ゴールデン進出後はほぼすべて観ているので、あらかた記憶しているものばかりですが、傑作選だけあってさすがに面白い。
しかし、久し振りに観ると、種の検証方法に色々と雑な箇所が見えます。たとえば、お受験前の子供達が「このはしわたるべからず」という看板を前にしたとき、一休さんの逸話のように橋の真ん中を通って渡るのか、という実験では、使用している橋が実際に渡れることを子供が知らないことで、とんちで渡るという選択肢がまず小さくなっており、しかも用意された目的が「受験合格のためのお守りを取りに行く」という、動機として充分とは思えないものを設定したために、「なぞなぞを解いて渡る」という意味がよく伝わっていないために、はなから親がしてほしい決断を見つけられる可能性がはじめから極めて低くなっている。
実験前にいちどあの橋を子供と渡るなどして、本来渡れる橋であるということを認識させ、かつ目的を「大切な忘れ物を取りに行かせる」とか「ご褒美を約束して行かせる」という感じにより具体的にしないと、あのなぞなぞを解き明かしてその通りの行動をするかどうか、は充分に検討したことにはならないでしょう。だいいち、基本的に「大人の言うことを素直に聞く」ことを前提としたお受験をさせられた子が、橋に何らかの危険があることを示唆した看板を前にして、仮にあのとんちを知っていたとしても、その解答通りに真ん中を歩いていくことはまずあり得ない。大人だって、なんの予備知識もなくあの看板を観たら、引き返す可能性のほうがずっと高いです。
しかし、あのトリビアの種を見ていて思うのは――やっぱりお受験というのは基本的に親のエゴでしかないんだな、という点。答が解らずに「お母さんごめんなさい」と呟きながら泣く女の子の姿は、子供が自分の問題として合格を目指しているのではないと言うことを如実に示している。あれを見て、子供に対して理不尽なことを強いているのだ、と気づかない程度の想像力しかない親に育てられてて、果たしてあのなぞなぞを白紙から解き明かす想像力がつくのかどうか。
後半に登場した『電車男』の実験も、条件設定がちょっと雑。話題になったほうの電車男は、あくまで電車というまわりの目がある状況だからこそ、万一の事態になっても別の人がどうにかしてくれる、という意識があるぶんだけ行動に出やすかったのであって、実験である都合から仕方なかったにしても、路地裏にて人目のない状態でやっては正確な検証にはならないでしょう。……そのわりに助けた人が多かったのは、まさに『電車男』が話題になっていた時期の実験だったからこそ。お遊びとしては面白かったのですが、検証にはなってませんよね、根本的に。
と、あれこれとツッコミを入れつつも、この番組の本懐はそーいうくだらない疑問や情報を大真面目に、あるいは予算と手間とを費やして徹底的に検証するその姿勢にこそあるのであって、割り切ってみているぶんには充分楽しいので、検証が正確でなくっても構わなかったりするのです。秀逸なトリビアはもうあまり出て来ないでしょうけれど、いまのスタイルを崩さない限りまだまだ続くことでしょう。
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