『すずめの戸締まり(IMAX with Laser)』

TOHOシネマズ新宿、ロビーに通じるエスカレーター手前に掲示された『すずめの戸締まり』ポスター。
TOHOシネマズ新宿、ロビーに通じるエスカレーター手前に掲示された『すずめの戸締まり』ポスター。

原作、監督、脚本、絵コンテ&編集:新海誠 / 企画&プロデュース:川村元気 / キャラクターデザイン:田中将賀 / 作画監督:土屋堅一 / 美術監督:丹治匠 / CG監督:竹内良貴 / 撮影監督:津田涼介 / 助監督:三木陽子 / 音楽:RADWIMPS、陣内一真 / 声の出演:原菜乃華、松村北斗(SixTONES)、深津絵里、染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、神木隆之介、山根あん、三浦あかり、西村知道、松本白鸚 / 制作:コミックス・ウェーブ・フィルム / 配給:東宝
2022年日本作品 / 上映時間:2時間1分
2022年11月11日日本公開
公式サイト : https://suzume-tojimari-movie.jp/
TOHOシネマズ新宿にて初見(2022/11/11)


[粗筋]
 宮崎県の港町に暮らす岩戸鈴芽(原菜乃華)は登校途中、ひとりの男性に声をかけられる。この近くに廃墟はあるか、という問いに、鈴芽はだいぶ前に閉鎖されたテーマパークの存在を教えた。
 学校へ向かう途中で、あの男性のことが無性に気になった鈴芽は道を引き返し、廃墟に向かう。男性は見つからなかったが、鈴芽は廃墟の真ん中に佇む戸を開けて、そこに奇妙な光景を目撃する。
 遅れて通学した鈴芽は昼休み、突然の地震速報で騒然となるなか、鈴芽は廃墟から立ち上がる巨大な影を目にする。自分にしかその姿が見えていない、と気づくと、鈴芽は学校を飛び出し、廃墟へと急いだ。そこには、鈴芽が開いた戸からあの影が猛然と溢れ出しており、あの男性が戸を閉めようと奮闘していた。
 格闘の末にどうにか戸を閉めると、そのあいだに負傷した男性を治療するため、鈴芽は彼を家に招く。男性は宗像草太(松村北斗)といい、自らを《閉じ師》と称した。廃墟となった土地には《常世》と繋がった戸が出現する。迂闊に開かれたとき、そこから《ミミズ》が出現して、現世に多くの災いをもたらすという。各地を渡り歩き、そうした戸を閉め、鍵をかけるのが《閉じ師》の役割だった。このときの災害も、鈴芽がそれとは知らずに戸を開き、災いを封じる《要石》を抜いてしまったために発生したらしい。
 ふたりが話していると、窓際に忽然と1匹の猫が現れる。痩せ細った姿を気の毒に思った鈴芽が餌を与えると、猫は途端に生気を取り戻し、人の言葉で語りかけた。
「鈴芽、好き。お前は――邪魔」
 直後、草太の姿は消え、代わりに彼が座っていた小さな椅子が、草太の声で喋り出し、逃げる猫を追っていった。立て続けに起きる奇妙な事態に鈴芽は驚きながらも、どうやら椅子になってしまったらしい草太を追いかけ、フェリーに乗り込んだ。
 そうして鈴芽の、“戸締まり”の旅は始まった――


『すずめの戸締まり』スタンディ(TOHOシネマズ日本橋にて2022/8/23撮影)。
『すずめの戸締まり』スタンディ(TOHOシネマズ日本橋にて2022/8/23撮影)。


[感想]
 この作品は、新海誠監督がその名を一般層にも広げる契機となった『君の名は。』、そして『天気の子』という2つの作品に対する、彼自身の手によるカウンターである。とりわけ、『天気の子』に対して、しばしば見られた批判への答と言えるのではなかろうか。
 本篇のタイトルロールである鈴芽は、これまでになく能動的だ。冒頭から直感的に動き、草太が椅子に変じてフェリーに乗り込むと、そのまま事態の根源と思われる猫の《ダイジン》を追って日本を横断していく。起点での異変を感知できたのが鈴芽しかいなかったこと、草太が同化してしまった椅子が鈴芽にとって想い出の品であったことを差し引いても、かなりの行動力である。事態を把握するのも、行動に移すのも時間がかかった先行2作とはこの時点で趣が異なる。
 しかしそれ以上に明白なのはクライマックスだ――観客がみな意識的に伏せて触れるポイントにも関わることなので詳述は出来ないが、ここで出す結論ははっきりと、先行作の展開にあった批判に応えたものに映る。作り手の構想には少なからず、そうした配慮があったと考えられそうだ。
 その一方で、新海誠というアニメーション作家がその名をメジャーにして以来の作家性は貫かれている。舞台は現代の日本で主人公は思春期の少年或いは少女、数奇な出会いから始まる冒険には、日本ならではの文化、風習が絡んでくる。甘酸っぱい感情のスパイスをまぶしながら、最高潮ではアニメーションならではの映像で盛り上げる。
 ただ、伏線の妙、物語としての仕掛け、という意味ではも物足りなさを感じるかも知れない。いちおう、序盤から織り込まれた描写の意味が終盤で明白になる、という趣向はあるが、ある程度フィクションに慣れた人にとっては予想の範疇だ。また、鈴芽と草太が《戸締まり》の過程で立ち寄る場所、事件に発展するところについても、最終的な到達点以外は必然性に欠いた印象がある。確かにルートとしてはある程度の正しさを担保しているが、収まりの悪さもやや否めない。
 だがそうした印象は翻って、これまでの2作にあった、設定や伏線に固められた窮屈さを大きく和らげている。気まぐれな猫の姿をした存在に振り回され、行くことなど想像もしていなかった場所に赴き、各所で人の優しさに触れながら重ねる冒険は、まさにロード・ムーヴィーならではの意外性、驚きがあり、昂揚感と歓喜に富んでいる。従来の作品にもあったユーモアが、本篇ではとりわけ活き活きとしているのもそれゆえだろう。
 もともと新海監督作品における人物造型のリアリティは確かだが、本篇はとりわけ地に足が着いた印象がある。それが、身近な要素で構成された物語に更なる親近感を覚えさせる点も出色だろう。それがクライマックスの象徴するモチーフとも相俟って、観客を惹きこむ力を増している――ただ本篇の場合、ひとによっては苦しささえもたらすリスクも生じているのだが、だからこそ鈴芽の最後の選択は鮮烈に、そして尊く響く力を持ち得た。
 あくまで個人的な好みで言えば、SF的考証での不満や、矢もすると生理的嫌悪を招きかねない要素を含みつつも、圧倒的なドラマ性と音楽の昂揚感を活かし“時代”すらも形成した『君の名は。』をより評価する。しかし本篇には、そこから今日に至るまでの歩み、反響を軽視せずに受け止め、昇華したからこその清々しさがある。多くのスタッフが存分に力を発揮出来ていればこその美しさ、そしてここへ来て、RADWINPSの楽曲を取り込みつつも依存しきらなかった演出の巧みさも生まれ、監督としての成熟も確かに感じさせる。
 恐らく新海監督は今後も期待をかけられる大作を手懸けていくだろうし、やがては更なる名作を生み出すかも知れない。本篇はそんな監督の作品が一般の層に受け入れられるまでのフェーズを総括する作品として捉えるべきだろう。次はまた異なる地平を見せてくれる予感がする。


関連作品:
君の名は。』/『天気の子
罪の声』/『サバイバルファミリー』/『竜とそばかすの姫』/『雨を告げる漂流団地』/『るろうに剣心 最終章 The Final』/『鹿の王 ユナと約束の旅』/『ライフ -いのちをつなぐ物語-
もののけ姫』/『千と千尋の神隠し』/『アラーニェの虫籠』/『神在月のこども』/『フラ・フラダンス』/『グッバイ、ドン・グリーズ!

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