池袋シネマ・ロサのロビーに展示された、菊池宣秀監督、藤本裕貴演出補、男鹿悠太演出補、美濃良偲演出補のサイン入り『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ109』ポスター。
構成&演出:菊池宣秀 / 製作:張江肇、鈴木ワタル / プロデューサー:張江暁、岩村修 / 演出補:藤本裕貴、男鹿悠太、美濃良偲 / 取材協力:一ノ瀬マキ / 音楽&音響効果:ボン / ナレーション:中村義洋 / 製作:日本スカイウェイ/コピーライツファクトリー / 配給:NSW / 映像ソフト発売元:BROADWAY
2024年日本作品 / 上映時間:1時間40分
2024年11月8日日本公開
2024年12月6日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video]
公式サイト : https://honnoro109.broadway-web.com/
池袋シネマ・ロサにて初見(2024/11/23)
[粗筋]
2024年9月リリースの『ほんとにあった!呪いのビデオ108』を節目に、シリーズの今後について見直していた製作委員会に、かつて在籍していた演出担当の菊池宣秀が、ひとつの企画を持ち込んできた。
このシリーズと同じ製作会社で作品に携わった経験もある映像ディレクターの一ノ瀬マキ(仮名)は、ある幾つかの奇妙な映像をもとに、そのなかに映る人々の行方を追っていた。
ひとつは、行楽の途中と思しい車内の映像で、両親と小学生だという娘が会話する様を記録しているが、突如として事故に遭遇する映像。ひとつは、その家族の父親らしき男性と、事故で亡くなった娘の顔を立体的にプリントしたと思しい仮面を被った少女と、撮影者の女性が花火で戯れる映像。そして最後のひとつは、死んだはずの少女がカメラに向かって語りかける映像。
この一家は最初の事故により娘は死亡、妻は長期にわたって意識が恢復せず、そのあいだに夫は離婚届を出して行方をくらました。意識を取り戻した妻が夫の行方を追うと、彼は失踪する直前にカルト宗教らしきものにハマっていたという。偶然に遭遇したかつての知人に対し、いまは娘とふたりで暮らしている、と語ったが、間もなくとあるダムの傍に所有する車と靴、そして遺書を残し、入水自殺したと見られる。
最後の映像に残る娘の手がかりを追ううちに、失踪した男性がその直前まで傾倒していたのが、蓮枝蝶子(仮)と名乗る、イタコの女性であった。どうやら男性は、この蝶子に大金を支払うことで、亡くなった娘を取り戻そうとしていた節がある。
開店休業状態だった製作委員会は急遽、菊池に一時的に演出として復帰してもらい、彼のスタッフという形で一ノ瀬の持ち込んだ映像の取材に乗り出す。108巻まで演出を担当していた藤本裕貴も演出補として一ノ瀬に帯同、手分けして調査に当たる。
『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ109』(Amazon.co.jp商品ページにリンク)
[感想]
『リング』のブームに触発されるように誕生した、多くの一般人も気軽に撮影出来るようになった動画に紛れ込んだ怪異を採り上げるこのシリーズも、遂に四半世紀を超えようとしている。2023年には、最初の演出担当であり、いまや日本屈指のヒットメーカーのひとりとなった中村義洋が特別に復帰して手がけた劇場版『ほんとにあった!呪いのビデオ100』が公開されたが、1年半を経てのもうひとつの節目には、投稿者から演出補としてスタッフに加わり、56巻から70巻までを演出として率いた菊池宣秀が復帰した。シリーズの大半に接している者としては、映画館で鑑賞せざるを得ないシチュエーションである。
ただ、率直に言えば、不安はあった。菊池監督の演出した巻は、序盤は前任者よりも低調な仕上がりが多く、次第に質は高まっていったが、それでもムラが激しく、ハラハラしながら追っていた覚えがある。演出を降りてからも、しばしば協力としてクレジットされていたので、決して現場から遠離っていたわけではないだろうが、それでも久々の演出で手がける作品のクオリティは、どの程度のものなのか。
残念ながら、危惧は的中してしまったらしい。いささか、隙の多い出来になっている、と言わざるを得ない。
一般家庭で視聴するためのメディアで、定期的にリリースしている、怪異を扱ったドキュメンタリー・シリーズは多かれ少なかれ嘘を孕んでおり、よほど信じやすいひとを除けば、その嘘にどこまで付き合えるか、どこまで許せるか、で見方も評価も大きく分かれてくる。私自身は、あまりに都合良くまとまっていたとしても、頷けるリアリティと、作り込んだ部分があれば、その嘘に付き合う、というスタンスでいるのだが、本篇の仕上がりはだいぶ微妙なのである。
本篇の場合、明らかに何かの仕掛けがあって、それを観客にも解りやすく映像として見せたいがために用意された設定がある、というのが明白すぎるのがいちばんのネックだ。さすがに詳しく論うことはしないが、多くの人は、ある人物の秘密にすぐ察しがつくだろうし、同時にある種の疑惑を抱くだろう。何故その見え透いた秘密を描かず、言及もしないのか、を観ている側としては訝しく思うが、その点には答えは出ない。この、スタッフ側のスタンスは本来、伏せたままにすべきポイントではないのだが、あえて飛ばしていることに不自然さを感てしまう。
だから、構造から解釈してしまう人は、こうした設定そのものが最終的な展開、仕掛けに関わっているのではないか、と勘ぐってしまう。そこからは読みの角度にもよって当たり外れは出てしまうだろうけれど、私の場合、ある部分はほぼ読み通りだった――内容そのものは解らなくても、本篇のやり口はそのくらい見え透いていて、はっきり言ってしまえば稚拙だ。
またこの作品、幾つもの複雑な事実、秘密が絡みあっているのだが、その多くの部分で、悪い意味での過剰さがちらつくのも難点だ。特に、中盤からクライマックスにかけての展開は、色々なものが未整理になって混乱しすぎている。撮影する現場ではそのままでもいいのだが、調査を行い、その過程を含めてドキュメンタリーとして見せるならば、最終的にはもっと整理されていていいはずだ。そうでないと、折角の怖さも伝わらない。
そういう意味でいちばん気になるのは、本篇においていちばん恐怖に繋げるべき部分を、劇中でしっかりと汲み取っていないことである。
編集の仕方からすれば、大事な事実に気づいていないはずがないのに、まるで解っていないかのような雰囲気がどうにもわざとらしい。むしろ、なにかを感じていることをしっかり示した方が、リアリティは出たはずだ。
しかも、クライマックスにて、こうした直感の原点となるいちばん重要な映像の扱いがまた、はっきり言って拙い。このシリーズでは、いちばん不気味な映像ほど咄嗟に意味が伝わらないことも多く、繰り返しリプレイをすることで際立たせるのだが、本篇は恐らく、多くの人が初見で気づく。それならそれでもいいのだが、問題は、すぐに気づくようなものを、まるで大発見のようにリプレイする編集はあまりにも不自然だ。また、人によっては気づかない可能性もあるのは認めるが、もしそこに配慮するなら、リプレイでコントラストや輝度を調整するなどして、際立たせるべきではないか。そういう配慮、工夫がないので、折角のクライマックスが冗長になっているし、わざとらしさばかりが印象づけられる。
断っておくと、ここで私が言及した部分について、自宅でDVDにて鑑賞した際は、最初に画面に映ったときと、再度再生される場面とでは明度、コントラストの調整が異なり、ラストのほうが解りやすく、クライマックスで恐怖が膨らむような編集になっていた。或いは、もともと家庭での視聴を考慮した編集になっていて、劇場では最初に採り上げた段階ではっきりと見えてしまうのは予想外だったのかも知れない。だが、まがりなりにも“劇場版”と銘打って制作するのなら、まずスクリーンで鑑賞することを想定した編集を行うべきではなかったか。
ホラー映画として捉えるなら、本篇の軸となる発想と展開は決して悪いものではないし、むしろフィクションと言われたほうが素直に楽しめる。しかし、ドキュメンタリーという体裁で提示しているから、その無自覚ぶりと雑さに、醒めてしまうのである。繰り返すが、軸となっている要素は興味を惹かれるものだし、なかなかに恐ろしいのだけど、選択した“ドキュメンタリー”というスタイルに噛み合っていない。仮に、フェイク・ドキュメンタリーと宣言した上でリリースされた作品だったとしても、本篇の出来には不満が残る。
いちばん問題なのは、関係者の行動がどうしても極端かつ不自然に感じる部分が多すぎて、観る側に謎とは別部分での苛立ち、モヤモヤを生んでしまうことだ。
はっきり言ってしまえば、問題は一ノ瀬マキという、実質的にこの作品の“主役”に位置づけられる人物にある。
完全なるフィクションと捉えれば、奇矯なキャラクターとして面白がることも出来るが、こういうフェイクであることをあえて明確にしていない、もしかしたら本物かも知れない、と思わせて見せる作品では、一ノ瀬の行動はあまりにも逸脱している。非常識な行動が多すぎると、そのことへの違和感が先走ってしまう。一見、常識的なことを言っているように見せかけても、自身がどのような立ち位置で一連の出来事に関わっているのか、無自覚すぎるので、説得力に欠いてしまう。しかも、特別に演出担当として復帰した、という立ち位置の菊池も含め、周囲のスタッフがそれを抑止することはおろか、そもそもの危うさにも無自覚なことも不自然極まりない。ひとつ前の劇場版や、今回はサポートに回った藤本裕貴演出による近作でも、随所で常識に沿った配慮をしているのに、この作品には常識感覚が欠如している。
本篇に先行する『ほんとにあった!呪いのビデオ108』は、シリーズの歴史を包括しつつ、作り手、そして視聴者に自制と自戒を突きつけるような内容で、ちょうど煩悩の数に一致する節目に相応しい仕上がりだった。何ならあそこで完結していても良かったくらいだが、本篇が製作され、私自身はこれを書いている現時点で未鑑賞ながら、既に110巻がリリースされ、続巻の予定も出ているようで、どうやらまだまだ“心霊ドキュメンタリー”の元祖は健在のようだ――ただ、そういう新章の狼煙と捉えるには、本篇はちょっと心許なかった。
――ただこれは、シリーズに対してまあまあ思い入れがあって、怪奇ドキュメンタリーの手法にも妙なこだわりを持ってしまったが故の評価だ。そこまで深く考えない人、世間に出回る怪奇ドキュメンタリーを一律でフェイクと断じて、そのうえで楽しむことが前提になっているなら、発想、重層的な作り、カメラの存在が活きるクライマックスと、きちんと見どころのあるホラーに仕上がっている。一方で、際立った見どころが少なく、一ノ瀬の行動にストレスを覚えるので、繰り返し通して鑑賞したい、という気分になりにくいのも事実であるけれど。
関連作品:
『ほんとにあった!呪いのビデオ リング編』/『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE』/『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE2』/『ほんとにあった!呪いのビデオ55』/『ほんとにあった!呪いのビデオ100』
『ある優しき殺人者の記録』/『パラノイアック PARANOIAC』/『ボクソール★ライドショー 恐怖の廃校脱出!』/『スケルトン・キー』
コメント