![TOHOシネマズシャンテ、階段踊り場の壁面に掲示された、『A.I.[Artificial Intelligence]』上映当時の午前十時の映画祭16案内ポスター。 TOHOシネマズシャンテ、階段踊り場の壁面に掲示された、『A.I.[Artificial Intelligence]』上映当時の午前十時の映画祭16案内ポスター。](https://tuckf.work/wp-content/uploads/aiscss2001-photo20260725.jpg)
TOHOシネマズシャンテ、階段踊り場の壁面に掲示された、『A.I.[Artificial Intelligence]』上映当時の午前十時の映画祭16案内ポスター。
原題:“A.I. Artificial Intelligence” / 原作:ブライアン・オールディス / 監督&脚本:スティーヴン・スピルバーグ / 原案:イアン・ワトソン / 製作:ボニー・カーティス、キャスリーン・ケネディ、スティーヴン・スピルバーグ / 製作総指揮:ジャン・ハーラン、ウォルター・F・パークス / 撮影監督:ヤヌス・カミンスキー / プロダクション・デザイナー:リック・カーター / 編集:マイケル・カーン / 衣装:ボブ・リングウッド / キャスティング:アヴィ・カウフマン / 音楽:ジョン・ウィリアムズ / 出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、フランシス・オコナー、サム・ロバーズ、ジェイク・トーマス、ジュード・ロウ、ウィリアム・ハート、ケン・レオン / 声の出演:ジャック・エンジェル、ロビン・ウィリアムズ、ベン・キングズレー、メリル・ストリープ、クリス・ロック / アンブリン・エンタテインメント/スタンリー・キューブリック製作 / 初公開時配給:Warner Bros.×松竹 / 映像ソフト日本最新盤発売元:Happinet
2001年アメリカ作品 / 上映時間:2時間26分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2001年6月30日日本公開
午前十時の映画祭16(2026/04/03~2027/03/18開催)上映作品
2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video|Blu-ray Disc]
公式サイト : http://www.ai-jp.net/ ※閉鎖済
丸の内のどこかの劇場にて初見(2001/7/20)
TOHOシネマズシャンテにて再鑑賞(2026/7/25)
[粗筋]
未来、極地の氷が溶解したことによって沿岸にあった都市は全て水没、資源の枯渇によって貧困が悪化し、一方都市部では妊娠の許可制が用いられるようになり、労働力の大部分を高性能のロボットが担うようになった時代の物語。
極度に発達した技術により、ロボットは外見上も行動も人間と見分けのつかないレベルにまで及んでいたが、依然として感情――例えば“愛”は、反応を情報化して擬似的に再現するのみに留まっていた。ロボットを製造する企業・サイバートロニクスの開発者達は、そのレベルへの挑戦を試みる――そして誕生した最新鋭のロボット・デイヴィッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、実験的にサイバートロニクスの従業員・ヘンリー・スウィントン(サム・ロバーズ)とその妻・モニカ(フランシス・オコーナー)の元に齎される。スウィントン夫妻の一人息子は難病に冒され、治療法が発見されるまでの間冷凍睡眠処置がされており、ことにモニカの失意は見るに忍びないほどだったから。最初こそ抵抗を示したモニカだったが、彼女に飾り気のない親愛を見せるデイヴィッドに少しずつ心を動かされ、やがて最後の手続を行う――その時から、デイヴィッドにとってモニカはただひとりの“ママ”となった。
しかし、蜜月はあまりに短すぎた。モニカ達の本当の息子・マーティン(ジェイク・トーマス)の治療法が見出され、彼は奇跡的な生還を遂げた。無心にモニカを母として愛するデイヴィッドと、彼をあくまでクマのぬいぐるみのテディと同じ良くできた玩具――スーパートイズと捉えるマーティンとはうまく反りが合わず、マーティンに唆されてデイヴィッドはモニカを傷つけ、マーティンの友人の心無い悪戯から危うくマーティンを死なせそうになったデイヴィッドは、とうとうモニカの手によってテディ共々森に置き去りにされてしまう。その瞬間から、デイヴィッドの胸にはただ一つの望みが芽生えた。かつてマーティンと一緒にモニカに聴かせて貰った童話「ピノキオ」のように、青い妖精を見つけだして本当の人間の子供にして貰うこと。
一方その頃、女性に一夜の悦楽を齎すことを使命として与えられたロボットのジゴロ・ジョー(ジュード・ロウ)は、呼ばれるままに訪れた常連客が殺害されていたために窮地に陥り、デイヴィッドと同じ森に逃げ込んでいた。だが折悪しく、ロボットを憎悪する人々の祭典「ジャンク・フェア」のために廃棄ロボットを狩る一団が森に出没し、ジョーもデイヴィッドもその網にかかってしまう。守って、と言ってその手を放さないデイヴィッドのために破壊の俎上に乗せられたジョーだったが、あまりに人間らしいデイヴィッドの立ち居振る舞いが観客の同情を呼び、ふたりは辛くも破壊の危機を免れる。自分を救ってくれたお礼にと、ジョーはデイヴィッドを彼が会いたいと願う青い妖精の元に導くことを約束した。女性、というデイヴィッドの表現を真に受けて、ジョーは彼を巨大な歓楽街へと導く――
[感想]
ああ、また粗筋を最後まで書きそうになったじゃないか。
色んな意味で、これほど期待を裏切られなかった作品も珍しい。はっきり言ってデイヴィッドと家族との葛藤、その後の冒険、ラストまで骨子はほぼ想像通りだった。だが、それで失望したということは全くなく、映像表現・音楽・そして細かな演技のひとつひとつに至るまで行き届いた気配りが目を逸らさせず、寧ろこのテーマ・このシナリオならばこうするしかない、という極限を見せており頷かせられる。反面、世界設定や背景を必要以上に語らせず、細かい場面は(例えば、マーティンの生死、スウィントン夫妻のその後、クライマックス手前での人々の動向など)観る者の想像に委ねているのも巧い。
映像面での驚異的な先進性を敢えて脇に置くとすれば、本編の白眉はやはりハーレイ・ジョエル・オスメントの演技だろう。冒頭では人間の行動をスクエアに模倣し、動作に無駄がなかったものが話が進むに従って本当にごく普通の少年のように見えてくる(ただし、瞬きはしていない)この様が他の少年俳優に出来たとは思えない。一方で、ある意味地味なこの物語に文字通りの華を添えたジュード・ロウも素晴らしい。元々、『スターリングラード』で煤けていても汚されない驚異的な美貌の持ち主であり、だからこそ女性の性的快楽に奉仕するジゴロ・ロボットという役柄が嵌っているのだが、初登場時のコミカルさを保ち表面的に変化しないながらも確かに意識の成長を見せ、デイヴィッドとの別れのシーンに於ける最後の一言に圧倒的な説得力を齎した演技は高く評価されて然るべきだと思う。
――さて、本編で問題となるのはやはり終盤の、何処かぎこちなく映る展開だろう。これについては、ネタバレを忌避する方のために、そして観賞後にもうちょっと深い考察を試みてみたくなった方のために、別のページにて続けたいと思う。興味がおありの方は、↓の「深層」をクリックしてお進み下さい。
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2026/7/26追記
この上までは初見の当時に書いた感想である。
映画鑑賞の本数が激増したのがちょうどこの頃で、気づけばこのあたりの作品が《午前十時の映画祭》に複数、普通にラインナップされる時代になってしまったのが感慨深い。いまにして思うと、私が映画館通いを始めたのはフィルム上映の末期、そして次第にデジタル化の機運が高まり、入れ替わり始める最初の頃だったのだ。映像的に、当時としてはハイレベル、現在観ても決して遜色はないが、エンドロールの文字の滲みなどに、多少は時代を感じる。
そういう時の流れがもたらす影響、という意味では、思いのほか大きかったのは、《A.I.》という存在の広がりと、実際的な受け止め方の変化である。
本篇の公開時期から、それこそ2010年代くらいまではまだ、人工知能の技術が発展したことにより、それこそ『ターミネーター』の世界のような、優位に立った人工知能の支配もけっこう本気で信じられてきた。本篇で描かれたような、人工知能の個性、尊厳といったものに注目する視点は、一部では既にあったものの、当時は極めて新鮮だった。
しかし時代を経て、いまや多くの人々がそれぞれの持つ端末でカジュアルにAIを利用するようになった。結果として浮上してきたのはむしろ、データが蓄えられないうちは画一的で柔軟性に欠くAIの判断に依存する危険性と、多数の人間が同時に複雑な処理を要求するために必要とされるリソースの膨大さ、という問題点のほうだ。
本篇に登場するデヴィッドは、恐らく実際には何らかの動力を体内に保持している、と考えられるが、劇中、エネルギーの補充をしている様子がない。そして、加速度的に増えていく情報を、さほど抵抗なく蓄積しているように映る。現代の技術の概観と比較すると、そもそもこの水準に到達することが難関なのだと思う。
ただ、そういう知識が出来ていると、却って本篇を、意識的に技術を極度に高めた大前提のうえで描かれるお伽話として捉えられやすくなった気はする。そして、本篇の根底にある、人工知能という技術を突き詰めた先にある、機械にも存在する“尊厳”という主題が、より感じやすくなった。
モニカの息子となったデヴィッドが、その後に味わう苦難は奇しくも、特殊な家庭環境で生じる上下関係とDVという、現代社会にも存在する問題の写し絵にも思える。愛することを知ってしまったデイヴィッドと、その想いを理解しているからこそ苦悩するモニカという構図は、いま改めて鑑賞するとかなり胸に響く。そして、死の淵から舞い戻ったマーティンと、時分でデヴィッドを連れてきたにも拘わらず軽率なことを口走るヘンリーに苛立ってしまう。
本篇を鑑賞すると、いささか出来すぎているように感じるクライマックスは、むしろ「そうあって欲しい」という姿だ。時代が進み、倫理観が厳しくなるに従って、こういう結末を望む観点はより自然になったのではなかろうか。
そう考えると、やはり本篇は極めて先進的な作品だった、と思う。
公開当時、構想していたスタンリー・キューブリックではなく、スピルバーグが完成させたが故に物足りない出来になった、キューブリックだったらもっと傑作になった、といった趣旨の意見をしばしば聞いた覚えがある。
私自身は当時、キューブリック作品にほとんど接していないこともあって、「キューブリックを神聖化しすぎでは?」と疑問に思い、それでも充分に作品として完成されている、という立場だった。
しかし、四半世紀を経て、キューブリックの名作にも多少触れてきたうえで再鑑賞しての印象は――仮にキューブリックが存命のうちに、より深く関わっていたとしても、極端な違いはなかっただろう、というものだった。
むしろ、その主題の先進性、先見性はキューブリックらしさそのものだ。存命であるうちなら更に質を高めていた可能性は否定しないまでも、恐らくスピルバーグ監督はキューブリックの着想、構想に敬意を表し、そのうえでスピルバーグらしく作品として仕上げていったのだろう。
なお、上に載せたリンクの先の文章は、基本的に手を入れていない。いまならネタばらしをしないように出来るだけ配慮しても、時代の変化という材料を付け足すことでこのくらい書けてしまったので、当時はこのノリで、こんな感じで書いていたのです、ということを残しておくため、敢えてそのまま再掲載した。それでも読んでみたい、という奇特な方はリンク先にください。
関連作品:
『激突!』/『JAWS/ジョーズ』/『未知との遭遇 ファイナル・カット版』/『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』/『E.T. 20周年アニバーサリー特別版』/『プライベート・ライアン』/『A. I. [Artificial Intelligence]』/『マイノリティ・リポート』/『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』/『ターミナル』/『宇宙戦争』/『ミュンヘン』/『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』/『戦火の馬』/『リンカーン』/『ブリッジ・オブ・スパイ』/『ウエスト・サイド・ストーリー(2021)』/『フェイブルマンズ』
『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか』/『2001年宇宙の旅』/『時計じかけのオレンジ』/『シャイニング 北米公開版〈デジタル・リマスター版〉』/『フルメタル・ジャケット』
『ぼくの神さま』/『死霊館 エンフィールド事件』/『チェ 28歳の革命』/『London Dogs』/『チェンジング・レーン』/『スパイ・ゲーム(2001)』/『トイ・ストーリー3』/『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』/『サスペクト・ゼロ』/『マディソン郡の橋』/『魔女がいっぱい』
『ブレードランナー ファイナル・カット〈4Kマスター版〉』/『ターミネーター』/『ターミネーター2』/『マトリックス』/『ロボット』/『トランセンデンス』/『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』/『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』


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