原題:“Wir Sind Die Nacht” / 英題:“We are the Night” / 監督&原案:デニス・ガンゼル / 脚本:ヤン・ベルガー / 製作:クリスティアン・ベッカー / 撮影監督:トルステン・ブロイアー / プロダクション・デザイナー:マシアス・ミューゼ / 編集:ユーリ・クリステン / 衣装:アンケ・ウィンクラー / 音楽:ハイコ・マイレ / 出演:カロリーネ・ヘルフルト、ニーナ・ホス、ジェニファー・ウールリッチ、アナ・フィッシャー、マックス・リーメルト、アルヴェド・ビルンバウム、シュテッフィ・クーフェルト、ヨヘン・ニッケル / 配給:Showgate
2010年ドイツ作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:関口暁子 / PG12
2011年11月26日日本公開
公式サイト : http://www.bloodyparty.com/
シアターN渋谷にて初見(2011/11/26)
[粗筋]
レナ(カロリーネ・ヘルフルト)の人生は、その日を境に一変した。
夜、居心地の悪い家を飛び出した彼女は、廃墟となった遊園地てま催されていたパーティに潜入し、そこでルイーズ(ニーナ・ホス)という女と出逢う。
やけに積極的に触れてくる彼女に、はじめは戸惑いながらも次第に享楽的な空気に酔っていったレナだったが、ルイーズに首筋に歯を立てられた瞬間、我に返った。
逃げるように家に帰り、ベッドに潜っていたレナは、明る朝、己の身の変化に気付く……朝陽を浴びることが出来ず、普通の食事が口に合わず、血を欲するようになっていた。
陽が沈んだあとでレナは昨晩のパーティが催された場所に赴き、そこにまだ残っていたルイーズとその仲間、ノラ(アナ・フィッシャー)とシャルロッテ(ジェニファー・ウールリッチ)に、自分に何をしたのか、と詰め寄った。
動揺し混乱するレナを、ルイーズは荒療治と称し、ある場所に連れて行く。意識朦朧とした状態で、朽ちかけたビルの個室に押し込まれたレナは、男から打擲され、そして己の変化の意味を悟らされる……
[感想]
本篇、英題がWe are the Nightという。それでヴァンパイアものだという、あまりにキャッチーなセンスに惹かれて日本で観られることを願っていたが、その実、出来栄えには決して期待は寄せていなかった。題名のセンスが内容に直結するわけではないし、日本公開にあたって変更されたブラッディ・パーティという邦題、太ることも妊娠することもない、という宣伝文句にやや不安さえ抱いていたほどだ。
だから、いざ観て、想像以上に正しいヴァンパイアものだったことに却って驚かされた。
十字架やニンニクといった、お馴染みの弱点は削られているが、それ以外はむしろ、あらかたその特殊性をきちんと捉え、そのうえにドラマを築いている。現代のヴァンパイアらしく、変に闇に籠らず、潜りのクラブを営み“狩り”以外でも収入の手段を確保しているという設定はリアルだし、可能な限りの享楽に浸り、無限の命を刹那的に堪能する生き方、というのも、ヴァンパイアの能力に対して人間が抱く憧れを思えば非常に自然だ。多くのヴァンパイアものでは、その能力は獲物となる人間の恐怖を醸成するためか、同じような夜の生き物と対峙する際の条件付けとして用いられるが、本篇ではシンプルに“欲望の具現化したもの”として描き出される。これが、有り体のようでいて、着眼点として意外なほど活きている。
そして、人間とは異なる時間軸で生きるが故の不幸、孤独についても、4人のヴァンパイアそれぞれのエピソードできちんと描き出す匙加減が巧みだ。ルイーズは最も長い時間を生きているが故に、ヴァンパイアとしての伴侶を切望し、それが物語を動かしていく。一方で、ノラは生活するホテルのポーターを愛おしく思いながらも、自分よりも脆いことを理由に近づくことを躊躇い、シャルロッテはレナと出逢ったとき既に破滅的な匂いを放ち、独特の存在感を発揮する。このシャルロッテの過去と現在との繋ぎ方は、ヴァンパイアという特性を考えればあって然るべき趣向だったが、意外と類例は思いつかない。基本的にはスピーディな語り口とスタイリッシュな表現が印象的な娯楽作品としての趣を保っているが、そのエッセンスは至極正統派の幻想小説の流れを汲んでいるのである。
他方で、映画としての見せ方にアイディアが鏤められているのも本篇の魅力だ。快楽に耽るシーンやアクション・シーンのスピード感に幻惑されがちだが、たとえばレナが心を通わせる刑事トム(マックス・リーメルト)と逢っている場面で、近くにルイーズがいることに気づくくだりの描き方や、終盤、警察隊とヴァンパイアとの戦いを間接的に見せる表現手法など、勢いに引っ張られて気づかないことも多いが、しばしばハッとさせられる演出が随所にある。人物配置もさることながら、演出が映画というものをよく理解していて、洗練されているのだ。
この設定――宣伝文句も問題なのだが――のわりに、想像するほど扇情的な場面がなく、観る側が恐怖を感じるようなシチュエーションがないこともあって、物足りない印章を覚える人も少なくないだろう。キャラクターの配置は素晴らしいが、たとえばルイーズのレナに対する感情が発露する場面や、ノラの人間に対する複雑な想いをもう少し組み込んでいれば、いっそう深みがあっただろうに、と惜しまれる部分もある。
特にあの結末については、映画にどう期待するかで評価が割れるように思うが、私はしかし、あれこそこの作品の真骨頂であるように思う。あそこで敢えて、結論を暈かした部分を残したからこそ、本篇の設定が持つ奥行きを嫋々たる余韻へと繋げている。
一見派手そうな表面と、ところどころに鏤められた扇情的なモチーフを宣伝の上では取っかかりにしてしまったために(それ自体は間違いではないと思う――本質だけ語ろうとすると、かなりマニアックになってしまうから)誤解され、観逃してしまう人もあるだろう。しかし本篇はごく正統的な幻想ホラーであり、実はゴシック・テイストの作品を愛する人こそ観るべき作品である、と私は思う。お色気に期待するには、本篇の精神はある意味でピュアすぎる。
関連作品:
『モールス』
『デイブレイカー』
『愛を読むひと』
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