赤の組曲 [新装版]/土屋隆夫コレクション

赤の組曲 [新装版]/土屋隆夫コレクション 『赤の組曲 [新装版]/土屋隆夫コレクション』

土屋隆夫

判型:文庫判

レーベル:光文社文庫

版元:光文社

発行:2002年11月20日

isbn:4334734073

本体価格:705円

商品ページ:[bk1amazon]

 2001年の第五回日本ミステリー文学大賞受賞を記念して、旧作を再編・新装のうえ纏めた『土屋隆夫コレクション』の第六回配本。東京地検の千草泰輔検事が活躍する長篇第二作である表題作のほか、三本の短篇と二本のエッセイを収録する。

 夏のある夜、千草検事はこの正月に久闊を叙したばかりの友人・坂口秋男の訪問を受ける。彼は四日前に失踪した妻・美世の行方を捜すため、所轄である世田谷署の署長に紹介の労を求めにきたのだ。普通であれば決して意味のあることではなかったが、昨年の暮れに長男が目の前で事故死し、三月に失踪したさいには一夜で戻ってきた、などの経緯を切々と聞かされた千草は、確かに状況の背後に不穏な匂いを嗅ぎ取る。間もなく、美世が行方をくらましたその翌日、別所温泉に投宿しながらその晩のうちに忽然と姿を消した女が美世らしい、という報告が齎されるが、肝心の彼女の足取りは一向に掴めない。そうこうしているうちに、長男の事故死のさい、目撃者として、長男の治療のために輸血までした青年・津田晃一が屍体となって発見される。推定される死亡時期は、美世の失踪した時期と一致していた……赤いヘルメット、赤いネグリジェ、そして血の絆――赤に彩られたこの奇怪な事件が辿り着く結末とは……(表題作)

 高木彬光が倒れ、鮎川哲也が去ったいま、意識的に本格探偵小説を書き継いできた作家はもはや土屋隆夫ひとりを残すのみとなった。そんな大ベテランの、日本推理作家協会賞受賞作『影の告発』に続いて発表した、千草検事の登場する二番目の長篇である。

 前述した三者の中では最も文学への傾倒が著しく、本書にも収録されている『芥川龍之介の推理』のように実在の文学者の作品やそれらの評論を作中に盛り込むほか、極めて情緒的な文章を叙述に用いたり、独自の詩や文学論を採り入れたりしているのが土屋作品の特色のひとつだが、本編においてもその体臭は濃厚に感じられる。実在の文学者への言及はほとんどないが、千草に事件への接点をつくる坂口からして出版社の編集者であり、その彼の職掌が物語に文学の影をちらつかせる。それ以前に、プロローグにおける、貧しい暮らしを余儀なくされる少年と彼に想いを寄せる少女の、甘くも艶めかしく、しかしもどかしいやり取りの可憐さといったらどうだ。この独特の詩情が、その他の推理作家と一線を画す土屋隆夫の特徴と言える。

 同時に、事件を構築していく筆捌きもまた職人の業を思わせる。本格ものというと、だいたいはじめに明確な事件が描かれ、謎も明々白々に提示されるのが普通だが、本編の場合、何が起きているのかもなかなかはっきりとしない。美世は果たして自分の意思で姿を眩ましたのか、或いは何らかの事件に巻き込まれてしまったのか、茫漠としたまま物語は進行していき、やがて意外なところから死者が出る。千草検事や野本刑事ら捜査関係者たちがそれぞれに知恵を絞り、事件の全容を把握しようとする様は、動的にはなりにくい捜査の過程に躍動感を齎している。

 結果として最後に見えてくる真相の、収まり具合がまた見事だ。伏線のほとんどを吸収し、密かに奏でられていた主題を重ね合わせて演じられるクライマックスは、地道なそれまでの印象を覆すくらいの迫力に満ちている。事件の直後、余韻に富んだエピローグも美しい。

 ただ、あまりに入り組んだ事件の構造のために、説明が足らないまま残ってしまった謎があるのが玉に瑕である。また、主体となる発想は優れている一方で、それを支える細かな仕掛けが単純すぎるので、事件全体の印象が記憶に残りづらいのも残念だ。

 解き明かされる真相の虚しさ、残したものの切なさとはまた別の穴があるうえ、大きな仕掛けを支えるためのパーツが小振りであるため、同じ千草検事シリーズの『影の告発』や『不安な産声』と比べるとやや存在感が薄くなるが、緻密な計算に基づいたきわめて端正な長篇である。

 直観的な推理と精緻なトリックで叙情を裏打ちする長篇に対し、土屋隆夫の手懸ける短篇は本格ものというよりも、本格推理で用いられるガジェットの脆弱さなどに着眼した、捻りの利いたドラマになる傾向が強い。同時に収録された短篇三本もその特徴に漏れず、たとえば『夜の判決』は夫の出張中に忍び込んできた男に暴行された女性が復讐か、自殺かを選んで煩悶するくだりから急転直下のオチに運ぶ妙味が読みどころであり、『縄の証言』は警察が証拠として採りあげる証言というものの脆弱さを材料に、残酷なドラマが繰り広げられる。『芥川龍之介の推理』は題名から連想されるように実在の人物を探偵役に据えるのではなく、その作品から刑事が現実の自殺の動機を解き明かすヒントを得ていく、という奇抜な発想が光る名品である。

 如何せん1965年から1968年にかけて発表された古い作品であるため、科学的知識が古びていたり芸能に対する評価も現在と比べて保守的すぎるきらいがあるのが引っかかるが、基本的な着想といいその構成力といい高い水準にある佳作であることは間違いない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました