春を待つ谷間で

春を待つ谷間で 『春を待つ谷間で』

S・J・ローザン/直良和美[訳]

S. J. Rozan“Stone Quarry”/translated by Kazumi Naora

判型:文庫判

レーベル:創元推理文庫

版元:東京創元社

発行:2005年8月31日

isbn:4488153070

本体価格:1000円

商品ページ:[bk1amazon]

 マンハッタンで探偵稼業をしている私――ビル・スミスが折に触れ訪れ、静かな休日を過ごしていたニューヨーク北部の田舎町。通常はここで仕事を引き受けることのない私だったが、断りがたい事情から、盗難された絵画を極秘で探す仕事を請け負った。さほど厄介な仕事ではないはずだったが、間もなく行きつけの酒場で他殺死体が発見されたり、盗難事件の容疑者と目された青年と駆け落ちしたらしい郡の有力者の娘を探す話まで持ちかけられたり、様々な出来事が絡んできて、次第に複雑な様相を成してくる……

 マンハッタンを舞台に活躍する中国系女性のリディア・チンと、アイルランド系の中年男性ビル・スミスというふたりの探偵を描いたシリーズの第6作である。1作目『チャイナ・タウン』がリディア、2作目『ピアノ・ソナタ』がスミス、という具合に語り手を交互に入れ替えていくという形式を取っており、本編ではスミスが事件を綴っている。

 全般にやや情感が豊かすぎ、少々事件の流れが突拍子ないことが気に掛かるが、基本は極めてオーソドックスで端整な私立探偵小説の様式に添っており、親しみやすい。ニューヨーク州にありながらマンハッタンとはまったく趣を違え、経済の中心から遠ざけられ過疎化と貧困下が進む地域の悲哀と僅かな希望とを巧みに物語に織り込みながら重厚に描いていく語り口は堂々たるものだ。

 様々な出来事が絡みつき複雑化していく物語だが、肝心の謎解きは少々拍子抜けするほどあっさりとしている。一部意外な顛末はあれど、概ね想像の範囲内なので、驚きを期待すると当てが外れるだろう。だが、前述のとおりに舞台であるニューヨーク州北部の社会情勢を背景として練り込まれた事件と物語との骨格はしっかりしており、幾つもの人物の思惑が混ざり合ったその推移は強い印象を残す。やがて訪れる結末は極めて苦いが、敢えて晩冬という季節を選んで描かれた寒々とした物語は、しかし間近に迫った春の気配と相俟って不思議と爽やかな余韻をも齎す。舞台設定に季節までをも考慮した組み立ての巧みさが秀逸だ。

 如何せん、謎解きとしては少し拍子抜けするような結末なので、複雑な謎解きや斬新な仕掛けを求める向きには納得できないだろうが、しかし繊細な描写と豊潤な余韻とが快い、良質の私立探偵小説であると思う。地味だがそのぶん味わいは深い。

 諸般事情からシリーズ1作目ではなくいきなり最新刊である第6作から読むこととなってしまったが、そのオーソドックスながらも丹念な筆致と、リディアとスミスとの微妙な関係に興味をそそられるので、折を見て旧作にも触れてみたいと思う。併せて、現時点で既に2作発表されているらしいシリーズの続編についても早く訳出されることを願いたい。

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