『ラスト、コーション』

『ラスト、コーション』

原題:“色・戒” / 英題:“Lust, Caution” / 原作:アイリーン・チャン(集英社文庫・刊) / 監督:アン・リー / 脚本:ワン・フィリン、ジェイムズ・シェイマス / 製作:ビル・コン、アン・リー、ジェイムズ・シェイマス / 撮影監督:ロドリゴ・プリエト / 美術&衣裳:パン・ライ / 編集:ティム・スキアーズ / 音楽:アレクサンドル・デプラ / 出演:トニー・レオンタン・ウェイワン・リーホンジョアン・チェン、トゥオ・ツォンホァ、チュウ・チーイン、チン・ガーロウ、ガァオ・インシュアン、クー・ユールン、ジョンソン・イェン / 配給:WISEPOLISY

2007年中国・アメリカ・台湾・香港合作 / 上映時間:2時間38分 / 日本語字幕:松浦美奈 / 翻訳:鈴木真理

2008年02月02日日本公開

公式サイト : http://www.wisepolicy.com/lust_caution/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2008/10/30) ※ユナイテッド・シネマ豊洲オープン2周年記念特別上映



[粗筋]

 始まりは1938年の香港。ワン・チアチー(タン・ウェイ)は日本軍の本土侵攻を逃れて香港に移住してきたが、もともと思想家ではなかった。だが、同じ大学に編入した親友ライ・シュウチン(チュウ・チーイン)がかつて女子演劇部に所属であったことに目をつけたクァン・ユイミン(ワン・リーホン)によって、ライとともに愛国演劇部に入部したことを契機に、初めて愛国思想をまともに植え付けられる。

 その美貌と演技力によって、演劇部の看板女優となったワンだったが、愛国心に燃えるクァンは演劇での啓蒙活動だけでは足りない、と感じるようになった。そんな彼に天啓を齎したのは、幼馴染みツァオ(チェン・ガーロウ)との再会である。ツァオは現在、日本の傀儡政権であるワン・ジンウェイの政府において諜報活動を行っているイー(トニー・レオン)のもとで働いている。その話を聞いたクァンは、ツァオを介してイーと接触し、彼を暗殺することを目論んだ。そして、彼の計画に、演劇部の5名が参加する――その中に、ワンも加わっていた。

 イーは自らが狙われる立場であることを強く自覚しているようで、常に周囲にボディガードを置き、行動も慎重を極めて、近づくのは容易ではない。そこでクァンは、自分の親戚という触れ込みで架空の名士をツァオに紹介する。マイ夫妻という名士に扮したのは、オウヤン・リンフェン(ジョンソン・イェン)と、ワン。

 さながら学生達の、ひと夏の大芝居といった趣で、クァンたちはイーへの接近を試みた。ワンのアドリブによって、“マイ夫人”はイー夫人(ジョアン・チェン)の歓心を得ることに成功、夫人の麻雀仲間として、イー家に頻繁に立ち入ることが可能になった。

 それでも、自宅にさえなかなか長く踏み止まらないイーを誘い出すところまで至らない。だが、イー夫人の頼みで背広の仕立てに赴いたとき、イーはマイ夫人に同行した。彼の言動から、イーがマイ夫人に強く惹きつけられていることを察知したワンは、マイ夫人として彼の愛人になることを決意する。そのために、女性としての経験不足を補うべく、密かに想いを寄せていたクァンではなく、商売女との経験が豊かなリャン・ルンション(クー・ユールン)に身体を許し、その日に備えるのだった。

 だが、学生達の果敢な作戦行動は、思いもかけない形で破綻する――突然イー一家が、香港を引き上げ、本来の拠点である上海に戻ることを決めたのだ……

[感想]

ブロークバック・マウンテン』では同性間の深い情愛を扱ったアン・リー監督だが、続いて製作した本篇もまた、一筋縄ではいかない“愛”を題材としている。

 2時間半という尺は昨今の映画としてとうていシンプルとは言いがたいが、こうした情念のドラマを扱うことに慣れた監督である故か、作中ほとんど弛むことがなく、最初から最後まで目を逸らせない。長い、とは感じるがそれが決して苦痛ではないのだ。

 多くの人物が登場するが、焦点をヒロインであるワンに絞ることによって、その他大勢の名前を記憶する必要がないように仕向け、ワンの感情の機微を丁寧に描くことによって観客の興味を惹き続ける。だからこそ、はじめは必ずしも能動的でなかったワンが抗日運動に傾倒し、最終的に女としての悦びを捨て去るに至る心の流れが重く、そしてその後の経緯に奥行きを感じることが出来る。

 内容が知れ渡った当初、一部から女性蔑視である、といった批判が出ていたが、だが本篇はそもそも愛や性といったものが個人の意志で達成しづらい、むしろこうして描かれているように“道具”扱いされた時代でなければ成立しない物語だ。そこを下手に美化しても意味はないし、本質を損なうだけだろう。決して逃げを打たず、真っ向から描くことで、感情の深淵に分け入った本篇はむしろ、性というものの宿命により忠実であったと見るべきである。

 またこの物語は、人間が畢竟、己の役割を演じているに過ぎない、という真実を過剰にクローズアップすることで成立し、それを印象づけることに特化しており、そもそも当時における女性の立場や境遇などはその一要素に過ぎない。スパイとして名士の妻を演じ、イーの愛人になっていくワンは無論のこと、相手となるイーでさえ、決して明確に描かれてはいないが、親日的な強硬派という役割を意図して演じている節がある。

 それが垣間見えるのはクライマックスの手前、ワンを呼び出した日本料亭でのひと幕だ。最後の展開に繋がるこのシーンで、日本寄りの傀儡政権に加わっているイーは、だがはっきりと日本の凋落が近いことをワンに向かって予言している。恐らく誰に対しても吐かなかったであろう本音をここで口にしたのは、ワンにそれだけ心を許した証拠であると同時に、彼が自らの地位に懐疑的であることをも暗示している。つまりイーでさえ、決して信念から抗日運動の排斥に力を注いでいるのではなく、自らが担わなければいけない責任から、運動家と戦っていることを窺わせるのだ。

 そう考えていくと、なおさらにクライマックスに畳みかけてくる一連のシーンの重み、哀しさがいや増してくる。演技という枠のなかでしかイーと通じ合うことの出来なかったワンが、ようやく口にした偽りのない言葉が、あの短いフレーズだけであるということ。そしてすべてが決着したあとの、虚しいひと幕。派手に描かれていないからこそ、深い余韻を齎す終幕に繋がっている。

 丁寧に吟味されたシナリオの奥行きは、確かなディテールによっても支えられている。海外の映画で描かれる日本像は、日本人の目にはしばしば奇天烈に映りがちだが、本篇の日本描写はおよそ隙がない。決して比重は大きくないものの、そのためにきちんと日本人のスタッフを招き、考証を施していることが窺える。こと、前述の日本料亭でのひと幕など、そこに点綴される日本軍人の姿は、日本の戦争ドラマでさえ満足に描けないこともある、率直な姿を織りこんでおり、唸らされるほどだった。

 話題となった濃厚な性愛描写とて、ワンの心の変遷を理解させるために欠かせない要素であったからこそ盛り込まれている。しかもそれを決して華美に描かない代わりに、ワンとイーの交わる姿に様々なヴァリエーションを取り込むことで、イーの鬱屈した心境をも表現している、と捉えることも出来る。だからこそ、それはワンの使命や覚悟をも超えた最後の台詞に結実していくのである。

 いくら丁寧に紡ぎあげられているとはいえ、やはり2時間を超える尺は長すぎるし、必要であると説いたところで濃密すぎる性愛描写、そしてそこからワンが辿る運命に反感を抱く人も少なくないだろう。それ故に、迂闊に薦めるのは間違いなく危険なのだが――そのことを踏まえても、本篇が優れた映画であることは断言しておきたい。戦争という大いなる悲劇を背景として、ある愛の悲劇を的確に、容赦なく描き出した、稀有な作品である。先日『パンズ・ラビリンス』を観たときにも似たようなことを記したが、リアルタイムで鑑賞することが叶わなかったのが悔やまれ、遅ればせながら劇場で観る機会を得られたことが心から喜ばれる1本であった。

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