『灼熱の魂』

『灼熱の魂』

原題:“Incendies” / 原作戯曲:ワジ・ムアワッド / 監督&脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ / 製作:リュック・デリー、キム・マックルー / 撮影監督:アンドレ・トゥルパン / 美術:アンドレ=リン・ボーパルラン / 編集:モニック・ダルトンヌ / 衣装:ソフィー・ルフェーヴル / 音楽:グレゴワール・エッツェル / 出演:ルブナ・アザバル、メリッサ・デゾルモー=プーラン、マキシム・ゴーデット、レミージラール / 配給:ALBATROS FILM

2010年カナダ、フランス合作 / 上映時間:2時間11分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12

2011年12月17日日本公開

公式サイト : http://www.shakunetsu-movie.com/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2011/12/17)



[粗筋]

 ナワル・マルワン(ルブナ・アザバル)が亡くなった。彼女と家族同然の付き合いをしていた公証人ジャン・ルベル(レミージラール)は、ナワルの双子、ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マキシム・ゴーデット)を呼び、彼らの前で遺言書を開示した。

 それは、とても奇妙な内容だった。約束を守れない者に墓碑銘は必要ない、と言い、姉弟に一通ずつ手紙を託す。ジャンヌには父親に宛てた手紙を、シモンには兄に向けた手紙を。それぞれの宛先の人物を探し出して、渡して欲しい。そのとき初めて、私の墓が建ち、銘が刻まれる、と。

 父親は戦地で死んだ、と聞かされていた。兄がいる、などという話も聞いたことがない。あまりに突飛な遺言に、姉弟は困惑した。母親に手を焼いていたシモンは、「最後ぐらい普通に弔いたい」と遺言に逆らおうとするが、ジャンヌは父親を捜すことにした。

 荷物をまとめたジャンヌが赴いたのは、中東某国の都市、ダレシュ。ナワルはここでフランス語を学んだ、と聞いていたナワルは、自分が助手を務める数学教授の紹介で、ダレシュ大学に勤める人物に面会するが、彼はナワルが在学していた当時にはおらず、手懸かりとはならなかった。しかし、どうにか当時から在籍していた人物の話を聞くことに成功する。恐らくナワルは学生新聞の編纂に関わっていたのではないか、とその人物は語るが、ナワルの写真を観察した彼は、驚くべきことを口にする。その写真を撮ったのは、国の南部にあったクファリアット監獄ではないか、というのだ。

 ジャンヌは更に足を進め、母の出身地である小村デルオムに赴く。僅かな世帯で構成され、寄り添って暮らすそこは非常に和やかな空気に包まれており、最初はジャンヌも歓待された。しかし、ジャンヌが母の名前を挙げた途端に、場の空気は険悪になる。フランス語を解する女性はジャンヌに、「あなたが本当にナワル・マルワワンの娘なら、歓迎することは出来ない」と告げた。ナワルはこの村に、大いなる恥辱を齎した人物として、未だに記憶されていた。

 ジャンヌは少しずつ、母の足跡を辿っていく。その先にあったのは、あまりにも壮絶な運命であった――

[感想]

 観終わって、言葉を失う、という感覚を久々に味わった気がする。

 鑑賞後にプログラムを読んで、作中登場する中東の国が架空のものである、ということを初めて知ったが、異様なほどリアルだ。現在も各国で紛争が絶えず、なかでも宗教を巡る抗争がなかなか根絶できない、という現実を踏まえ、登場人物がきちんとそれぞれの所属する文化で口を利く、というリアリティを演出するための基本を厳格に守っているが故だが、そのリアリティ故に、序盤から現在と並行して描かれる過去のパートの壮絶さに、最初から呑まれてしまう。

 粗筋では敢えて現在のパートのみを抽出して描写したが、作中では全篇、過去と現在とを交錯して描くかたちを取っている。そのために随所で、観客には解っているがジャンヌやシモンには解らない、という情報の示し方をしているのだが、このタイミングの工夫が、物語のミステリアスな空気、緊張感を巧みに生み出している。最初のほうだけ抽出して説明すると、遺書で父親と兄とを捜すように命じるナワルだが、それに前後して描かれる過去のシーンで、ナワルがムスリムの難民である恋人と逃げようとしているところで、その恋人がナワルの親族によって殺害されるシーンが描かれている。直後にナワルが祖母に妊娠を打ち明けており、このくだりだけで、産まれる子供が遺書で示唆する兄なのか、また新しい父親は誰なのか、という謎が観客のなかには生じてくる。本篇は終始、こうした構成の妙を駆使しており、非常に見応えのあるミステリ・ドラマとなっている。

 それだけだと、語りの巧さだけで引っ張っているように聞こえるかも知れないが、採り入れたモチーフの扱い、その膨らまし方も傑出している。過去のエピソード序盤から示される、宗教戦争の様子が滲ませる理不尽さ、八方塞がりの感覚は、中東での実際の紛争を題材とした映画に匹敵する、或いはそれを凌駕するレベルだ。決して描写は多くないのに、その過酷な現実を実感させる。もうひとつ、本篇はキリスト教の面から解釈しても非常に興味深い要素が鏤められているのだが、その点については詳しく触れない――何故なら、私が感じたことを説明しようとすると、結末に触れねばならなくなるので。

 ミステリ的な驚き、という意味でも優れた本篇のアイディアは、だがこうした現実を彷彿とさせる題材、厚みのあるドラマを構築したあとで繰り出すことで、途轍もなく重い衝撃を齎してくる。その内容に触れずに語るのが非常に厄介で、いま私は大変にもどかしい想いをしているが、とにかくこれほど重量を備えた“真実”はなかなか描けるものではない。アイディアとして思いつくことは出来ても、ここまでその発想が宿す衝撃を極限まで高めた描き方も、容易ではないだろう。

 その真相に観客が打ちのめされたあとで、更に繰り出されるクライマックスが、あまりに素晴らしい。それまでの様々な描写が結びついて情感を膨らませ、衝撃と悲劇性とを充分に観客に伝えたうえで明かされる、ナワルの真意。多くの描写が共鳴しあい、それまでの彼女の人生が押し寄せてくるような感覚。そのうえで彼女が遺した言葉の示す“境地”に、圧倒されずにはいられない。ラストシーン、ある人物が立ち尽くす姿で本篇は幕を下ろすが、恐らく観たものもあれに似た心境に至るはずだ。

 中東の閑散とした、しかし歴史の重みを感じさせる空間を背景に、情緒のある映像を組み立て、要所要所での人物描写も秀逸だ。これほど重みのあるストーリーをテンポ良く見せ、息もつかせぬエンタテインメントに仕立ててしまっているのも見事と言うほかない。

 豊潤な情感を備え魅力にも溢れ、観終わったあとで胸に残るものがあまりにも重く、それでいて尊い。上質のエンタテインメントにして、往年の名作に匹敵する傑出した“映画”である。宣伝において「アカデミー賞は本篇が獲るべきだった」という讃辞を誇らしげに掲げているが、私も同感である――同年にアカデミー賞外国語映画部門で賞に輝いた『未来を生きる君たちへ』も疑いのない名作だが、個人的には本篇のほうが勝っている、と感じた。

 これは、本当に凄い。

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