『朱の絶筆 鮎川哲也コレクション 星影龍三シリーズ』
判型:文庫判 レーベル:光文社文庫 版元:光文社 発行:2007年2月20日 isbn:9784334742025 本体価格:800円 |
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鮎川哲也が『幻影城』誌上に連載、加筆の後1979年に単行本として発表した本格推理長篇。
台本作家から身を起こし、精力的な執筆活動により文壇の寵児となった篠崎豪輔は、だがその傲慢な性格から方々で恨みを買っていた。軽井沢に買い取った広大な土地に建てた豪邸は同業者や出版関係者に解放され、シーズンには人が引きも切らず集っていたが、図らずも豪輔に恨みを抱く者たちが集った日、遂に彼は凶手によって斃れることとなる。しかし、殺人はこれ一件に留まらず、僅か一日のうちに豪邸のなかには複数の死体が転がることに。窮した警察は、名探偵として知られる貿易商・星影龍三の出動を要請する…… 『白の恐怖』改稿長篇として謳われた『白樺荘事件』が未完成のままとなったため、結果的に最後の星影龍三長篇となった作品である――が、本編で星影が登場するのは解決篇となる最終一章のみ、あとはひたすら事件の流れが描かれ伏線が鏤められていくだけ、という、名探偵を文字通り超然たる存在として扱っているあたりがいっそ清々しい。 名探偵の活躍を堪能する、という観点からはまったく面白みはないと言えるが、その代わりに狭い舞台と少数の登場人物のなかで繰り広げられる連続殺人と、その解決のために巧妙に鏤められた伏線、そしてそれらがクライマックスで解決に奉仕する、といったミステリ本来の知的な興奮が存分に味わえる仕上がりとなっている。 既に連載というかたちで初めて世に問われてから30年を経過しており、通信事情は無論のこと、文壇を巡る状況も現在とは大幅に隔たっており、その意味での古めかしさや、登場人物のユーモアにズレを感じることも頻繁だが、しかしそれでも根底にあるフェアプレイ精神に歪みはなく、たとえ描かれている人物像や社会背景に馴染めなかったとしても、冷静に読んでいけば解決のための手懸かりを拾い上げられる精緻さには今でも新鮮な驚きがある。第3・第4の殺人あたりのトリックはいささか機械的に過ぎるものの、それ自体が犯人を割り出すための条件にも変容する第1の殺人の仕掛けの鮮やかさなど、まさに“謎解き小説”本来の驚きと興奮を感じさせてくれる。 大傑作『りら荘事件』と比べるとやはり大味な印象は否めないが、著者が長篇において頻繁に扱ったアリバイ崩し主体の作品とは異なった、正統派の犯人当ての興趣が存分に堪能できる良作である。 ちなみに本書には、原型となった短篇も収録されているが、事件の大まかな展開も犯人像も、また細かなユーモアや描写に至るまで一致しているため、長篇読了後に読むと戸惑いを覚える。ほぼ同じだからと言って、長篇にする意味はなかった、と感じさせない丁寧な改稿ぶりを窺い知ることが出来る点では興味深いが、あくまで好事家向けの資料と捉えるべきだろう。小説として楽しみたいのであれば、間隔を置いてから読んだ方が利口かも知れない。 |
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