原題:“Slumdog Millionaire” / 原作:ヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社・刊) / 監督:ダニー・ボイル / 共同監督:ラヴリーン・タンダン / 脚本:サイモン・ビューフォイ / 製作:クリスチャン・コルソン / 製作総指揮:ポール・スミス、テッサ・ロス / 撮影監督:アンソニー・ドッド・マントル / プロダクション・デザイナー:マーク・ディグビー / 編集:クリス・ディケンズ / 衣装:スティラット・アン・ラーラーブ / 音楽:A・R・ラフマーン / 出演:デーヴ・パテル、マドゥル・ミッタル、フリーダ・ピント、アニル・カプール、イルファン・カーン、アーユッシュ・マヘーシュ・ケーデカール、アズルディン・モハメド・イスマイル、ルビーナ・アリ / 配給:GAGA Communications
2008年イギリス作品 / 上映時間:2時間 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG-12
2009年4月18日日本公開
公式サイト : http://slumdog.gyao.jp/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2009/04/18)
[粗筋]
2006年、インド、ムンバイの警察署に、一人の青年が連行された。つい先刻までテレビカメラに映り、国民を沸かせていた彼にかけられた疑惑は――正解の不正取得。
その青年、ジャマール・マリク(デーヴ・パテル)は、一般視聴者から出演者を募り、一問正解するごとに賞金が上乗せされていくクイズ番組『クイズ$ミリオネア』に参加し、史上未だ一人しか成し遂げていない最高賞金2000万ルピー獲得まであと一歩、というところに迫っていた。だがジャマールはスラム街出身であり、現在の仕事はテレフォン・オペレーターのアシスタント、実態は単なるお茶くみでしかない。そんな彼が、弁護士や医師、教授といったインテリでさえ途中で脱落するような難問揃いの番組で、どうして正解を連続できたのか。警部(イルファン・カーン)の訊問に、ジャマールは自らの生い立ちを語ることで答えた。
ジャマールは空港そばにある、あばら屋の密集したスラム街で、母親と兄サリームと共に幼少時代を過ごした。だがある日、宗教観の抗争に巻き込まれ、母は殺害されてしまう。兄と共にどうにか逃げ延びたジャマールは、途中で巡り逢った、やはり家族を失った少女ラティカと合流し、ゴミ集積場で生活を始める。
そこへ現れたのは、孤児たちを保護している団体であった。ボスのママンによって歌や踊りの訓練を施されたジャマールはいつしか歌手になる夢を抱くが、いまひとつ上達しないサリームはママンたちの仕事の手伝いを命じられる。
だが、やがてサリームはママンたちの本性を知った。彼は、歌の上達した孤児の目を潰し、街中で通行人の同情を引く物乞いに仕立てようとしていたのだ。ジャマールを呼び出すよう命じられたサリームは、機転を利かせて脱走を試みる。しかし、飛び乗った列車に、一緒に逃げていたラティカの姿はなかった……
取調に当たった警官達が言葉を失うほどの、過酷な日々。だがその隅々に、ジャマールがクイズに正解した理由が――そして、彼が番組に出演した本当の理由が隠されていた……
[感想]
かつて、『ムトゥ 踊るマハラジャ』という映画が一世を風靡した。ミュージカル映画を更に極端にし、格闘の中でも陽気に歌い踊る過剰さや、セットよりもロケーションを多用した猥雑な華やかさに魅了された人も多いだろう。バラエティ番組でパロディも製作され、一時期は同様の映画も輸入されたが、生憎日本ではあまり定着せずに終息してしまった。
本篇は、そうしたインド映画の、思いがけない形での復活と言えるかも知れない。音楽を担当しているのはまさに『ムトゥ 踊るマハラジャ』のユニークな音楽を作りだし、現在もインド映画に貢献著しいA・R・ラフマーンだ。キャストもそうだが、スタッフにもインド映画を支える面々が集められているという。
監督しているのはイギリスのダニー・ボイル、そして幼少期を除いて多くの台詞が英語を使用しているが、それらは決して音楽やインド文化の持つ猥雑な魅力を壊していない。もともとダニー・ボイル監督はその代表作である『トレインスポッティング』において、イギリスのアンダーグラウンドに属する文化を、醜悪さもきちんと織り交ぜながらリズミカルに、パワフルに描き出した人物である。そのスタイルに、A・R・ラフマーンという音楽家の、インド音楽のエキゾチックさに西欧のロック・ポップスを溶け込ませた独自なセンスに、未だ発展途上にあるが故の雑然とした活力に充ち満ちたインド文化の魅力とがうまく噛み合い、美しく構成されながらも圧倒的な力強さで迫ってくる。
いちおう本篇には原作が存在しているが、大まかなアウトラインやごく一部のキャラクターの肉付けを踏襲しているくらいで、かなり大幅に変更が施されている。まず主人公は、スラム街育ちという点は同じでも、原作は生まれた時点から孤児となっているし、その後の人生の流浪ぶりは映画よりも更に激しい。実のところ、いちばん大きなポイントの一つである、番組に参加した動機も違っているのだ。
シリーズ物、キャラクターの魅力で売っている小説であると責められがちな類の改変だが、本篇の場合は大切な胆である、“主人公がスラム育ちである”“1問1問に、正解した理由がある”そして“結末で爽快感が味わえる”という部分をまったく損なっていないので、原作を評価している目からも決して悪い印象を受けることはない。
原作は意識的に時系列を前後し、主人公の奇跡的な正解ラッシュをより自然なものに演出したのに対し、本篇は出題されるクイズに対して、そのヒントを得た時期が同じように時系列に添って並べられているため幾分御都合主義めいた印象が強まっていること、また原作ではその構成によって張り巡らせた伏線が昇華する妙味をいっそう濃厚にしていたのに対し、その点では伏線の量も構成も少々緩んでいるように感じられたのは惜しまれる。だが格別に引っ掛かるのはその程度で、あとは人物を増減させたり役割の集約、分散は行っても、原作のエッセンスはほぼ温存しているのだ。
改変という点でいちばん効果を上げているのは、ほぼ身寄りがなく長期的に付き合った人間があまりいない主人公に兄と、ほのかな恋愛感情を持つ少女とを同行させたことだ。
主人公の兄サリームはジャマールよりも更に逞しく、金銭や、自らが生き残ることに執着を見せる。生命への渇望という部分では決して引けをとらなくとも、金銭面では執着の薄いジャマールといい対比となっている。この差は物語が進むにつれて大きく拡がり、終盤で重要な意味を持つ。
とりわけ、ラティカというキャラクターを構築したことは大きい。原作でも恋愛の要素は絡んでいるが、いささか生々しく毒が濃かったのを、幼馴染みにすることで緩やかに、よりドラマティックに仕立て上げている。
何より、終盤の昂揚感は、原作以上に強烈だ。それまでに徹底して盛り込まれた、インドの街々に溢れかえるポジティヴな活気と、過酷な日々を生き抜いてきた主人公に対する共感とが結びつき、膨れあがり炸裂するクライマックスは、設定や粗筋から予測は出来ても感動を止められない。ところどころ原作を踏襲したクイズを用いた本篇で、最後の1問は決定的に違っているが、これほど映画の内容に合い、効果的な設問はなかっただろう。
率直にいえば、物語の完成度という意味ではまだ原作のほうが勝っているように思った。伏線の緻密さ、腑に落ちるカタルシスという点では、圧縮を施した本篇はやや物足りない。この作品は2009年度のアカデミー賞で、ノミネート数では最多だった『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』などを抑え、最多の8部門に輝いたが、観終わった印象は、少なくとも『ベンジャミン〜』をあそこまで圧倒するほど差がついていた、という気はしない。既に題材の枯渇したハリウッドの人々に、インドの持つ活力や新鮮さ、猥雑な香気が衝撃を齎し、いささか過剰に高い評価をさせてしまった、という風に思う。
だがそれでも、インドの文化や音楽の備える荒々しい魅力を洗練された手管で束ね、余すところなく観客に叩きつけてきた本篇が驚異的な完成度に達していることは事実だ。せっかくインド映画の方法論に倣っているのに、あそこを抜いてしまったのは勿体ない、と感じた部分もエンドロールできちんとフォローしているのだから、恐れ入る。
個人的にはもう少し他の作品に賞が分散しても良かった、と思えるだけに、アカデミー賞の結果にはまだ不満は禁じ得ないが、本篇が閉塞状態に陥っていた映画業界に力強い風を齎したことは確かだろう。そして観終わったあと、誰もが昂揚感に浸り、前向きな気持ちになれる、稀有な傑作だ。
関連作品:
『28日後…』
『ミリオンズ』
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