『ぼくのおばあちゃん』

『ぼくのおばあちゃん』

原作:なかむらみつる / 監督:榊英雄 / 脚本:龜石多夏匡、榊英雄 / 製作:川上泰弘、龜石多夏匡 / 製作総指揮:木下直哉 / 撮影:宮川幸三 / 美術:井上心平 / 照明:鈴木康介 / 編集:清野英樹 / 整音・録音:山田均 / 助監督:広田幹夫 / 音楽:榊いずみ / 主題歌:榊いずみ『Wonderful Life』 / 出演:菅井きん岡本健一柳葉敏郎原日出子加藤貴子阿部サダヲ清水美砂寺島進、深浦加奈子、宮川一郎太、津田寛治並樹史朗桐谷健太伊澤柾樹、吉原拓弥、亀石征一郎、船越英一郎石橋蓮司 / 製作・宣伝・配給:キノシタ・マネージメント

2008年日本作品 / 上映時間:2時間3分

2008年12月06日日本公開

公式サイト : http://bokuoba.com/

テアトル新宿にて初見(2008/12/06) 初日舞台挨拶つき上映



[粗筋]

 木下工務店の立川営業所に勤める村田智宏(岡本健一)は最近、仕事の忙しさのあまり、家族をないがしろにしがちだった。里帰りなどする余裕もなく、大切なひとり息子とのコミュニケーションが取れていないことを、妻の絵美(加藤貴子)から盛んに責められている。家造りを通して、顧客の幸せな家庭作りをサポートしているはずなのに、自分の家庭を疎かにしていることを、智宏自身忸怩たる想いを抱いていた。

 努力の甲斐あって、智宏の監督する営業所は社でもトップの成績を誇っているが、目下智宏はとある顧客相手に苦戦を強いられている。その顧客、茂田家では現在、夫・洋一(阿部サダヲ)の父・源次郎(石橋蓮司)が同居しているが、以前に息子を怪我させた経緯から妻・美佐子(清水美砂)は新築したあとも二世帯で同居することに反対していた。智宏を前にしても美佐子は盛んに不平を並べ立て、洋一は父と妻とのあいだで板挟みになり、一向に結論が出そうにない。

 何度も茂田家を訪問しているうちに智宏は、茂田家の子供は祖父である源次郎に懐いていることに気づいた。その様子を見ているうちに、智宏は自然と己の幼少時代の記憶を思い出し始める。

 幼い智宏(伊澤柾樹)はいわゆる“おばあちゃん子”であった。病弱な父・征二(柳葉敏郎)は入退院を繰り返してなかなか会えず、母・千恵子(原日出子)はそんな夫の看病と、生活を支えるためのパートに忙しく、結果的にそうなったのだろう。

 智宏の祖母・みさお(菅井きん)はかつて撮影所で結髪の仕事をしていて、そのためか時代劇を愛しており、智宏もまた影響を受けて、年がら年中チャンバラごっこをしているような子供だった。時代劇のヒーローのように、おばあちゃんもお母さんも、お父さんも守ってあげる――常にそう口にしていた智宏だったが、そんな彼も、病魔から父を守り通すことは出来なかった。

 近所の人々の支えもあって、父を喪ってからも村田家は穏やかに日々を過ごしてきたが、智宏(吉原拓弥)が中学生になってしばらくして、今度は祖母が病に倒れる。かつて智宏から父を奪った病魔が、今度は祖母を襲ったのだ。智宏と母は、祖母に対して本当の病名を告げないことに決め、祖母の前で気丈に振る舞いつづけていたが、いつまでも騙しおおせることは出来なかった……

[感想]

 前作『GROW〜愚郎〜からしてそうだが、俳優出身の監督・榊英雄はオーソドックスな素材を扱うことに拘りを持っているらしい。前作はいじめられっ子の成長物語であったが、本篇は祖母の想い出を軸に、家族というものを描いている。

 冒頭、いきなり題名と何の繋がりも見られない時代劇風の場面から始まるあたりからしてそうだが、序盤は正直戸惑うことが多い。当然時代劇のパートは夢なのだが、そのあとも主人公・智宏の仕事の様子がこれといった説明もなく描かれ、なかなか題名にある“おばあちゃん”が登場してこない。ようやく過去の回想に戻ったかと思えば、幼い智宏とご近所の大人達とのじゃれ合いにやたら尺が割かれていたりして、どうもテンポがぎこちない。どうもギクシャクした印象が強いのだ。

 だがそれも、話が進むにつれて次第に噛み合っていく。現代と過去のエピソードうまく絡みあって相互にイメージを膨らまし、表現としての落ち着きと饒舌さを増していく。

 前作からして顕著であったが、榊監督は物語を綴る、というより映画ならではの表現をすることへの拘りが強いようだ。やもするとそこが話から浮いてしまう危険を孕んでおり、序盤はまさにその危惧が現実のものとなった趣だが、しかし話が進むごとにどんどうまく溶けあっていく。分岐点は、柳葉敏郎演じる父親が一時帰宅したとき、智宏とチャンバラごっこをしたあとのくだりあたりだろう。そこから父の死をさり気なく描写し、以降は物語と馴染んで解り易くも胸、を打つような表現が増えていく。

 表現が伝わりやすくなっているのは、全般に人物の造形がオーソドックスであることが貢献している。寺島進演じる八百屋の主や、『GROW〜愚郎〜』の主演男優であった桐谷健太がカメオ的に演じたキャラクターのように奇妙なインパクトを残していく者もいるが、設定や場面場面での感情、表情は基本的にごく馴染みのあるものだ。だからこそ、状況状況での心理がいちいち理解できる。智宏の家庭環境が決して誰しもに思い当たるものではないにも拘わらず、場面場面での心情に共感できるのも同じ理由だ。

 そうして捉えたとき、智宏と共に主役を張る“おばあちゃん”の、見事に日本人の抱く“おばあちゃん”像の平均値を押さえた造形と演技には感嘆するほかなくなる。やたら個性を際立たせるのではなく、ああ、こんなおばあちゃんいたよね、いるかもね、いて欲しかったね、と思える造形に押さえたことが、観客をして智宏に共感させているのだ。

 作中で智宏が遭遇する困難が、必ずしも彼の行動によって解決していないことが、人によっては引っ掛かるかも知れない。しかし、誰かひとりの天才や驚異的な努力家によって支えられるのではなく、そうして自然に解決に至るものとして描いたことで、本篇は日本人が理想とする家族の姿をより実感させる内容になっている。

 繊細な描写を積み重ねていったうえで、最終的に現在と過去が、智宏にとって未知の出来事によって結ばれていくクライマックスは圧巻だ。あまりに涙を誘う表現の連発に、少々あざとささえ感じるほどだが、それすら構成の妙によって強すぎるインパクトを和らげ節度を保っている点も特筆に値するだろう。終盤の質の高さは、序盤のぎこちなさを補ってあまりある。

 物語自体も優秀だが、ロケーションの選択も絶妙であったことにも最後に触れておきたい。智宏の生家は路地の奥まったところに設定されており、その立地条件が、見送る祖母の姿を映しだすシーンなどで実に効果的に用いられている。他にも、川沿いに建った中学校や商店街など、その構成を巧みに活かした、映画ならではの見せ場や表現が無数にあることにも注目していただきたい。

 未だ荒削りな部分はあるものの、その朴訥とも言える味わいが主題と共鳴して、作品に唯一無二の魅力をもたらしている。今の榊英雄監督だからこそ撮りえた、愛すべき1本である。

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