1881年のイギリス、若き医師シメオン・リーが、親戚である司祭オリヴァー・ホーズを冒した病と、館に暮らした人々の悲劇の謎と対峙する〔エセックス篇〕、1939年のアメリカ、売れない俳優のケン・コウリアンが、ふとしたことで知り合った、大統領候補の息子オリヴァー・トゥックの死と、彼が遺した小説を巡る謎を探る〔カリフォルニア篇〕、《テート・ベーシュ》と呼ばれる、本を反転させて読む趣向で、時代を超えた物語が交わっていくミステリ。
日本では裏表紙の側にバーコードを刷ることが決まっているため、見た目は〔エセックス篇〕が主、ひっくり返して裏表紙のほうから読む〔カリフォルニア篇〕が従のような印象を受けてしまう。しかし実際は、どちらから読んでもいい、ということだったので、私はあえて〔カリフォルニア篇〕から読んでみた。
実際、どちらから読んでも問題はない。そして、どちらから読むかによって、物語の印象が変わる、というのも事実だった。
ただ、そう聞いて予想するほど、物語は一直線に繋がっていない。固有名詞やモチーフが時代を超えて跨がっているが、〔エセックス篇〕と〔カリフォルニア篇〕の登場人物がどのように繋がっているか、は決して明示されてはいない。
しかし、明らかに共通する要素、或いは両者で意識的に対称化されたモチーフが、読者の想像力を喚起し、様々な解釈をさせる。どちらから読むかによって、内容に対する考え方も変わってくるため、非常に多彩な読み解き方が出来るから、読者同士で感想や解釈を語り合う楽しさがある作品である。
本書を構成するふたつの物語は、それぞれ単独のミステリとして読むことも可能だ。仕掛けという点から見ればさほど複雑ではなく、読み解くのも難しくと思われるが、興味深いのは、双方の物語が、時代を色濃く感じさせる要素を反映していることだ。
たとえば〔エセックス篇〕では、ロンドンも絡んでくるが、そこでのトラブルは、数年のちに起きる《切り裂きジャック》を想起させるものだ。その事件そのものではないが、知識がある人ならそれを意識せずにいられないし、想像を逞しくすれば、そこに繋がっていくドラマとして描いたようにも受け取れる。
〔カリフォルニア篇〕は、主人公となるケン・コウリアンの目線で描かれる、第二次世界大戦前のハリウッドの様相や、調査の成り行きで長距離の渡航を余儀なくされたケンともうひとりの登場人物が選択した移動手段などが興味を惹く。しかし〔カリフォルニア篇〕については何より、事件の動機が非常に時代性を感じさせるものだ。そのものを描いていなくとも、読者の持つ知識と呼応して、時代を体現した物語として読めることがまた面白い。
ミステリとしてのみ読もうとすると、双方の事件ともに仕掛けがいささかシンプルすぎるため、どうしても物足りない印象を受ける。登場人物が限られているため、そういう意味での意外性がないのも惜しいところだ。ただ、その分だけ、時代背景を踏まえた背景には読み応えがある。そして、繋がりあう2篇のどちらから読んでも、残る1篇を読んだときの印象が変わり、更に再読したときにまた印象が新たになる面白さも期待出来る――さすがに時間がないので、私はふたたび〔カリフォルニア篇〕を読むところまで達していないけれど、少なくともそういう、この体裁ならではの面白さを備えた作品であるのは断言できる。
ちなみに本書は電子書籍でも発売されているが、サンプルを確認する限り、反転させて読む趣向は用いず、普通に〔エセックス篇〕→訳者なかがき→〔カリフォルニア篇〕→解説の順番で収録されている。目次からのリンクで、〔カリフォルニア篇〕から読み始めることは可能だが、嵩張ることを厭わないのであれば、紙書籍で読むことをお薦めしたい。1篇を読み終え、ひっくり返して反対側から読み始める楽しさは、やはり本としての質感があってこそだ。
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