池袋シネマ・ロサ、地下スクリーン入口階段の手前に掲示された『三茶のポルターガイスト』ポスター。
監督:後藤剛 / プロデューサー:叶井俊太郎、千葉善紀 / 製作総指揮:揖斐憲 / 演出:新開収一 / 映像:久田宗里 / MA:浜田直樹 / 製作補:渡辺拓弥 / 3D造形:松野友喜人 / 音楽:熊木翔 / 出演:角由紀子、横澤丈二、やくみつる、いしだ壱成、海老野心、石川翔鈴、南海子、小玉直人、板橋幹人、富山龍太郎 / ナレーション:仁科貴 / 制作プロダクション:シャイカー / 製作:REMOW / 企画&配給:エクストリーム
2022年日本作品 / 上映時間:1時間22分
2023年3月24日日本公開
公式サイト : http://poltergeist.jp/
池袋シネマ・ロサにて初見(2023/3/25)
[粗筋]
東京都世田谷区の三軒茶屋は、都心への抜群のアクセスに加え、お洒落な店舗もあれば、生活に密着した商店も多く軒を連ねており、長年にわたって各種“住みたい町ランキング”で上位に名を連ねる、人気の土地である。
本篇の舞台となるスタジオは、この三軒茶屋の繁華街から、細い路地を通った雑居ビルにある。演出家の横澤丈二が自らの立ち上げた劇団の稽古場として使用し始めたのは1992年。それから30年にわたって多くの劇団員が在籍し、舞台に備えて稽古を重ねてきた場所である。
ここがオカルト業界からにわかに注目を集めたのは、2020年頃からだった。横澤はじめ、劇団員の多くが体験した異様な出来事と、それを実際に記録した幾つかの映像がメディアに登場し、次第に注目を集めていく。
オカルト系の編集者として活動している角由紀子は、これらの怪奇現象に挑む決意を固めた。3日間にわたりスタジオで撮影を敢行、様々な儀式や、ゲストへのインタビュー、更には各種専門家の検証を求め、ここで起きる怪奇現象が“本物”なのか、確かめるのである。
2022年10月、そうして撮影は始まった――
『三茶のポルターガイスト』公開記念舞台挨拶のフォトセッション。左から海老野心、横澤丈二、角由紀子、ポスターを挟んで石川翔鈴、いしだ壱成、後藤剛監督。
[解説および感想]
上記の粗筋は、なるべく映画で語られている部分に限って触れている。しかし実は私、ここで言う2020年以前の段階から、既に噂は耳にしていた。このあたりは映画と同時期に刊行された横澤丈二の著書『日本一の幽霊物件 三茶のポルターガイスト』でも触れられているようだが、私なりに振り返っておきたい。
『新耳袋』で階段文芸の新しい礎を築いた木原浩勝が、ほかふたりのパーソナリティとともに、ひたすら怪談について語る唯一無二の番組『怪談ラヂオ』に、2020年、横澤丈二がゲスト出演した。同じラジオ関西でレギュラー番組を持つ横澤が、かなり多くの体験を持っているらしい、という情報が『怪談ラヂオ』関係者に届き、その縁で初めて横澤は公に自らの体験を語った。このときまで横澤は、自分の体験がそれほど珍しいものだと捉えていなかったのだが、長年にわたって怪談蒐集を続けている木原は、横澤が極めて得がたい人物であることを見抜く。
とりわけ木原が注目したのが、横澤だけでなく、彼の主催する劇団の団員までが多くの怪異を体験した、という稽古場である。しかも、しばしば稽古場でカメラを回し、幾度も怪異の撮影に成功している、という。こうした体験談の多くは、映像を手許に残すのが怖い、といった理由から処分していることがほとんどだが、この稽古場においては、あまりに頻繁に撮影されるので、却ってその貴重さに気づかなかった。そしてそれゆえに、公表はしていないものの、残っている映像も少なからずあった。その一部は、この映画の中でも引用されている。
のちに木原は自身のネット生配信番組でこの稽古場を利用し、リアルタイムで奇妙な現象を世界に発信する。その後も繰り返し撮影を試み、ほぼ100%に近い確率で怪異が記録されるこの場所の稀少さを保証した。そしてそれは2021年、木原の著作に触発され、“本物の怪異を撮影する”という目的のもと作品をリリースし続けた企画の最終作『怪談新耳袋Gメン ラスト・ツアー』で多くの人の知るところとなる。どれほど禍々しい噂のある場所でも、明白なかたちをした怪異を撮影することは難しい、というのをユーモアも交えて実証した感のあるこのシリーズで収めた最大の成果は、本篇にも引用されていないので、興味のある方は『ラスト・ツアー』だけで構わないのでご覧いただきたい。
誰が来てもほぼ確実に何かが起きる、という凄さはこの翌年、複数の地上波テレビ番組が採り上げたことで更に補強される。私もすべて観たとは言い切れないが、確認した限り、ほぼ例外なく奇妙なことが起きていた。撮影時間の都合もあってか、『ラスト・ツアー』ほど明確な怪異を画面に捉えるには至っていないが、それでも“観て解る”異変が起きるのは、こうした番組で採り上げられる多くのいわゆる“心霊スポット”とは一線を画する凄みだ。
ただ、それでもフェイクを疑う声は少なくない――私自身は、この手の映像をたくさん観ているからこそ、フェイクである可能性は極めて低い、という手応えを得ていたが、より丁寧な検証を経ないと納得できない、むしろ実地で本物を見るまでは受け入れない向きもあるのが当然だろう。
テレビのオカルト系番組にせよ、ネット配信番組にせよ、本篇の監督・後藤剛が携わった《怪談新耳袋Gメン》にしても、ひとつのスポットについて採り上げられる尺はどうしても短くなる。それゆえに、より深く探究するべく企画されたのが本篇だった、ということらしい。
正直に言えば、序盤はいささか心許ない。本篇でアテンドを務めた角由紀子はオカルトサイト『TOCANA』の編集長を長く務め、退いたのちもオカルト系の編集者として活動している。そのため著名なものからマニアックなもの、もはや悪い冗談としか思えないものまで、様々なオカルトグッズを所有しているらしい。『怪談新耳袋Gメン ラスト・ツアー』にて同じ場所を訪ねた際もそうだったように、本篇でも彼女はまず、そうしたグッズを用いて怪異の誘発を試みている。ほとんどが胡乱な代物というせいもあって、これらを用いた撮影初日のくだりはいささか悪ふざけのような印象が強いのだ。
だが、日を改めた撮影2日目からは趣が変わる。まずやくみつる、いしだ壱成を招いて、それぞれの不思議な体験を語らせている。いずれも本篇の舞台となる稽古場には関係のないものだが、日本には江戸時代から“百物語”のように、怪異を語ることが怪異を呼び寄せる、という説がある。ことの真偽はさておき、独自のルールや胡乱なアイテムに頼るよりも、こうした古くからの“儀式”に則る方がまだ理には適っている。実際、いしだ壱成が体験を語り出したあたりから、異変が起きはじめているのが面白い。
そしてそのあとで、半ば生贄のように招いた女優ふたりを巻き込んで“こっくりさん”を始めると、いよいよ怪異は活性化する。“こっくりさん”自体にも色々と問題点はあるのだが、少なくとも本篇において、稽古場において異変を起こす何ものかを刺激することには成功しているし、“こっくりさん”を介することで、基本的に意思の疎通の出来ない怪異と交信も出来ている。本当にそれが怪異がもたらしたメッセージなのか、は不明だが、そこまでに起きた怪異と決して無縁ではない言葉がちりばめられ、更には関係者が予想もしなかった単語が出てきて事態を進めるので、こういう怪異を扱うドキュメンタリーのアプローチとしてはありなのだろう。
本篇の優秀さは、そうしてただ漫然と怪異を垂れ流しにするのではなく、可能な範囲で検証も試みている点にこそある。マジシャンに、どんな細工であれば同様の現象を起こせるか確かめ、元警察官に証言する横澤の表情に嘘がないか意見を仰ぐ。内装業に携わっていた人物には、怪異の起きた箇所の普請を検めてもらい、ひとの入り込む隙がないこと、不審な物音や現象の原因となり得る不具合がないことを確かめている。
このくだりの意義は非常に大きい。『ほんとにあった!呪いのビデオ』を筆頭に、私が“怪奇ドキュメンタリー”と括っている作品は数多制作されているが、意外とこうした、怪異が怪異である、ということを明確にするための工夫がお座なりにされがちなのだ。いちど、刺激することで怪現象を引き起こし、それから細工や、通常の物理的反応である可能性を極力排除していくので、いよいよこの場所の異様さが強く実感できる。
だが中でも衝撃的なのは、この手の作品では類を観ないほどくっきりとした怪奇現象を、複数のアングルから同時に撮影していることだ。同様の作品を多く鑑賞し、僅かながらも“本物”と思しい不可解な映像を知っているが、ここまで明瞭に、しかも細工の疑いが極めて乏しい状態で撮影されたものを他に知らない。現象としては、同じ場所を取材した『怪談新耳袋Gメン ラスト・ツアー』でも似たようなものが撮影できているが、本篇のそれはより鮮明で、驚くべきものだ。
本篇では更に“こっくりさん”での交信を続け、その意外な顛末や、最も凄い映像についての検証を追加で実施することで、怪異を巡る物語として綺麗にまとめている。“こっくりさん”で意思の疎通が図れたように感じられる“怪異”に敬意を払いつつも、決して現象を安易なオカルト用語で括っていない点も賞賛したい。線香の匂いや鈴の音、揺れるホワイトボードや落ちる時計、鏡から滴る水、そしてあり得ない場所から現れる手、と数多記録される怪現象を、こういう作品ではしばしば持ち出されるが、定義も根拠も明白になっていない“心霊”や“霊障”といった単語で、作品としては説明していない。一部の人物が持ち出すことはあっても、撮影された現象をそうした言葉で説明したつもりになることも、過去の因果と結びつけたり、関係性を仄めかそうともしていない。
本篇を監督した後藤剛は、プロデューサーとして数多くの作品に携わってきたが、監督としては本篇が初めてらしい。それゆえにか、構成やナレーションのつけ方など、いくぶん拙さが覗くが、素材の凄さに加え、《怪談新耳袋Gメン》シリーズのラインプロデューサー兼出演者として関わってきた経験も手伝っているのだろう、エンタテインメントとしても、怪異を採り上げたドキュメンタリーとしても十二分に見応えのある作品にまとまっている。途中に挿入された、体験談の再現映像がいささかチープなのは、まあご愛敬、というところである。
だがやはり本篇の価値は何と言っても、無数の怪異が噂話レベルに留まらず実際に体験出来記録も出来る、という稀有なスポットを、長篇映画として徹底的に記録に残したことにある。オカルト映画を愛するひとはもちろん、怪現象に対して疑いを抱いているひとにも本篇は観て欲しい。恐らく、ここまで凄い映像と、それを巡る記録は、今後もそう簡単には現れない。
なお、もっとこの地について詳しく知りたい方は、上に記した『怪談新耳袋Gメン ラスト・ツアー』や横澤丈二の著書『日本一の幽霊物件 三茶のポルターガイスト』(幻冬舎文庫・刊)、『怪談ラヂオ』2020年初頭のアーカイヴなどに接することをお薦めする。実のところ、映画の中で説明しただけではまだ足りていないのだ。
関連作品:
『怪談新耳袋Gメン ラスト・ツアー』
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