原題:“Quentin Tarantino’s Death Proof” / 監督・脚本・撮影・出演:クエンティン・タランティーノ / 製作:エリザベス・アヴェラン、ロバート・ロドリゲス、エリカ・スタンバーグ、クエンティン・タランティーノ / 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン / 美術監督:スティーヴ・ジョイナー / 衣裳デザイン:ニナ・プロクター / 編集:サリー・メンケ / 特殊メイクアップ:グレゴリー・コステロ、ハワード・バーガー / スタント・コーディネート:ジェフ・ダシュノー / 出演:カート・ラッセル、ゾーイ・ベル、ロザリオ・ドーソン、ヴァネッサ・フェルリト、シドニー・ターミア・ポワチエ、トレイシー・トムズ、ローズ・マッゴーワン、ジョーダン・ラッド、メアリー・エリザベス・ウィンステッド / 配給:Broadmedia Studios
2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 日本語字幕:松浦美奈
2007年09月01日日本公開
公式サイト : http://www.deathproof.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2007/09/21)
[粗筋]
テキサス州オースティンを訪れたアーリーン(ヴァネッサ・フェルリト)はとんでもない災厄に見舞われる。出迎えた友人のひとりで、地元ラジオ局でDJを務めるジャングル・ジュリア(シドニー・ターミア・ポワチエ)が悪戯心で、今日訪れる友人に酒を奢り詩を囁くと、お礼としてラップダンスを踊ってくれると喧伝してしまったのである。
幸か不幸か、志願者はなかなか現れなかったが、最後に現れたのがスタントマン・マイク(カート・ラッセル)という男だった。もう1回踊ってしまったから、と固辞しようとしたアーリーンを柔らかな口振りで嘲り、踊らせてしまった彼は、だがもっと苛烈な方法でアーリーンを辱めたのだった……
……それから14ヶ月後、場所は変わってテネシー州レバノンで、また別の女性達が遠来の友人を出迎えていた。
ニュージーランドからやって来たスタントウーマンのゾーイ(ゾーイ・ベル)には、折角アメリカを訪れるなら、と心に期していたことがあった。それは、映画『バニシング・ポイント』に登場する70年型ダッジ・チャレンジャーに試乗すること。
運転専門のスタントウーマンであるキム(トレイシー・トムズ)と、真面目なメイク係のアバナシー(ロザリオ・ドーソン)の協力で、ディーラーの元にもうひとりの友人である新進女優リー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)を置き去りに持ちだしたダッジ・チャレンジャーでゾーイは何と、自分がボンネットにへばりついた状態でキムに車を走らせた。説明されていなかったアバナシーは最初こそたまげたものの、爽快感に歓喜する。
――だが、そんな彼女たちを物陰から窺っていたのは、あのスタントマン・マイク――かくて、悪夢のドライヴが始まるのだ、が……
[感想]
特殊な成立過程を辿った作品であるが、詳しい経緯は『グラインドハウス』の感想を参照していただきたい。
二本立てのままではやや尺に足りず、しかも泣く泣く削った描写が多かったために、本国以外で別々に公開されることが決まったのに合わせて尺を伸ばしたということだが、率直に言えば、『グラインドハウス』の二本立てヴァージョンのほうが面白かった。もともと二本立て形式の状態でもダラダラとした印象が強かったが、単独で尺を伸ばしたためにその印象がいっそう強まり、序盤でかなり倦んでしまう。鑑賞当日、当方が前日の強行軍の影響で疲れ果てていたことを差し引いても、眠気を誘われる内容であることは否定できない。
追加された描写が物語の進行上でかなり重要な役割を果たすものだったとすれば尺を伸ばした意味もあろうが、このあたりも決して重要とは感じられなかった、というのが正直なところだ。テキサス州のシークエンスにて、酒場で飲み交わしていた女の子たちのうち、遠方から遊びに来ていたアーリーンがいちど席を離れ男友達と戻ったときにどうしてあんな気怠そうな態度を取っていたのか、レバノンでの試乗交渉のときアバナシーが持っていた雑誌がどこから現れたのか、またこのときにめくっていたページに関するちょっとした秘密などなど、いずれも感心はするし作品にとって味わいを添える役には立っているが、本題であるスタントマン・マイクとの話を膨らませる類のものではないし、観客の興味をより強くそそるような小細工ではない。二本立てヴァージョンで鑑賞した目には、僅かとはいえアーリーンのラップダンスを“復活”させてしまったことも却って興醒めに映った。素材があるから収録したかった、という気持ちも解るが、ここは敢えて削って観客に不意打ちを食わせた二本立てヴァージョンのほうが牽引力に繋がっている。
だが、レバノンでの第2幕における、ゾーイたちの意表をついた行動のお馬鹿ぶりと、その終盤から始まるカーチェイスの生々しい迫力、そしてラストシーンの全身が燃え上がるくらいの爽快感は二本立てヴァージョンと変わらず逸品である。序盤からのダラダラとした語り口が逆に終盤の疾走感、異様なまでの快感を増幅している。ひたすらに焦らしまくったあとでいきなり激しくなるような……とはあまり品の良くない表現だが、実際そんな印象を受ける、テクニカルな構成である。またこの過程で、序盤からぶっ飛んだ言動の多いゾーイやキムは別として、次第次第に乱れていく――壊れていくアバナシーの存在が効いていることも付け加えておかねばなるまい。序盤では生真面目であったアバナシーのキレっぷりが、更に痛快な後味に繋がっているのである。
単純にアクション映画として鑑賞しても、短いながらその印象は鮮烈だ。『キル・ビル』シリーズでユマ・サーマンのスタントダブルを務めてタランティーノに見出され、何と現実と同じ名前、キャラクターで出演したゾーイ・ベルの身体能力を遺憾なく発揮するカーチェイスのくだりは、全体からすると8/1程度の尺だが圧巻の趣がある。裏方であった彼女の存在を積極的に取り上げ、クライマックスにあれほどの爽快感を生み出すことに成功した、その点だけでも本編は充分によく出来た作品と言えよう――それでも願わくば、時間と機会を得られたなら、是非とも無駄のない二本立てヴァージョンで鑑賞していただきたい、というのが私の願いではあるのだが。
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