芦辺拓『明治殺人法廷』

芦辺拓『明治殺人法廷』(Amazon.co.jp商品ページにリンク) 『明治殺人法廷』
芦辺拓
判型:四六判ハード
版元:東京創元社
発行:2024年9月13日
isbn:978448029128
価格:24200円
商品ページ:[amazon楽天BOOK☆WALKER(電子書籍)]
2026年8月21日読了

 時は明治二十年、思想統制として発せられた保安条例によって、多くの政府に批判的な思想家、報道関係者が一斉に東京を追放された。若き探訪記者・筑波新十郎も横浜を歴て大阪に流れ着き、奇縁によって中江兆民を筆頭とする東雲新聞の記者として迎え入れられる。
 それから間もなく、堀越質舗で六人が惨殺される事件が発生する。警察が容疑者として逮捕したのは、蔵に閉じこもり、赤子と共に難を免れたかに思われていた、一家に起居していた親戚の子・堀越信であった。
 代言人(当時の弁護士)・迫丸孝平は、堀越家近隣の住人たちの要請もあって信の弁護を引き受ける。孝平は信が無辜である可能性が高い、と考えたが、この当時、欧米のような弁護論証などろくに行われず、起訴されれば有罪は覆しようがない。代言人の地位も低く、弁論どころか証人質問さえ容易には認められない。
 この極めて高い障害に、新十郎や近所の有志の協力を得て孝平は挑む――

 日本推理作家協会と本格ミステリ大賞の2冠に輝いた『大鞠家殺人事件』に続く近代史ミステリ――と大雑把に括りたくなるが、内容的に直接の繋がりはない。歴史的事実が物語に絡む物語や、刑事事件捜査におけるこの時代ならではの事情が状況を複雑にする、という発想は相通ずるものがあるので、『大鞠家殺人事件』が楽しめた人なら入り込みやすい。
 序盤は肝心の殺人事件よりも、明治二十年に発令された保安条例を巡る混乱、為政者の横暴ぶりの描写が色濃い。明治政府を、封建社会を終わらせた近代的思想によって成り立ったものではなく、むしろ維新の中心を担った薩摩藩・長州藩出身者の意向で動く思想統制社会と捉えて描いている。その後も続く自由民権運動や市民の反発によって、保安条例そのものは程なく変更を余儀なくされるのだが、にしても、本篇の中で描かれる思想弾圧、はなかなかに息苦しい。著者特有の、講談的な語り口が作品に滑稽な味わいを加えているので受け止めやすいが、時代の厳しさは実感できる。
 しかし、それ以上に厳しいのが法廷だ。今でも有罪率は極めて高いが、基礎までの証拠固めが(充分とは断言しかねるものの)ある程度は行われているが、本篇で描かれる警察組織は現代より遥かに強権的で、予断で捜査を行い、容疑者を告発する。被告の権利であるはずの代言人にも大した権限は与えられておらず、なんなら裁判官に反論しただけで侮辱と受け止められる。どれほど無辜の可能性が高くとも、起訴されれば有罪を覆すことはほぼ不可能だ。
 こんな絶望的な状況での弁護だから、当然、孝平たちはたびたび、現代の法廷劇ではあり得ない困難に直面する。他ではなかなか味わえない類のサスペンスがあり、裁判が始まってからの牽引力は強い。
 およそ科学的な検証など行えない、そもそも行っていないような状況で、果たして論理的な謎解き、整合性のある結末が描きうるのか、と心配にすらなるが、そこは特殊条件のミステリを多数手懸けてきた著者だけあって、しっかりと突破していく。むしろ、警察関係者がまともな捜査を行っていなかったからこその荒技まで用意されていて抜かりがない。終盤で明かされる真相には膝を打ち、ある事実が判明したときなど、思わずページを遡ってしまう衝動を押さえられないはずである。
 当時の実在する人物が登場し、現代にも絡む要素がちりばめられた近代歴史小説としての面白さもある。明示はしていないが、他の芦辺作品とも繋がりそうな要素もあって、昔からの読者ならではの楽しさもある。著者らしいサーヴィス精神と本格ミステリへの執念が紡ぎ上げた、読み応えのある大作である。


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