『イップ・マン 完結』

グランドシネマサンシャイン、スクリーン2入り口前のデジタルサイネージに表示された『イップ・マン 完結』ポスター画像。
グランドシネマサンシャイン、スクリーン2入り口前のデジタルサイネージに表示された『イップ・マン 完結』ポスター画像。

原題:“葉問4 完結篇” / 監督:ウィルソン・イップ / アクション監督:ユエン・ウーピン / 脚本:エドモンド・ウォン、深沢寛、チェン・タイリ、ジル・レオン / 製作:レイモンド・ウォン、ウィルソン・イップ、ドニー・イェン / 詠春拳アドヴァイザー:イップ・チン、イップ・チュン、ロバート・リー / 撮影監督:チェン・チュウキョン / 美術:ケネス・マク / 編集:チョン・カーファイ / 衣装:リー・ピッククワン / VFX:ギャレット・K・ラム、ウォン・サムイン / サウンドデザイン:ジョージ・リー・イウキョン、イユ・チョンヒン / 音楽:川井憲次 / 出演:ドニー・イェン、ウー・ユエ、チャン・クォックワン、ヴァネス・ウー、クリス・コリンズ、スコット・アドキンス、ケント・チェン、ヴァンダ・マーグラフ / ティン・ティン・フイルム・プロダクション製作 / 配給:GAGA
2019年中国&香港合作 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:鈴木真理子
2020年7月3日日本公開
公式サイト : http://gaga.ne.jp/ipman4/
グランドシネマサンシャインにて初見(2020/07/09)


[粗筋]
 1964年、詠春拳の達人イップ・マン(ドニー・イェン)の姿はアメリカ、サンフランシスコにあった。彼は空手道大会で、鮮やかな技を繰り出し勝ち抜いていく弟子ブルース・リー(チャン・クォックワン)を、眩しいもののように見つめていた。
 妻亡きあと、ひとりで息子チンを育てていたイップ・マンだったが、真っ当に学業を修めて欲しい、というイップ・マンの望みに反して、チンは学校で繰り返し問題を起こしていた。遂に校長から直々に退学証を突きつけられたイップ・マンは、チンをアメリカの学校に留学させることを考えた。折しも、アメリカで道場を開き、中国武術を世界中に広めるようとしているブルースから空手道大会のチケットを受け取っており、この機に弟子の活躍を見届けることにしたのだ。
 アメリカの高校に編入を認めてもらうためには、アメリカの華僑を束ねる中華総会の推薦状が必要となる。だが、会長であるワン・ゾンホワ(ウー・ユエ)らの態度は冷淡だった。アメリカにおいて少なからず差別を受けている華人は、武術を誇りとし同胞以外への指導を認めていない。それ故に、西洋人にも広く門戸を開き、大会にも出場して積極的にアピールを行うブルース・リーを快く思っていなかった。
 武術の発展のためにはより広い視野が必要である、という弟子の思想を評価するイップ・マンは、総会と対立せざるを得なくなる。総会から推薦を受けることが困難となったイップ・マンは、案内人のリャンの人脈も借りて次善策を試みるが、状況は捗々しくなかった。
 イップ・マンが我が子の将来を気遣い奔走するのには理由があった。まだ周囲には隠しているが、彼は癌を患っていたのだ――


[感想]
 かつて、内容を盗まれないために脚本自体を立てずに撮影を行っていた、というだけあって、往年の香港映画はアクションのアイディアや表現は豊かでも、ストーリー的にはちぐはぐなものが少なくなかった。しかし、恐らくは『男たちの挽歌』などの香港ノワールの台頭あたりから、ドラマ性とアクションのバランスを考慮した作品が増えていった。そうした流れを受けてドニー・イェンが挑んだ、詠春拳の達人でありブルース・リーに武術の礎を教えた師父でもあるイップ・マンの物語、4作目にして完結篇である――原題にきっちりそう銘打っているのだから、新しい趣向でも思いつかない限りは撤回されまい。
 ブルース・リーの当たり役である陳真をドラマで演じ、更に『レジェンド・オブ・フィスト』で掘り下げることもしているくらいだから、武術やブルース・リーへの憧れも造詣もあったことは窺えるが、しかしこのシリーズ以前のドニー・イェンはどちらかと言えば高い身体能力を活かし、実戦的な格闘技を映画向けにブラッシュアップしたマーシャル・アーツを駆使した、血気盛んな作品が多かった。そんな彼が、詠春拳の達人である一方、穏やかな人格者として知られたイップ・マンを演じる、というのは、前々から彼を追っていたひとには意外だったようだ。もはや「ドニーといえば」と真っ先に上がる代表作になってしまったいまでは、そのほうが驚きだ。
 最後となる本篇でも、そうして確立された人物像をしっかり押さえ、アクションを通して掘り下げるスタイルを維持し、存分にイップ・マンという唯一無二のアイコンを印象づけている。
 実在の人物をベースにしているとは言い条、しかし本篇はあまり事実には添っていないという。旧作でもそれは同様だったが、実は本篇が特に著しい。というのも、パンフレットの年譜を参照すると、本篇で描かれている時代にはイップ・マンは既に60代に達している。実際には子息はふたりいて、彼らは郷里・仏山に残っていて、本篇で描かれた頃合いに香港へと移り、それから父の手解きを受けたらしい。1作目と見た目が変わらないイップ・マンも、そんな彼と共に香港に渡って少年時代を過ごした息子も、このシリーズのなかでの脚色に過ぎない。
 しかし、事実と異なるから、という点を責めるひとはたぶん少数だろう。こうした脚色が、間違いなくこのシリーズを単なる達人の武勇伝を描いたアクション映画に留めることなく、武術家にとっての家族の存在、武術家にとっての戦う意義を問うたドラマとして昇華させているからだ。
 その側面は第1作から顕著だったが、完結篇でも貫いている。自身の病を知ったことで、遺していく我が子の行く末を案じアメリカ行きを提案するが、当人は受け入れない。武術の達人ではあるが人生の達人ではないイップ・マンの、ごく自然な葛藤が織り込まれる。
 巧いのは、ここでイップ・マンに自身を客観視させるかのように、中華総会の会長ワンの娘ルオナン(ヴァンダ・マーグラフ)という人物を配した点だ。チンの留学先を模索している際に偶然巡り会い、父に不満のあった彼女はイップ・マンにすぐさま心を許し懐くようになる。だがその実、ワンとルオナンの関係はほぼイップ・マンと息子チンの関係を鏡に映したようなものなのだ。親が自分の理想を子供に押しつけることのエゴを、結果としてイップ・マンはルオナンに対する助言のかたちで自ら思い知る羽目になる。ルオナンから「父よりもいい親だ」と褒められて、一瞬言葉を失うイップ・マンの姿にはちょっとした愛嬌さえ感じられる。
 今回、イップ・マン自身はトラブルに直接絡む立場にはない。終盤で中華総会を襲う出来事のきっかけにはなってしまったが、それはそもそも在米華人たちの立場と意識、そして白人の差別的な発想があって、イップ・マンが遭遇したトラブルが最終的な発火点になったに過ぎない。
 それでもイップ・マンは自身が関わったひとびと、同胞の誇りのために拳を突きつける。これも第1作から変わらない、自らの利益のためではなく、ゆかりのある人々を守るため、その誇りのために戦うイップ・マンという人物の信念ゆえだ。当初、中華総会と対立したときも、自分を粗略に扱われることではなく、弟子であるブルース・リーが信念のために行っていることを否定されたのがきっかけであったし、クライマックスに至る諍いでもイップ・マンは周囲の人間を助けるためにだけ拳を上げる。この徹底した姿勢が、武術を正しく扱おうとする彼の高潔さを明確に表現している。まさに、尊敬に値する武術家の映画なのだ。
 だからこそ欠かすことの出来ないアクション・シーンの仕上がりも素晴らしい。このシリーズはアクション映画としても、常に多彩な趣向が盛り込まれていたが、そういう意味で本篇はむしろストレートな作りとなっている。前作のような乱戦はなく、イップ・マン含むひとりの凄腕が多数の敵をあしらうような場面はちりばめられているが、基本的にはほぼ一対一、しかも奇を衒った舞台はなく、リングさながらに仕切られた場所での真っ向勝負がほとんどだ。にも拘わらず、そのアクションが多彩に見えるのだから凄い。
 そこに至るドラマや、アクションそのものの見せ方に工夫が豊かなのはもちろんだが、本篇の場合、単純なアクションのようでいて、流派や競技の違いまでがしっかりと表現されているのが大きい。今回、イップ・マンが拳を交える相手は日本の空手をアメリカらしくパワースタイルに身につけていった格闘家や軍人たちだが、中国憲法の他流派も登場しており、それぞれに流儀が異なることが、攻撃のいなし方、攻め方から窺えるのだ。いちばん解りやすいのは、中盤でのイップ・マンとワン・ゾンホワとの対決だろう。ざっくりと表現すれば、相手の体勢を崩し集中攻撃で戦闘力を削ぐ、という傾向のある詠春拳に対し、太極拳は攻撃の軸をずらし相手に返す、という日本の合気道に近い理念を持っている。その躱し方、攻め方の違いが、このイップ・マンとワン・ゾンホワの直接対決では細かに覗くのだ。本篇では珍しい、屋内で障害物の多い環境での格闘なので、家具を挟んだり牽制に用いたり、と映画的な外連味も多いひと幕だが、アクション映画の最高峰ドニー・イェンと、本物の武術を知る人間でもあるウー・ユエを、香港アクション映画の第一人者であり続けるアクション監督ユエン・ウーピンが徹底的に活かしきったこのワンシーンは、背景を知るほどに感動が増すはずだ。
 クライマックスの決戦も、シチュエーション的には決して華やかではない。だが、渡米中に負った傷や病の影響もあって万全ではないはずのイップ・マンが、空手の技術とパワーを併せ持つ相手に力強く打ち込まれながら、何度も立ち上がり、そして決して自らのスタイルを乱すことなく戦い続ける姿には、これまで描いてきたイップ・マンという人物の生き様に対する自信と誇りが見える。だからこそ、シンプルでもドラマティックで、そして感動的なのだ。
 そして、このクライマックスを挟んでのイップ・マン最期のシーンのささやかさも、このシリーズらしいしみじみとした余韻を残す。あえて史実とは食い違う描写も行ってきた本篇だからこそ許されるエピローグのある“嘘”もまた快い――あれこそ、ブルース・リーの師として知られたイップ・マンを現代に蘇らせることの最大の意義とも言える。イップ・マンという武術家の精神を自分なりに昇華し、映画を通して武術の普及に大きく貢献したブルース・リーだが、最期のときに本篇で描かれたような機会は、実際には得られなかったという。恐らくはそれを承知で用意されたこのシーンは、彼の功績に対する、スタッフからの敬意の現れだろう。
 その伝で言えば、本篇のもうひとつの意義として、「もしブルース・リーが現代まで生き続けていたら、どんなアクションを披露するか?」という命題に、理想的な答を示している点が挙げられる。ストーリーの本筋には直接絡まず、強いて言うならイップ・マンが渡米するきっかけを与えるに過ぎない立ち位置なのだが、本篇ではそんな彼にも見せ場を用意している。ここで見せる仕草、敵に対する徴発の素振りやリズムの取り方など、まさにブルース・リーそのものの描写が観られることもさりながら、そこに現代ならではの丁寧な駆け引きとスピード感が上乗せされている。ブルース・リーの世代の作品も知っている者が欲しかったシーンをきっちり提供してくれるのも、優れたスタッフとキャストを結集することが可能となったこのシリーズであればこそだ。
 ブルース・リーを端緒とする、香港発祥のアクション映画、とりわけカンフー映画と呼ばれるものの精華と呼ぶに相応しい傑作である。往年の香港カンフー映画に親しんでいなくてもじゅうぶん楽しめるだろう(ただし、いちおうシリーズ旧作にくらいは接して欲しい)が、ブルース・リーやそれを発展させたジャッキー・チェンにサモ・ハン・キンポー、そしてそこから派生していった香港スタイルのアクション映画を愛するひと必見の作品であることは間違いない。


関連作品:
イップ・マン 序章』/『イップ・マン 葉問』/『イップ・マン 継承
SPL/狼よ静かに死ね』/『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』/『導火線 FLASH POINT
ソード・オブ・デスティニー』/『アイスマン 宇宙最速の戦士』/『ドクター・ストレンジ』/『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明
ドラゴン危機一発』/『ドラゴン 怒りの鉄拳』/『ドラゴンへの道』/『燃えよドラゴン』/『死亡遊戯』/『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』/『ユン・ピョウinドラ息子カンフー』/『グランド・マスター』//『スネーキーモンキー/蛇拳』/『SPIRIT(2006)

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