『シュガーマン 奇跡に愛された男』

角川シネマ成龍館(有楽町)、ロビー脇に掲示されたポスター"

原題:“Searching for Sugar Man” / 監督、脚本、撮影、編集&製作:マリク・ベンジェルール / 製作:サイモン・チン / 製作総指揮:ジョン・バトセック / 撮影監督:カミラ・スカーゲルス / オリジナル音楽:ロドリゲス / 出演:スティーヴン・“シュガー”・シガーマン、デニス・コーフィー、マイク・セオドア、スティーヴ・ローランド、ウィレム・モーラー、クレイグ・バーソロミュー・ストライダムクラレンス・アヴァント、エヴァ・ロドリゲス、レーガン・ロドリゲス、サンドラ・ロドリゲス=ケネディ、シクスト・ロドリゲス / 配給:角川映画

第85回アカデミー賞長篇ドキュメンタリー部門受賞作品

2012年スウェーデン、イギリス合作 / 上映時間:1時間27分 / 日本語字幕:寺尾次郎

2013年3月16日日本公開

公式サイト : http://www.sugarman.jp/

角川シネマ成龍館(有楽町)にて初見(2013/05/01)



[粗筋]

 1970年代、反アパルトヘイト運動に湧く南アフリカにおいて、熱狂的に支持されるミュージシャンがいた。多くのひとびとのオーディオトラックに、ビートルズサイモン&ガーファンクルと共にLPが揃っていた、と言われ、南アフリカのプロテスト・ソングに多大な影響を及ぼした、そのミュージシャンの名を“ロドリゲス”という。

 だが、このミュージシャンには謎が多かった。アメリカの人物だ、ということは解っているが、訪れるアメリカ人は彼の名を知らない。そして、南アフリカのファンのあいだでは、彼がステージ上で自殺した、という説がまことしやかに囁かれていたが、どんな経過を辿りどのように死んだのか、真相はまったく解っていない。

 1990年代後半、南アフリカでロドリゲスのアルバムがCD化されるにあたって、ライナーノートを手懸けた人物は「誰も彼の謎について調べようとしていない」と記した。この一言に触発された音楽ライターが、初めてロドリゲスの“死”の真相に挑む。

 結果として、驚くべきことが判明する。南アフリカでは50万枚に及ぶ、とさえ言われるロドリゲスのアルバムに関する支払には、不透明な部分が多く、どうやら完全に海賊盤のみが普及していたようだった。そして、やがて辿り着いた関係者が口にした言葉が、最大の衝撃をもたらした。

「死んだって? あいつは生きてるよ。いまでもデトロイトに住んでいるはずだ」

[感想]

 陳腐な表現だが、まさに“驚くべき実話”だ。本人のまったく与り知らぬところで作品が売れ、高く評価され、長いときを経て晴れ舞台に立つ――こんなことが実際にあった、というのが既に驚きで、充分にドラマティックだ。

 しかしその一方で、“売れる”ことと“売れない”ことのあいだに、実ははっきりとした差は見いだせない、ということも感じてしまう。本篇の序盤で、物語の中心人物たるロドリゲスを発掘し、アルバム製作に携わったひとびとは、間違いなく彼の才能を評価し、“売れる”と感じていたことが窺える。実際、随所で引用されるロドリゲスの楽曲は、かなり完成度が高い。当時の世相を織り込んだ風刺性と、詩情を湛えた歌詞に、高めだが不思議な太さのある魅力的なヴォーカル、それを丁寧で厚みのある演奏がサポートする。確かに当人の魅力と、プロデューサーの力の入れようが伝わる楽曲で、これが作中で語られるほどに鳴かず飛ばずだった、ということが既に驚きでさえある。宣伝がうまく響かなかった、とか様々な事情があったのだろうが、つくづく人気など水物なのだ、と思う。

 そして、それほどに優れたミュージシャンであったからこそ、この“奇跡”も成立したのだろう。もし彼の音楽にさほど魅力がなかったとしたら、いくら描かれる出来事が南アフリカの時代性と共鳴していたとしても、あそこまで熱烈に支持されることはなかったはずだ。才能がすべて、とは思わない(実のところ、冷静に批評して、さほど魅力的とは言い難い音楽であっても、圧倒的な支持を獲得することはそんな珍しくもない)が、発表当時のアメリカでは不幸にもすぐに響かなかったカリスマ性は、だが時間と場所を越えて、ようやく正しく認められた、というふうに感じる。

 この“奇跡”を語る上で、もうひとつ重要なポイントは、ロドリゲスの人柄そのものである。本篇でも後半に入るまで明確に語られないので、ここでもなるべく伏せたいが、彼の人柄がもっと違った、悪い意味で俗っぽいものだったとしたら、恐らくこの出来事の印象は一変しただろう――いや、むしろこうして映画のかたちで綴られることもなかったかも知れない。南アフリカの人々が彼の“生存”を知り、あちらに招かれて示した振る舞いがあって、更にこの“驚きの実話”はより感動的なものになったのだ。

“ロドリゲス”という人物像、南アフリカの社会的変遷とがうまく噛み合うことで生まれたこの“奇跡”だが、本篇はこれを巧みに構成することで、より効果的に感動が観客に響くよう演出している。まず“ロドリゲス”というミュージシャンが世に現れ、いちど消える過程を語ると、それが南アフリカで根強く支持されるに至った流れを描く。そして終盤で、“ロドリゲス”の家族が姿を見せる。こうして、幾つかの立ち位置から眺めた“ロドリゲス”を見せることで、本篇の“事件”は多面性を獲得した。南アフリカのひとびとにとって、とうの昔に死んでいたはずのヒーローが飄々と姿を現し、堂々たる演奏を披露してくれた、という感動。他方、“ロドリゲス”の家族にとっては、音楽家としての顔は知っていたとしても、それが異国で絶賛され、地元とはまるで異なるかたちで遇される不思議と驚き。本篇はその両者の心情が同時に汲み取れるよう、絶妙の配分で構成されている。

 しかし、よくよく考えれば考えるほどに、これは唯一無二の、“奇跡”としか呼びようのない出来事だろう。デビュー当時の境遇と南アフリカの社会情勢、その後の変化に加え、“ロドリゲス”の人柄まで含めて、どこかひとつ違っていただけで、まったく異なる展開を示したに違いない。その稀有な“夢”を見せてくれる本篇は、優秀なドキュメンタリーでありながら、真似の出来ない出色のファンタジーでもあるように思う。しかも、その過程を最良のかたちで映画にした本篇がアカデミー賞に輝き、遂に本国含む世界各地で“ロドリゲス”が認知されたのだから、出来過ぎだ――“奇跡に愛された男”という副題は、まさに言い得て妙なのである。

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