愛人はそれでもゼンの母を許さずに、ことあるごとにつけ狙う。ゼン自身は知的障害があり、母のジンもまた白血症を患って、生活費の捻出さえ覚束無い。意識して笑いを取ろうとする気配もなく、物語という部分において本篇は終始沈鬱なままだ。それが華の乏しさを更に際立たせてしまっている。

 序盤はアクション、というよりヴァイオレンスが主体で、またゼンという少女の生い立ち、そしてなぜ彼女がああも強いのか、という理由付けを行うことに重点を置いているため、その意味でも地味な印象を受ける。率直に言えば途中までは、果たして大丈夫なのか、という不安を抱かされた。

 だが前提が出揃い、母親の病が深刻化したあたりから、急速に作品は派手になっていく。製氷工場に倉庫、と舞台としてはやはり地味だがアクション映画にとっては魅力的なシチュエーションを徹底的に活用しながら、それまでは自発的に動くことのなかったヒロイン・ゼンが一気呵成に女戦士としての資質を開花させていく様は強烈だ。ここまで好戦的で凶悪な連中なら拳銃ももっと頻繁に用いるのでは、という気もするが、その程度は様式美として受け入れろ、と言わんばかりの肉弾戦の激しさに、ただただ画面に釘付けにされてしまう。

 長時間ワンカットによるアクションや、主人公ひとりで数十人の関節をベキベキにへし折っていく、という壮絶な趣向を畳みかける『トム・ヤム・クン!』あたりと較べると少々見劣りはするものの、細々としたアイディアを随所に盛り込み、質の高いアクションを圧倒的な分量注ぎ込んでおり、通して観た印象はまるで遜色がない。この壮絶なアクションを、トニー・ジャーのように肉体的に恵まれたようには見えない、小柄で華奢な少女がやっているというだけで、やはりインパクトは格段に増しているのだ。

 少女の強さの源を“サヴァン症候群”に似た設定で裏付け、それをまた背景ではなく戦いの現場においても活かしているのがまた巧い。クライマックスではかなりユニークな敵が現れるが、まさにこの才能があるからこそ倒せる、というのが解る。このパート自体、本篇の終盤に無数にある見せ場のなかでもいちばん“ゼン”というキャラクターの魅力を引き出しているので、是非とも注目していただきたい。

 そして最後の最後で登場する、ビルの壁を用いた、縦移動をふんだんに採り入れたアクションが特に壮絶だ。さすがにここまで来るとワイヤーなし、というわけにはいかなかったと見え、エンドロールで一緒に流される、出演者たちが本当に怪我をした場面のダイジェストではワイヤーが確認できるのだが、しかしそうしなきゃ絶対に危険、ていうか何でこんなシーンを本気で撮るんだ?! と悲鳴を挙げたくなるくらい、この場面のアクションは激しい。そしてこのあたりになると、序盤で「ちょっと地味かな」などと感じていたことなどすっかり忘れてしまっている。見事、と言うほかない。

 アクション・シーンの壮絶さもさることながら、直接撮さないヴァイオレンスの痛々しさは、耐性のない人には相当辛いに違いない。想像よりもストーリーはシビアで、苦みと哀しさが残る結末も、アクション映画に爽快感をこそ求める向きには納得がいかないだろう。アクション映画好きであっても受け付けられるかは微妙なので、迂闊に誰にでも勧めていい作品ではないが、もし後味などよりも本気のアクションを望む向き、そして作り手の誠実さと意欲こそ感じられればいい、という人ならば観ておいて損はない。好き嫌いはともかく、本篇が“本物”のアクション映画であることは間違いないのだから。

関連作品:

マッハ!!!!!!!!

トム・ヤム・クン!

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