『10 クローバーフィールド・レーン』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン5入口に掲示されたチラシ。

原題:“10 Cloverfield Lane” / 監督:ダン・トラクテンバーグ / 原案:ジョシュ・キャンベル、マット・ストゥーケン / 脚本:ジョシュ・キャンベル、マット・ストゥーケン、デイミアン・チャゼル / 製作:J・J・エイブラムス、リンジー・ウェバー / 製作総指揮:ブライアン・バーグ、ドリュー・ゴダードマット・リーヴス / 撮影監督:ジェフ・カッター / プロダクション・デザイナー:ラムジー・エイヴリー / 編集:ステファン・グルーブ / 衣装:ミーガン・マクラフリン / 音楽:ベアー・マクレアリー / 出演:ジョン・グッドマンメアリー・エリザベス・ウィンステッド、ジョン・ギャラガー・Jr.、ダグラス・M・グリフィン、スザンヌ・クライヤー / 声の出演:ブラッドリー・クーパー、スマリー・モンタノ / バッド・ロボット/スペクトラム・エフェクト製作 / 配給:東和ピクチャーズ

2016年イギリス作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2016年6月17日日本公開

公式サイト : http://10cloverfieldlane.jp/

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2016/6/17)



[粗筋]

 その晩、ミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は、恋人と諍いを起こし、一緒に暮らしていたアパートを飛び出したところだった。持てるだけの荷物を車に載せ、高速道路を走っている最中――突然、衝撃が襲った。

 目覚めたとき、ミシェルはいずことも知れない密室に閉じ込められていた。怪我は治療され、点滴も打たれていたが、右脚に鎖を嵌められ、身動きは取れない。

 やがて扉を開けて顕れた男は、自分がミシェルを助けた、と言う。食事を持ち込み、松葉杖と、鎖を外すための鍵も置いていったが、ふたたび扉は閉ざされてしまう。去り際、男はハワード(ジョン・グッドマン)と名乗った。

 助けられた、などと言われても、ミシェルには信じられなかった。騒動を起こし、隙を作って脱出を試みるが、計画はあっさり頓挫する。ハワードはミシェルの頭の良さと度胸を認めて、ようやく事情を説明する。

 ハワード曰く、ここはシェルターの中なのだという。外の世界は、何らかの大規模な攻撃によって崩壊した。大気は汚染され、外界で生きていく術はない。予め用心していたハワードは、建築していたシェルターに避難したが、その際、事故に遭ったミシェルを見つけ、運び込んだのだという。

 扉の向こうにあるのは、確かに窓も何もなく、頑丈な壁で囲まれた空間だった。食糧は充実し、退屈を紛らわせるための本や音楽、映像もたっぷりと揃っている。ハワードと一緒にシェルターに逃げ込んだ、という同居人エメット(ジョン・ギャラガー・Jr.)も、攻撃の存在を肯定する。

 ……果たして、本当なのだろうか。本当に、攻撃などあったのか――すべては、偏執狂じみたハワードの妄想ではないのか……?

[感想]

 粗筋を読んで、相当にモヤモヤした気分になるひともいるのではないかと思う。そういうひとの関心は恐らく、「これは『クローバーフィールド/HAKAISHA』の続篇なのか?」という点に尽きるのではなかろうか。

 申し訳ないが、それには答えられない。っていうか、非常に答えにくい。

 断言できるのは、あの作品と同じ感覚、同様の興奮を求めると、たぶん間違いなく不満を覚える、ということだ。

 そもそもこの作品は、『クローバーフィールド』のような主観撮影の手法は用いていない。独特のカメラワークもあるが、あくまで登場人物がカメラを意識することなく進行する。

 それだけでだいぶ事情は違うが、広範に動き回るあちらと異なり、本篇は物語の大半が狭いシェルター内部で繰り広げられる。外部での出来事は、ときおり発生する震動や、脱出を試みるミシェルが窓から垣間見る光景からしか窺い知ることは出来ない。

 つまり本篇は、ほぼ密室劇の様相を呈している。『クローバーフィールド』のような緊張感、臨場感を求めるとだいぶ性格が異なるので、不満を抱くことは避けられまい。

 ただ、“これは果たして『クローバーフィールド』と地続きなのか?”“本当に世界は終焉を迎えたのか?”という疑問を引っ張り続ける語り口は、はじめから『クローバーフィールド』に通じる破壊と混沌の描写を求めているひとにとっては“いたずらに話を引き延ばしている”という苛立ちを誘われるだけだろうが、そういうシチュエーションを軸としたスリラーである、と捉えれば、観客の認識を利用した絶妙な組み立てになっている。しばしば何かしらの徴候をちらつかせながらも、その正体をなかなか察知させないから、ひとつひとつの物事から緊迫感が滲み出す。

 巧いのは、この緊迫感をノンストップで維持するのではなく、弛緩する場面も挿入していることだ。なまじシチュエーションをうまく構築してしまった作品ほど、この点を疎かにして、全体が却って平板になる、観終わってへとへとになる、といった問題を背負いがちだが、本篇はそれをうまく回避している。むしろ、弛緩するタイミングと緊張への切替が絶妙なので、それまでよりも緊迫感は増している。

 扱っている出来事も状況も、ほとんどは今となっては手垢のついたものばかりだ。しかし、それらを緻密に活かして観客を惹き寄せつつ、望まれていない趣向でも多くの観客を唸らせる意欲とクオリティは賞賛したい。それでも、“観たかったのはこんなんじゃない!”という意見は少なからずあるだろう。鑑賞前にこの項を読んで、いまいち釈然としなかった方は、避けるほうが精神衛生上は得策なのかも知れない。

関連作品:

クローバーフィールド/HAKAISHA

セッション』/『SUPER8/スーパーエイト

ゲッタウェイ スーパースネーク』/『ダイ・ハード/ラスト・デイ

宇宙戦争』/『ディヴァイド

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