恐がらせてるんじゃない、笑わせてるんだ。

 わざわざ火曜日に固定する必要がなくなった、と気づいてから、プログラム切替直後の月曜日に午前十時の映画祭13を観に行く、というルーティーンに変更することを決めた……ものの、意外とそう簡単には運ばない。この前の『リバー・ランズ・スルー・イット』は別予定との兼ね合いでけっきょく火曜日にせざるを得なかったし、その前の『バベットの晩餐会』こそ月曜日だったけど別の思惑によりいつもの日本橋ではなかったし、その前の『ショコラ(2000)』は祝日と被って火曜日になった。というわけで、新しいルーティーンに乗せるのは、きょうが初めてだったりする。
 あんまし天気予報をチェックせずにいたら、いつの間にか今週は崩れがちの予報になっている。出かけるときは路面が濡れているくらいで、雨そのものは収まっていましたが、不安なのでほぼ濡れずに済むルートを使用して移動。
 いつものTOHOシネマズ日本橋にて鑑賞した今コマの作品は、刑務所上がりの男と家出をして船乗りをしていた男が偶然の出会いから旅を共にするロード・ムーヴィー『スケアクロウ』(Warner Bros.初公開時配給)
 いわゆる“アメリカン・ニュー・シネマ”の系譜に連なる作品と思われますが、本質的には何にもない。本当にそれだけの蓄えと成算があるのか不明な事業のために旅する刑務所上がりの男マックスと、家出しているあいだに妻が産んだはずの我が子のためにプレゼントを携えて帰郷する男ライオン。この奇妙なふたり連れの噛み合うようでズレたやりとりの歪さに不思議と説得力がある。どちらも、この心地よさを壊したくないから、本質的なズレを直視しようとしない。
 この食い違いは本人たちの言動、人間関係にも現れている。マックスの喧嘩っ早さ、思い込みの激しさは、不安定な暮らしぶりの一因と映る。一方のライオンは、その場を盛り上げる道化としては振る舞えても、現実に向き合うことが出来ない。だから、仕送りは欠かさなくても妻の暮らしぶりはおろか、産んだ子の性別も確かめられない。それでも終盤、遂に踏み込んでいくけれど、突きつけられる現実は残酷で、辿る末路は悲しい。
 冒険や奔放さが決してロマンに溢れたものではない、という現実を突きつけながら、それでもどこかで夢を見なければ生きられない苦しさを、生々しさと共に寄り添うような優しさで描いた、妙に沁みる作品でした。マックスという無愛想で武骨だった人物に起きた変化と、ラストシーン、あそこでああいう形でチケットを買った心情に少しだけ救いが見える。

 鑑賞後は例によって日本橋ふくしま館へ。今回もお目当ては、イートインに来ている老麺まるやです。今月は今日が最後の出店だからか、お土産は既に売り切れていましたが、大盛りで堪能してきたので満足です。
 ともあれ、今後は午前十時の映画祭13については、プログラム切替直後の月曜日に観に行くことを基本にする予定。けっこう長いこと火曜日に固定していた影響で、定期的な通院とかを月曜日に入れていることも多いんですが……まあ、前に比べれば通院する回数は大幅に減っているし、問題はあるまい。っていうか、基本、時間の融通は効くのだから、何かあればずらせばいいのだ。

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