『英雄の証明(2021)』

新宿シネマカリテ、ロビーに繋がる入口脇に掲示された『英雄の証明(2021)』ポスター。
新宿シネマカリテ、ロビーに繋がる入口脇に掲示された『英雄の証明(2021)』ポスター。

原題(ローマ字表記):“Ghahreman” / 英題:“A Hero” / 監督:アスガー・ファルハディ / 脚本:アスガー・ファルハディ、ガザル・ラシディ / 製作:アスガー・ファルハディ、アレクサンドル・マレ=ギィ / 共同製作:オリヴィエ・ペール、レミ・ブラー / 撮影監督:アリ・ガーズィ / 美術:メーディ・ムサヴィ / 編集:ハイデー・サフィヤリ / 衣装:ネガル・ネマティ / 出演:アミル・ジャディディ、モーセン・タナバンデ、サハル・ゴルデュースト、マルヤム・シャーダイ、アリレザ・ジャハンディデ、サレー・カリマイ、サリナ・ファルハディ、フェレシュテ・サドル・アラファイ、エーサン・グダルズィ、ファッロク・ヌールバクト、モハッマド・アガバティ / 配給:SYNCA / 映像ソフト日本盤発売元:Happinet
2021年イラン、フランス合作 / 上映時間:2時間7分 / 日本語字幕:金井厚樹 / 字幕監修:ショーレ・ゴルパリアン
2022年4月1日日本公開
2022年12月2日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD VideoBlu-ray DiscBlu-ray Disc amazon.co.jp限定プレスシート付]
公式サイト : https://synca.jp/ahero/
新宿シネマカリテにて初見(2022/4/30)


[粗筋]
 ラヒム・ソルタニ(アミル・ジャディディ)は刑務所の休暇制度を利用して一時出所した。
 借金の保証人となった当時の妻の兄バーラム(モーセン・タナバンデ)によって訴えられたことで投獄されたラヒムは、借金を返済しなければ出所が叶わない。今回の休暇は、返済の目処をつけることが目的だった。
 数日前、ラヒムは現在の恋人ファルコンデ(サハル・ゴルデュースト)から、バス停近くでバッグの落とし物を拾った、と聞かされた。中には日用品と共に、17枚もの金貨が入っており、ファルコンデはラヒム釈放のためにこれを売却して返済に充てよう、と考えた。
 ラヒムは姉・マリ(マルヤム・シャーダイ)の夫・ホセイン(アリレザ・ジャハンディデ)を訪ね、返済のあてが出来た、と言うが、貴金属商の評価はラヒムの想定より安かった。ラヒムは残額を、ホセインから小切手のかたちで補填してもらおうとするが、バーラムは一括の返済でなければ受け付けない、と拒絶した。
 バーラムが金を受け取らず、訴えを取り下げないのなら、ラヒムは刑務所に戻るしかない。それなら着服しても仕方がない、と考えたラヒムは、バッグの持ち主を探して返すことにした。刑務所の所長の番号を連絡先に貼り紙をして待ったところ、持ち主を名乗る女性からの連絡があった。投獄されているラヒムは、女性にマリの自宅を教え、預けておいた荷物を返した。
 この話に、刑務所の職員たちが食いついた。無償の善意を、刑務所のポジティヴな宣伝に用いようとしたのだ。この目論見は見事に的を射て、ラヒムはメディアに採り上げられ、あっという間に英雄へと祭りあげられた。誰もがラヒムの人格を褒めそやし、遂には慈善団体がラヒム救済のために彼を表彰し、定例会で彼のために寄付を募った。
 有頂天のラヒムだったが、彼を訴えた当事者であるバーラムは納得しない。それどころか、金貨を返した、という話じたいがでっち上げ、という疑いさえかけた。
 ラヒムは慈善団体に職の斡旋を受ける。だが、面接で採用担当者は、ラヒムがバッグを返した、という事実の証明を求める。釈然としないラヒムに採用担当は、SNSでラヒムに対する疑惑が唱えられていることを告げる。
 このときを境に、好転していたかに見えたラヒムの運命は、ふたたび悪い方へと転がっていく――


[感想]
 他人の評価は移ろいやすい。日本だろうとアメリカだろうと、イランであろうと。まして、SNSという形で簡単に意見や感情を発信できる世の中ではなおさらに。
 アスガー・ファルハディ監督は、国際的な評価の高さゆえに欧米圏を舞台にした作品も撮っているが、代表作はやはり母国イランで撮影した作品である。基調はイランに生きる人々の日常であり、物語はその底に横たわるイランならではの社会的な問題がある。
 本篇も導入から、日本やアメリカなどとは異なるイラン特有と思われる社会の様子に困惑する。主人公ラヒムは投獄されているが、罪状はどうやら借金の踏み倒しである。日本で言えば民事にあたるケースで、強盗目的や詐欺事件というのでもなければ、刑務所に入れられることはない。しかも、休暇のあいだに金を工面して、貸主に返済し認められれば出所できるらしいのだ。そういう法体系になっているから、と言われればそれまでだが、法のある種の“緩さ”に驚かされる。
 実際、刑務所の様子もだいぶ違う。お仕着せを着ている様子はなく、囚人と刑務所の職員たちが接する姿はまるで会社の事務室のようだ。仮出所のような一時外出を“休暇”と呼び、事実、認められる理由があればけっこう簡単に外出許可が出ていることも窺える。
 だが、これほど緩く映る服役であっても、やはり世間体は悪く、いっときも早い出所を望むようだ。ラヒムもまた、恋人ファルコンデらの協力で、借金した相手が訴えを取り下げてくれるよう、どうにか確保した“休暇”を費やそうとしたのだ。だから、拾った金貨を売り捌くことをいちどは思いついてしまう。道義的には肯定できないが、心情としては頷けてしまう成り行きだ。
 しかしここから、ラヒムは運命の悪戯に翻弄されていく。思ったほどの価値にはならなかったから、という理由で売却を断念し、金貨の持ち主を探して返した経緯を、美談として喧伝されてしまう。そもそも、ただ自分の利益にならないから、という理由で返しただけだったが、それを「素晴らしい行いだ」と賞賛されれば、舞いあがってしまうのも、また人としては不思議なことではない。そんなラヒムを、美談として宣伝に使いたい刑務所や、支援の実績を上げたい福祉団体が担ぎ上げるのだから、なおさらに拒絶できない。
 だが、貸主は依然としてラヒムを許していないし、信用もしていない。そこには、過剰に祭りあげられるラヒムへの羨望もあるだろうが、ある程度は理性的な疑念でもある。ラヒム自身が知る経緯からすればあり得ないのだが、売名のために美談をでっち上げた、と憶測してしまうのも、人としては珍しいことでもない。そして、この貸主の呟きが、まるで伝染病のように蔓延し、ラヒムを巡る状況は急速に悪化していく。
 ここでの出来事は多分に、前述したイランの社会事情特有のものではある。ただ、その反応、心理的変遷はどこの世界でも起こりうる、と言い切っていいだろう。人間は必ずしも英雄的に振る舞おうとするわけでも、悪意をもって他人を解釈する訳でもないが、その言動はちょっとした情報の流れに影響される。それが真実であるか欺瞞であるのか、はあまり関係なく、すべて心象だけで拡散されていく。否定しようにも、何気ない行動に証拠を確保している人間などなく、名誉も信頼も奪われていく。こうして大きく括っていけば、心当たりのある人もいるだろう。心当たりがなかったとしても、決してどの国でも無縁の話ではない。
 これまでも、イランの社会情勢や文化を背景に、世界にも通じる普遍性のあるテーマを深く描き出してきたアスガー・ファルハディ監督だが、本篇は特に現代的だ。例によって抑制の効いた、丁寧な筆致で次第に追い込まれる姿はあまりに痛々しく、やがて辿り着く結末は、もはや地獄のようにも映る。冷静に考えれば、序盤の状況を踏まえると、それほど結末は違わなかったはずなのに、その光景はあまりにも重苦しい。
 率直に言えば、『別離』や『セールスマン(2016)』といった作品と比べると、人々の言動がやや軽率すぎて、深みに欠く印象は否めない。しかし。イラン特有の風土を活かしつつも世界的に通用するテーマを淡々とした筆致で抉る作風は本篇でも一貫している。本篇もまた、遠い異国の出来事のようでいて、決して他人事ではない、現代の寓話となっている。


関連作品:
彼女が消えた浜辺』/『別離』/『セールスマン(2016)
誰も守ってくれない』/『白ゆき姫殺人事件』/『リチャード・ジュエル』/『SNS 少女たちの10日間
友だちのうちはどこ?』/『メルボルン』/『白い牛のバラッド』/『ウォーデン 消えた死刑囚

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