ユナイテッド・シネマ豊洲、スクリーン12入口脇に掲示された『劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き あるがままに、水と大地のネコ家族』ポスター。
監督、撮影、スチール&語り:岩合光昭 / 構成&スチール:岩合眞知 / プロデューサー:小島智 / 監修:宮田行春 / 編集:菊池史子 / 整音:齋藤健二 / 音響効果:名古屋雄亮 / VFX:宮沢命 / 音楽:高野正樹 / 出演:シュエ、グェ、エーワー、メーワー、カーショ、ヒメ、チャカスケ、デイジー、サボ / ナレーション:中村倫也 / 映像提供:NHK / 制作プロダクション:ジーズ・コーポレーション / 配給:ユナイテッド・シネマ
2020年日本作品 / 上映時間:1時間38分
2021年1月8日日本公開
公式サイト : http://nekoaruki-movie2.com/
ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2021/1/30)
[粗筋]
北海道の牧場では、牛に混ざってたくさんのネコが共同体を作っている。仔牛牛舎のボスは、茶色い鼻が特徴のチャカスケ。親牛牛舎のボスは、ふわふわとした体毛のヒメ。ふたつの牛舎は距離にして20mだが、両者の行き来はほとんどなく、時としてチャカスケとヒメは激しく格闘する。彼女たちにはそれぞれ、守るべき家族があった。
ミャンマーのインレー湖には、少数民族の水上村が存在する。多くが湖での漁を生業とするこの地の人々にとって、飼育に大地を必要とする犬や牛よりも、どこにでも自分の居場所を見つけ適応する猫たちこそが最良のパートナーだった。そこに、余所では滅多に見ることのない。父親猫のエーワーを中心としたネコの家族が暮らしている。飼い主の一家と共に漁にも赴き、時として湖を泳いでいく彼らの姿に、岩合光昭監督は惹かれた。
ふたつの土地に暮らす、ネコの家族たち。カメラは1年を費やし、彼らと彼女たちの日々を追い続けた――
[感想]
2012年に特番としてNHK BSで放送され、好評によりその後、月1本のペースでレギュラー化した番組『岩合光昭の世界ネコ歩き』の、劇場版2作目である。
前作はテレビ版で印象深いネコたちの映像を再構成していたそうだが、今回は2箇所に対象を絞り、期間を空けつつ1年に亘って撮影を実施したという。テレビ版も撮影に一定の時間を費やしているのだろうが、本篇は1年間に亘り、ネコたちの成長や変化を辿っており、映画としての体裁を整えている。
もともと、岩合監督の撮る映像は、目を奪われるほど美しい。その土地土地の特徴的な背景を切り取り、そのなかに溶け込むネコの姿を撮す。ネコを予め観察し、ある程度行動を理解したうえでだからこそ為し得る完璧な構図は、それだけでもしばらく観ていられるほど、画力が強い。
一方で、ネコの動きに近づいて捉えるときは、ネコに近い高さに目線を保つ。あっという間に通り過ぎたり、カメラを構える人間に関心を示したり、その躍動感や予測不能で愛らしい動きを拾い、とことんまでネコたちの魅力を見せてくれる。監督の岩合光昭はもともと動物写真家だが、ライフワークとして長年ネコを被写体としており、その豊かな観察眼は、恐らく長期取材になればなるほど発揮されるのではなかろうか。
自然を題材にしたドキュメンタリーは、特定の被写体を確実に追い続けることが難しく、そのために撮影できた素材を羅列するだけになるか、良くても無理矢理辻褄を合わせて物語をつける格好になりがちだ。勢い、映像が細切れになったり、物語の脈絡が上手く入ってこないが故に、観る側は集中力を失ってしまう。映像そのものの貴重さ、画面としての力があってもこの弱点はなかなか克服しがたく、全篇が貴重な映像で構成されたBBCの『アース』などでさえ、途中から退屈は拭えなくなる。
それに引きかえ、本篇は最初から最後までまったく退屈する場面がない。映像自体の魅力と、その情報量の豊かさも奏功しているのだろうが、本篇の場合、撮影された素材を作り手の事情でコントロールせず、被写体となったネコたちの“あるがまま”の姿を抽出することに心を砕いたから、というのも大きいと思う。
岩合監督は被写体を決めた時点で、たくさんのネコの中から、特に注目して撮影する対象をひとまず決めておくようだ。それは北海道の牧場での撮影に顕著で、当初は母ネコの1匹に注目していることは察せられる。だがその後、親牛牛舎側ではビッグ・マザーであるヒメを、格子牛舎ではチャカスケを中心に、彼女たちの子供の成長を挿入して綴るかたちに切り替えていく。やがてそのなかでも、印象的なキャラクターや出来事のある子たちを抽出していき、それぞれのエピソードを断片的に挿入する。そこには、親密で丁寧な観察が導き出した、嘘偽りのない物語が確かに汲み取られている。
そうして拾い上げられたネコたちの物語は、彼らの生態やルールに則りながらも、決してその枠に収まらない意外性、紛う方なき個性が見える。
堂々たる存在感で牧場の従業員からも一目置かれるヒメに対し、彼女の息子カーショは母親にべったりだ。ボス同士で激しく渡り合うヒメに対し、カーショは自分よりも小さな相手にすら怖じ気づいてヒメの後ろに隠れるほどだ。群に属する雄猫は、繁殖の機会を得るべく、いずれ独り立ちして外により広い縄張りを築く、というのがネコ本来の生態なのだそうだが、その点からカーショは明らかに異質だ。それゆえに、ヒメが行方をくらましたあたりから、親牛牛舎でのカメラは彼に注目をするようになる。
この生態とのズレは、ミャンマーのネコ家族達も顕著で、こちらは北海道のネコたちと異なり、父、母、子2匹で共同体を為している。前述の通り、通常なら雄猫はやがて独立するもので、人間のようなこの構成自体が珍しい。水上に家屋を設ける民族に飼われているが故に、よその猫なら苦手とするはずの水に順応していくさまもそうだが、よく知られている生き物の生態も、けっきょくは暮らす土地や環境、その共同体の中での立ち位置によって変わることが窺える。
そして本篇のカメラは、そんな彼らに不自然な行動をさせたり、無理矢理な解釈を付与することなく、寄り添い、追うことで物語を成立させていく。だからこそ、彼らが持つ本当の個性、意外性が際立ち、一般的なドキュメンタリーと一線を画したドラマを生み出している。
本篇を観ていると、自然の過酷さに晒されながらも、自分の生きるべき場所、かたちを見出していく彼ら、彼女たちの伸びやかな姿に、心が安らぐのを感じる。決めつけやルールに従うのではなく、それぞれの環境で、自分に合った生き方を、ごく自然に選択し、溶け込んでいくさまは、観ている者の力みまで解きほぐすようだ。
本篇は、単なる《猫動画》の継ぎ接ぎなどではない。長年、真摯にネコたちと向き合ったスタッフが、1年を通してじっくりとその日々に寄り添ったからこそ撮りえた、極上の“映画”である。そもそもネコ自体がどうしてもダメ、というひとでもない限り、観て損はない――むしろ、例のないほどストレスに満ちた時代だからこそ、観られるべき名作だと思う。
関連作品:
『アース』/『アース:アメイジング・デイ』/『WATARIDORI』/『皇帝ペンギン』
『銀の匙 Silver Spoon』/『猫の恩返し』/『グスコーブドリの伝記』/『ARIA the AVVENIRE』/『泣きたい私は猫をかぶる』
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