
ヒューマントラストシネマ渋谷、シアター1入口前に掲示されたビクトル・エリセ特別上映のチラシ。
原題:“El Sur” / 原作:アデライダ・ガルシア・モラレス / 監督&脚本:ビクトル・エリセ / 製作:エリアス・ケレヘタ / 撮影監督:ホセ・ルイス・アルカイネ / 編集:パブロ・ゴンザレス・デル・アモ / 音楽:エンリケ・グラナドス / 出演:オメロ・アントヌッティ、ソンソーレス・アラングレン、イシアル・ボリャイン、ローラ・カルドナ、ラファエラ・アパシリオ、オーロール・クレマン、フランシスコ・メリーノ、ホセ・ビボ、ヘルマイネ・モンテーロ / 初公開時配給:フランス映画社
1983年スペイン作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:吉岡芳子 / 字幕監修:野谷文昭
1985年10月27日日本公開
2019年9月27日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video|Blu-ray Disc|ビクトル・エリセBlu-ray BOX(『ミツバチのささやき』ほかとセット):amazon]
ヒューマントラストシネマ渋谷にて初見(2024/2/2) ※『瞳をとじて』公開記念復活上映
[粗筋]
スペイン北部にある、城壁に囲まれた街近くの《かもめの家》に暮らすエストレリャ(イシアル・ボリャイン)はその夜、父アグスティン(オメロ・アントヌッティ)が遠くで去ったことを直感した。父が愛用していた振り子を、彼女の枕許に置いていったからだ。
かつては引越の多い一家だったが、《かもめの家》には数年に亘って暮らしている。引っ越して間もない8歳頃のエストレリャ(ソンソーレス・アラングレン)は父の特異性に気づかず、当たり前のこととして受け入れていた。町の病院で医師として勤める傍ら、不思議な力を備えており、井戸を掘る水脈を探り当てたりする“霊力”を保つため、しばしば屋根裏部屋に鍵をかけてひとり閉じこもることがある。
母フリア(ローラ・カルドナ)が言うには、父は南方の出身らしい。だが父自身の口から生まれ故郷の話が出ることはなく、エストレリャは父の荷物に紛れた写真からしかその様子を窺い知ることは出来なかった。
あるとき、エストレリャは父が机に隠したメモに、美しい女性のスケッチと、幾つも記された《イレーネ・リオス》という名前を目にする。そのとき初めてエストレリャは、父の心に母以外の女性が存在していることに気づいた。そして後日、その名の女性が実在することも、エストレリャの知るところとなる――
[感想]
往年のスペインの映画を観るとき、内戦から始まるフランコの独裁の影響を無視できない。2000年代以降にホラーを軸に活躍する監督ギレルモ・デル・トロでさえ『デビルズ・バックボーン』や『パンズ・ラビリンス』のような作品を発表している。リアルタイムにその言論弾圧を受けた時代の作り手ならば尚更だろう。
本篇を手がけたビクトル・エリセ監督の初長篇『ミツバチのささやき』がまさにそうした言論弾圧を強く意識した作品で、謎めいたくだりや一見何気ない描写のなかに、内戦の影響と、その圧力に対する静かな抵抗の意思がこめられていた。既にフランコ政権晩年ながら、言論弾圧は続いていたと見られる『ミツバチのささやき』には、当時の映画作家たちが苦しめられていた規制に対する反発が鏤められており、それがファンタジー的な展開に途方もない奥行きをもたらした。
この『ミツバチのささやき』から9年後に形となった本篇は、時期的には独裁政権終了後に製作されている。なにせスペインの歴史に疎いので、かつての言論弾圧がどの程度尾を引いていたのか、前作のように映画製作、その表現にも影響を及ぼしていたか、は解らない。ただ確実に言えるのは、仮に言論に対する圧力が小さくなっていたとしても、エリセ監督は当時の映像表現を敷衍して本篇を撮っている、という点だ。
物語はほぼエストレリャという少女の目線から描かれる。カメラはもちろん彼女の外側にあるが、映すものは基本的に彼女の眼差し、感情に寄り添っている。観客は事実上、エストレリャの目線から父親であるアグスティンという人物像を見つめることになる。
本篇の興味深いところは、視点であるエストレリャの成長に合わせ、父に対する観察が深くなっていくことだ。幼少時のエストレリャは、医師を務めながらも超常的な力を用いて地元に貢献する父親の姿を素直に受け入れ、一心に慕っているのが窺えるが、はじめは気にしていなかった事柄に、エストレリャが意識していなかった父の“秘密”を感じ取り、次第に印象が変わっていく。そして、物語が後半に入り、エストレリャが思春期を迎える頃には、父親の像はもはや一変している。神秘性は剥奪され、望まない現実を生きていた、むしろあまりにも人間くさい姿が浮き上がってくるのだ。思春期に差し掛かったエストレリャは、そこに覗く“男”としての表情に距離さえ感じているのが窺える。
BGMもなく、ひたすら静かに人物の表情、人間関係を織り込んだ映像には終始、詩的だが静かな緊張感が漲っている。そこから匂い立つ、エストレリャが暮らした“社会”と、そこにいる彼女と父の人間性のリアリティ、表現としての密度に圧倒される。
実はこの作品、当初は3時間あったという。だが、プロデューサーが後半部分の公開を認めず、この役1時間半の尺になったらしい。
何故、プロデューサーが後半を封印する、という判断を下したのかは解らない。しかし、敢えてすべてを明瞭にする前に物語を区切り、謎と余白を残したことが、作品の豊かな余韻を生み出している。如何せん、削られた後半部分についての情報が得られないので、全体像と比較して語ることが出来ないのがもどかしく思えるが、公開されたこの形がひとつの理想であることは間違いないだろう。
本篇のあと、ビクトル・エリセ監督は長い沈黙に突入する。1992年に長篇ドキュメンタリー映画『マルメロの陽光』を発表したほか、オムニバス作品の1篇を手懸けることはあったが、劇映画の長篇は2023年の『瞳をとじて』まで、40年も新作を発表しなかった。そこには様々な事情があるだろうが、この長すぎる沈黙もまた、本篇の嫋々たる余韻を強めているように思える。
ビクトル・エリセ監督の代表作が『ミツバチのささやき』であることは――41年振りの長篇劇映画『瞳をとじて』が公開されたいまもなお――揺るがないが、本篇もまた、観る者に強い印象を残す、傑作であることは間違いない。
関連作品:
『ミツバチのささやき』/『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』/『ポルトガル、ここに誕生す~ギマランイス歴史地区』
『ライフ・イズ・ビューティフル』/『湖のほとりで』/『BIUTIFUL ビューティフル』/『激情』/『地獄の黙示録 ファイナル・カット』/『メグレと若い女の死』
『デビルズ・バックボーン』/『パンズ・ラビリンス』/『鉄道員』/『8月の家族たち』/『search/サーチ(2018)』


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