原題:“Nuovo Cinema Paradiso” / 監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ / 製作:フランコ・クリスタルディ / 撮影監督:ブラスコ・ジュラート / 美術:アンドレア・クリサンティ / 編集:マリオ・モッラ / 衣装:ベアトリーチェ・ボルドネ / 音楽:エンニオ・モリコーネ、アンドレア・モリコーネ / 出演:フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ、アニェーゼ・ナーノ、プペラ・マッジオ、レオポルド・トリエステ、アントネラ・アッティーリ、エンツォ・カナヴァレ、イサ・ダニエリ、レオ・グロッタ、タノ・チマローサ、ニコラ・ディ・ピント / 配給:Asmik Ace
1988年イタリア・フランス合作 / 上映時間:2時間4分 / 日本語字幕:吉岡芳子
1989年12月16日日本公開
2005年12月23日リヴァイヴァル上映
午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品
新・午前十時の映画祭(2013/04/06〜2014/03/21開催)上映作品
第三回新・午前十時の映画祭(2015/04/04〜2016/03/18開催)上映作品
午前十時の映画祭10-FINAL(2019/04/05~2020/03/26開催)上映作品
2016年4月6日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon|完全版&インターナショナル版 Blu-ray Box:amazon]
公式サイト : http://n-c-p.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/09/10)
[粗筋]
夜遅くに帰宅した映画監督サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(ジャック・ペラン)は、ベッドに横たわる恋人に、母(プペラ・マッジオ)から電話があったことを伝えられる。母が伝えたのは、アルフレード(フィリップ・ノワレ)の死であった。
――第二次世界大戦が終わってから数年のイタリア、シチリア島にあるジャンカルド村で、彼は育った。幼いサルヴァトーレ、通称トト(サルヴァトーレ・カシオ)の遊び場は村で唯一の映画館、シネマ・パラダイスである。
教会が経営していたこの映画館では、一般公開の前に神父(レオポルド・トリエステ)が検閲を行い、ヌードや赤裸々な性描写、キスシーンの類はカットが施されていた。トトはこうしてカットされたフィルムに興味を抱き、検閲中の劇場に忍びこんで、譲って欲しいとアルフレードにせがむ。苦慮したアルフレードは、フィルムをやる代わりにもう2度と映写室に入ってくるな、フィルムは俺が管理する、と無茶な理屈でトトを追い出した。
しかし、それでもトトの映画への想いは衰えなかった。まだ若かった母(アントネラ・アッティーリ)から使いを頼まれて渡された金でこっそりと映画館に入り、終映後に叱られそうになったトトを、アルフレードは「自分がタダで入れてやった。金は落としたのだろう」とごまかし、少年を庇う。
それからしばらくして、今度はトトがアルフレードを助けることになった。10歳で映写技師になったアルフレードは、きちんとした教育を受けておらず、トトたちと一緒に小学校の卒業資格試験を受けることになった。しかしまったく解けない彼のために、トトはこっそり解答を手渡す。
その恩を返すかのように、アルフレードはトトを映写室に受け入れるようになった。映写機の扱いを教え、少しずつフィルムの交換なども任せるようになる。2人の関係はまるで師弟のようでもあり、まるで年の離れた友人のようでもあった。
だがある日、そんな彼らの身に、災難が降りかかる……
[感想]
驚くことに、本篇の製作からまだ20年ほどしか経っていない。既に古典として語り継がれている感があるだけに、もう40年ぐらいは経過しているような気がしていたが、『ダイ・ハード』とほぼ同年に製作されており、『マトリックス』と10年ほどしか隔たっていないのである――まあ、このあたりは人によって感じ方は異なるのだが。
いずれにしても、本篇はもはや古典と言っても差し支えないだろうし、時代を超えて残り、愛される傑作であることは間違いない。今回、劇場にてきちんと向き合って、そのことを確認することが出来た。
ただ、作品の内容云々以前に、本篇を観ていて興味深いのは、映画館における人々の様子が現在と大きく隔たっている点だ。居眠り、小声の雑談は当たり前、あちこちで煙草を吸う姿が見られ、後年には暗がりを利用して非常に淫らな真似に及ぶ者もある。昨年、カンヌ映画祭60周年を記念して製作されたオムニバス『それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60周年記念製作映画〜』でもそうした描写が頻出していたが、現代のマナーとはかなり異なる雰囲気にいささか度胆を抜かれる。価値観や共同体の形成過程が変わっていったことで生まれた差違なので、現代のように完全禁煙、静かに鑑賞することを基本とした姿勢よりも当時のほうが和やかで良かった――などと決めつけるのは正しくないのだが、こういう形で見せられると少々憧れを感じてしまうのも事実だ。特に、キスシーンが削除された、とあからさまに伝わる場面で観客が一斉にブーイングしたり、悪役が捕縛されるシーンで場内から拍手が湧き起こるくだりなどは、現代でも控え目に起きることはあるが、誰もが顔見知りだという立地条件ならではの一体感が伝わって快い。
当時ならではの描写の中で、物語にとって大きなポイントとなっているのが、劇場の経営者である神父が破廉恥なシーンを検閲しているところと、この頃のフィルムが非常に燃えやすかった、というところだ。いずれも往年の映画業界を物語るエピソードだが、これらがちゃんと作品全体に大きく関わってくる。決して単純な郷愁のみで作っていないところに唸らされるのだ。
本篇は、冒頭が時を経て立派に成長したサルヴァトーレが過去を回想する、という体裁になっているため、彼が自らの原点を辿る物語、と言えるだろう。だがそれ以上に、年齢を超えた友情と、師弟関係にも似た絆が育まれていく過程を描いた作品、という側面が強いように思う。
鍵を握るのは、映写技師アルフレードの来歴だ。10歳の頃に映写技師になり、以来まともな教育を受けたことがない。だからこそ、年老いてから小学校の卒業試験を受ける羽目になり、更にはそこでトトを頼る、という、現代の目で見れば倒錯した成り行きになっている。アルフレードはそうして小さな村に閉じこもってしまった自分を、映画に対して異常なほど愛情を注ぐトトに見出したのだろう。だからこそ彼は、次第に親しくなっていったトトに、自分と同じ道を歩ませたくない、と感じはじめた。「自分には他に出来ることがなかった。お前には未来がある」といった中盤の述懐が、彼の胸中を濃密に物語っている。
しかし、それでも結局トトは学校に通いながら映写技師として働き始める。逆に勤めることが出来なくなったアルフレードだが、それでも彼は終始トトに寄り添い続け、青春の悩みに迷う彼の羅針盤の役割を果たす。
トトの成長、社会の変化を経て、次第に2人の関係はねじれていくのだが、しかし一方で絆は強くなっている。それが本当の意味で理解できる終盤が圧巻だ。冒頭でトト=サルヴァトーレが30年も郷里に帰っていないことが仄めかされるが、その理由や、離れているあいだにアルフレードが何を想っていたのか、といったことが、意識して不明瞭に、或いは間接的に描かれる。細かな表情や要素によって綴られる心情、時を経た変化が、ひとつひとつ胸に沁みてくる。
そしてそれらを象徴する伝説的なラストシーンは、映画好きならば誰しも涙ぐんでしまうに違いない。既に多くの人が観ている作品であるため、私自身がどんなラストなのか予備知識として持ったうえでの鑑賞だったのだが、それでも胸が熱くなった。
きちんと鑑賞してみて、どうして高く評価されているのか、それこそ『ローマの休日』のような古典的名作と並び称されているのか、とてもよく理解できた。そして今更ながら、例えば『僕らのミライへ逆回転』のような映画に対する想いを注いだ作品が、本篇を雛型にしていることを初めて明確に知ったように思う。
DVD、ブルーレイとメディアが新しくなるたびにきちんとリリースされている本篇だが、しかし機会があるならば劇場で観たほうがいい。これほどに映画への想いが溢れた作品は、大きなスクリーンで観るのがいちばん相応しい。
関連作品:
『題名のない子守唄』
コメント
[…] 鑑賞したのは、『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督のもう一つの代表作を2ヴァージョン連続で上映するうちの第1弾。 […]
[…] [感想] 誕生からいちども船を下りたことのないピアニスト――という、この設定がまず、あまりにも魅力的だ。 […]