五十年前、僧侶・源慧の妹・お庸を乗せて流されたうつろ船が薬売り達の前に現れた。これこそがあやかしの理、と思われたが、その中にお庸の姿も、彼女の変じたものも封じられてはいなかった。源慧は引き続き語る――自らと妹の、仏道にも人の道にも悖る関係と、それが齎した自らの心の闇を。だが――まだ、裏がある。
加世の「もおーっ! いつもいきなりなんだからーっ!!」という叫びが切実すぎて笑いました。確かに薬売り、あなたいつも唐突すぎます。
序盤は登場人物が無駄に個性的すぎではないか、と思っていましたが、終わってみると想像以上に適切な配置をしていたのだと解りました。全員最低限の存在意義は果たしている。全般に言葉の足りない薬売りをフォローする祓い師、源慧の“煩悩”を具現化したような菖源、最後の最後で意外な役割を果たした兵衛、そして曲者揃いの船中で唯一常識人ぶりを発揮した加世、と配置に無駄がない。
そしてこのシリーズも、仕掛けはシンプルながら丁寧に施されていたのがいい。何故海座頭は「いちばん恐ろしいもの」を問うたのか。何故モチーフが“眼”だったのか。そして出色は、普通ならそこで止めても良かったであろう落ちにもうひとつ施した解釈。あれがあるからこそこの話の“理”に芯が通った。
前シリーズ“座敷童子”は尺の短さもあってシンプルに済まされていた“切る”場面もちょっと多め、“化猫”ほどではないですがスペクタクル感を堪能させてくれて嬉しい限り。いや、やっぱり好きだわこのシリーズ。
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