原題:“南北少林” / 監督:ラウ・カーリョン / 脚本:シ・ヤン・ピン / 製作:リュー・イェユエン / 製作総指揮:フー・チー / 撮影監督:チャオ・アンサン / 編集:チー・インター / 音楽:ジェームズ・ウォン / 出演:ジェット・リー、フー・チェンチァン、ホアン・チューイェン、ユエ・チェンウェイ、ユエ・ハイ / 配給:東宝東和 / 映像ソフト発売元:KING RECORDS
1986年香港作品 / 上映時間:1時間28分 / 日本語字幕:進藤光太
1986年3月21日日本公開
2006年1月12日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]
DVD Videoにて初見(2012/03/28)
[粗筋]
北少林寺で修行をするチー・ミン(ジェット・リー)は、樹から落ちた雛を助けたり、風邪を引いたシー・レン師匠(ユエ・ハイ)のためにこっそり精のつくものを食べさせたり、と心優しい青年だが、フー・スオ総督(ユエ・チェンウェイ)によって両親を殺害されており、出家の身でありながら復讐を誓っている。
あるとき、千載一遇の好機が訪れた。チー・ミンが密かに指導している若者たちが、提督によってフー・スオの誕生日を祝う催しで獅子舞を披露することになったのだ。チー・ミンは彼らのなかに紛れ込み、復讐を果たすことを企図する。
そうして訪れた祝宴の場には、だがチー・ミンだけでなく、別の者たちもフー・スオへの復讐を目論んで潜伏していた。祝宴は修羅場と化し、チー・ミンも別の一派も宿願を果たすことなく、多くが討たれ、チー・ミンたち数名が辛うじて逃げ延びる。
逃亡中、チー・ミンはそんな逃走者のうち、チャオ・ウェイ(フー・チェンチァン)とスマ・イェン(ホアン・チューイェン)というふたりと知り合った。南少林寺の出であるふたりとは妙に反りが合わないのだが、逃亡者を炙り出そうとするフー・スオによって南に向かう街道が封鎖されているため、帰る方策のない彼らに、チー・ミンは手を貸すことにした――
[感想]
タイトル・フォーマットは異なるが、いちおうジェット・リーのデビュー作『少林寺』に始まるシリーズ第3作、という位置づけである。
『少林寺2』があくまで少林拳を学んだ少年たちの物語であったことに比べると、物語の始まりが少林寺であり、僧であるがゆえの葛藤を含んでいることを思うと、むしろ原点回帰、といえる内容である。冒頭は修行僧としての姿をコミカルに描きながら、壮大な見せ場を挟んで復讐劇へとシフトしていく流れ、さらっとしたロマンスを盛り込む匙加減など終始そつがなく、第1作の味わいを求めているなら、むしろ1作目よりも満足度は高いはずだ。
ただ、そつなく盛り込んでいる一方で、それ以上のものがあまり感じられない嫌味がある。序盤ののんびりとしたムードと復讐劇の凄絶さがいまひとつ一致せず、あっさりと話の内容が移行してしまうあたりに戸惑いがあり、あそこまで変化させるならば、足首の鈴だけでなく、もっと丁寧な裏打ちが欲しかった。
復讐のための冒険が始まったあとも同様で、コメディに持っていきたいのかシリアスにしたいのかどっちつかずであるし、最後で重要な選択をもたらすロマンスも、途中の描写が物足りないので情緒をもたらすところまで至っていない。基本的な要素を可能な限り詰めこんだのは評価出来るが、結果としてほとんど掘り下げが不足しているのが難点だ。
クライマックス、船での乱戦は見物だが、しかしこうした掘り下げの甘さゆえに、本来“正義”の側に立つべき少林寺の僧たちが善人に見えないのが勿体ない。何だか、過酷な修行の憂さ晴らしをしているように映ってしまうのである。このクライマックスは決してコメディではないので、そのあたりの配慮を欠いているのは、本篇を何よりも如実に象徴しているように思う。
ただ、前述したとおり第1作の味わい、ひいてはカンフー映画の基本的なモチーフはだいたい盛り込んでいるため、物語の強度にこだわらない――はっきり言ってしまえば、往年の香港映画が備えていた緩い空気に馴染んでいるひとなら愉しめるはずだ。
何より、本篇にはジェット・リーというアクション・スター初期の魅力が巧みに盛り込まれている。傑出した身体能力が繰り出す鮮やかなアクションの数々、とりわけクライマックスで披露する師匠と同調しての擬斗はなかなかの見所となっているし、まだ若かりし日のジェットの初々しくチャーミングな笑顔が随所で拝める。後年のシリアスで抜け目のないイメージが定着したジェット・リーしか知らないひとにはいちどご覧戴きたい――もっとも、そういう意味ではやはり第1作のほうが相応しく、どうしても焼き直し、という感は否めないのだが。
関連作品:
『少林寺』
『少林寺2』
『酔拳2』
『少林寺木人拳』
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