隠し剣孤影抄 [新装版]

隠し剣孤影抄 [新装版] 『隠し剣孤影抄 [新装版]』

藤沢周平

判型:文庫判

レーベル:文春文庫

版元:文藝春秋

発行:2004年6月10日

isbn:4167192381

本体価格:590円

商品ページ:[bk1amazon]

 海坂藩城下、数多の藩士のなかに、それぞれの流派の秘剣を受け継いだ者たちがいた。彼らの悲哀や人生の転機を描き出す“隠し剣”の連作中八編を収めた作品集。剣客とは思えぬ無様な言動の多い夫の知られざる姿を妻が知る『臆病剣松風』、藩主の命を帯びる剣士の暗殺剣に関する謎を取り巻く物語『暗殺剣虎ノ眼』、山田洋次監督によって映像化された『隠し剣鬼の爪』、あるふたつの家の逃れ得ぬ対決を描いた『宿命剣鬼走り』など。

 かなり昔に『蝉しぐれ』や『平四郎活人剣』などを、借りた全集で読んで以来の藤沢周平である。その流麗で読みやすい文体と、通常あまり焦点を当てられない市井の人々や禄高の少ない下級武士の暮らしぶりを中心とした物語に好感を覚えたのだが、他の本にかまけて長いこと遠ざかっていた。が、近年の映画狂いのなかで、山田洋次監督による『たそがれ清兵衛』、本書にも収録された『隠し剣鬼の爪』の二本に触れて久々にその世界観の心地よさを再認識し、また黒土三男監督による『蝉しぐれ』の公開が近づいていることもあって、ふと久し振りに手に取ってみた。本書を選んだのは、やはり映画で観た『隠し剣鬼の爪』の印象が強かったためである。

 とにかくこの著者の文章は読みやすい。他に幾つか並行してページを繰っていたものがあったのに、そちらを抛って読み耽ってしまったほどである。簡潔にして意を捉え、なおかつ美しい文章に終始惹きつけられたままだった。

 連作はいずれも、様々な流派に伝えられる秘剣を巡る物語という縛りが設けられているが、その切り口の多様さもまた興をそそる。その意味で特に出色なのは、昨年公開された映画版の記憶も鮮烈な『隠し剣鬼の爪』である。技倆において相並ぶものを備えながら一方は秘剣を伝えられ、一方は伝えられなかったために、両者の運命に差が生じ始める。伝えられなかった者は妬心のあまり剣鬼と化すが、秘剣の内実は決して彼の考えているようなものではなく、それがために主人公は胸を痛める。最後まで秘剣の存在に執着し、それを打ち破ろうとした敵方の様に、主人公も読み手も悲哀を感じずにはいられない。

 このように、明確な形で秘伝の存在が運命を左右する話ばかりではないが、しかし剣術の伝承を巡る因縁がいずれも多少なりとも人物関係に影響を齎しており、その扱いは非常に巧みだ。明確な差別の基準がある世にも拘わらず、秘技の伝承には人品とその技倆が重視され、そのことが地位との兼ね合いで人物同士の関係を複雑にしているのもまた面白い。

 しかし本書を読んでいて特に印象的だったのは、女性の扱いである。封建社会の物語らしく、立場は弱いのだが、それぞれに慎みを持ちながらも、時として己の意思を明確にする彼女らは、視点人物となる男達以上に魅力的に描かれている。女性の観点から描かれている『臆病剣松風』や『暗殺剣虎ノ眼』はもとより、『邪剣竜尾返し』の夫の計略のために主人公を誘惑する女、『隠し剣鬼の爪』の破牢した夫を救おうととち狂った行動に走る妻と主人公に寄り添う女中の対比、更に『運命剣鬼走り』の罪を犯した恋人と運命を共にして露と消える娘まで、その佇まいは読了後も脳裏に色鮮やかに残る。

 命のやり取りを主に描きながらも、殺伐とした印象はなく寧ろ読後感が爽やかなのも、男女問わず主軸となる登場人物たちが等しく潔いからだろう。味わい深く、読後清涼感を留める作品集である――本書と対となっている『隠し剣秋風抄』も早く読まないと。

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