『飢餓海峡』

原作:水上勉 / 監督:内田吐夢 / 脚本:鈴木尚之 / 製作:大川博 / 企画:辻野公晴、吉野誠一、矢部恒 / 撮影:仲沢半次郎 / 美術:森幹男 / 照明:川崎保之丞 / 編集:長澤嘉樹 / 録音:内田陽造 / 音楽:冨田勲 / 出演:三國連太郎、左幸子、伴淳三郎、高倉健、加藤嘉、風見章子、進藤幸、加藤忠、志摩栄、外山高士、河合絃司、最上逸馬、安藤三男、曽根秀介、牧野内とみ子、北山達也、山本麟一、大久保正信、矢野昭、西村淳二、遠藤慎子、八名信夫 / 配給&映像ソフト発売元:東映
1964年日本作品 / 上映時間:3時間2分
1964年12月27日日本公開
2013年11月1日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonAmazon Prime Video]
第2回新・午前十時の映画祭(2014/04/05~2015/03/20開催)上映作品
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2015/02/09)

[粗筋]
 昭和22年、北海道は猛烈な台風に襲われた。波濤によって青函連絡船・層雲丸が沈没、多数の死傷者が出た。遺体は順次身許が確認されていったが、何故か2体だけ判明しない。調査に当たっていた函館警察は、岩内町で起きた強盗殺人事件との関連を疑う。
 台風と同日、岩内町の質屋に3人組の強盗が押し入った。強盗たちは一家を惨殺すると火を放ち、折からの暴風によって町全体に燃え広がってしまった。函館警察の弓坂吉太郎刑事(伴淳三郎)は、人相などから強盗犯が直近に網走刑務所を出た男たちであると推測、間もなくそのうち2名が、身許不明の遺体と断定された。弓坂刑事は、残る1名、犬飼多吉(三國連太郎)が犯人であると考えた。恐らく3名は強盗のあと、暴風と沈没事故の救援作業での混乱に紛れて船を出し、犬飼は海上で仲間ふたりを殺害、遺体を海に捨て上陸したのだ。
 警察の推測通り、犬飼はその頃、下北半島にいた。飛び乗った乗合自動車で握り飯を分け与えてくれた娼婦・杉戸八重(左幸子)の勤める妓楼に転がり込む。八重と一夜をともにした犬飼は、貧しさにあえぐ彼女の境遇に同情し、盗み出した金の一部を分け与えて去った。
 八重にとってそれはまさに僥倖だった。親の借金などを片付けたあと、残りには手をつけず、更に金を増やすため、八重は上京する。理想としていたまともな勤めは出来ず、ふたたび妓館で働くこととなったが、それでも八重は犬飼への感謝の念を抱き続けた。
 数年後、政府が規制を強化し、八重の勤める店も商売を畳むことが決まる。しかしその矢先、八重はひとつの新聞記事に目を見張る。舞鶴在住の篤志家が大金を寄付した、という美談だったが、そこに掲載されていたのは、どう見ても犬飼多吉そのひとの写真だった。
 篤志家の名は“樽見京一郎”となっていたが、八重は一縷の望みを託して舞鶴へと赴いた。面会に応じた樽見は他人のそら似と否定しつつも、長年感謝をし続けた八重を賞賛する。だがそのとき、八重は樽見の指に、見覚えのある傷を発見し、確信する。彼こそ間違いなく、犬飼だ、と。
 そして再び事件は起きた。舞鶴の海から、足に重石をぶら下げた男女の遺体が発見される。男は、樽見の家で雇われていた竹中誠一(高須準之助)という男、そして女は八重。一見心中のようだが、担当の味村時雄刑事(高倉健)は偽装と判断、八重が懐にしていた新聞記事から、樽見に注目する――


TOHOシネマズ日本橋、スクリーン1前に掲示された『第2回 新・午前十時の映画祭』案内ポスター。
TOHOシネマズ日本橋、スクリーン1前に掲示された『第2回 新・午前十時の映画祭』案内ポスター。


[感想]
 午前十時の映画祭をきっかけに、古い映画もしばしば観るようになって、モノクロの映像の魅力が次第に理解できてきた気がする。カラーになってしまったら、この雰囲気は生まれない、と感じる作品が少なくないのだ。
 本篇など、その最たるものだろう。序盤、災害について触れながらも中心で動く3名には触れず、その行動から何が起きたのかを仄めかす、焦燥感に満ちた語り口。海峡越えののち、三國連太郎演じる犬飼がもうひとりの主人公とも言うべき左幸子演じる八重と出会う。素肌を晒さないのにその荒々しさが伝わる情交を挟むと、ここから物語は八重中心で語られ、その貧しさと、僅かな光明をもたらしてくれた犬飼に対するひたむきな想いが、戦後の混沌とした社会情勢とともに描かれる。陰影も強いモノクロの画面だからこそ、貧困という軛から逃れようと藻掻くふたりの主人公の息苦しさ、懸命さが強烈に滲み出る。
 八重の退場を境に、物語は警察と犬飼との対決になっていく。謎解き、という側面から見ると、本篇における警察の推理は全般に状況証拠のみで、当時といえどもいささか説得力を欠くように映る。ただ、それ故に終盤、犬飼の告白が興味深い。
 この段階での推理が状況証拠に過ぎないことは、劇中でも犬飼自ら指摘している。しかし本篇はそれこそがポイントと言える。ここで彼は、自身が姿を消すまでの一部始終を告白するが、これもまた逆に証明は難しい。だがそれは警察側の証明もまた同様であるため、追求する側は望み通りの自供を取るしか解決方法はない。犬飼が抗弁を続ける限り、警察は困難な闘いを強いられるのだ。
 その一方で、映画を観る側からしても、この語り口は多面的で厄介なのである。観客は、犬飼が行方をくらましているあいだの八重の流転ぶりを見せつけられ、終戦直後にギリギリで生きていくしかないひとびとの苦しみを垣間見ている。その状態で聞かされる犬飼の告白には充分すぎるほど説得力があるのだ。それでいて、客観的な立場を通す限り、やはり犬飼の告白を鵜呑みにすることも出来ない。回想というかたちで犬飼の遍歴は描かれているが、それでも不明瞭な印象がつきまとう。まさに、海峡を吹き荒れる暴風の如き状況に、冒頭のひと幕が静かに反復されているかのようだ。
 そして、そういう物語だからこそ、本篇の幕引きがしっくり来る。その後、犬飼がどうなったのか、ふた通りに解釈できるだろうが、しかしどちらでも変わりはない。あの結末は、意図的にすべてを無に帰そうとする試みだ。自らを翻弄し、極限まで追い詰め、奪わなくともいい命を奪ってしまった飢えを、その波濤に葬る。
 この重苦しさ、泥臭さ、激しい生命力と裏腹な儚さには、モノクロの画面こそよく似合う。製作されたのは終戦より20年近く経た1964年だが、まだ終戦後の空気を記憶している時代であり、映画の主流がカラーになる前だからこそ生まれ得た傑作だろう。現代の色彩豊かで鮮明な映像でもこの物語世界を表現する方法はあるだろうが、まるで趣が違うものになるはずだ。


関連作品:
死の十字路』/『復讐するは我にあり』/『浮かれ三度笠』/『八甲田山<4Kデジタルリマスター版>』/『三本指の男
天国と地獄』/『散歩する霊柩車』/『砂の器

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