『呪怨 パンデミック』

原題:“The Grudge 2” / 監督:清水崇 / 脚本:スティーブン・サスコ / 製作:サム・ライミ、ロブ・タパート、一瀬隆重 / 製作総指揮:ジョー・ドレイク、ネイサン・カヘイン、ロイ・リー、ダグ・デヴィッドソン / 撮影監督:柳島克己 / 美術:斎藤岩男 / 編集:ジェフ・ベタンコート / 音楽:クリストファー・ヤング / 日本版主題歌:宇野実彩子『End of This Way』(avex trax) / 出演:アンバー・タンブリン、アリエル・ケベル、ジェニファー・ビールスエディソン・チャン宇野実彩子、クリストファー・カズンス、テレサ・パルマー、マシュー・ナイト、サラ・ローマーサラ・ミシェル・ゲラー石橋凌、藤貴子、松山鷹志、田中碧海、尾関優哉 / ゴースト・ハウス・ピクチャーズ製作 / 配給:XANADEUX×avex entertainment

2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:関美冬

2007年08月11日日本公開

公式サイト : http://www.ju-on.jp/

新宿グランドにて初見(2007/08/11)



[粗筋]

 東京にあるインターナショナル・スクール編入したアリソン(アリエル・ケベル)は、親しくなったヴァネッサ(テレサ・パルマー)にミユキ(宇野実彩子)に誘われ、いま日本で話題になっているという“心霊スポット”に連れて行かれる。留学中の女性が放火したために黒こげとなったその家に、不本意ながら入っていったアリソンは、いたずらで押入に閉じこめられ、そこで異様なものを目撃した。アリソンの悲鳴に、初めて洒落にならないことを悟ったヴァネッサとミユキも、脱兎の如く逃走する。だが、このときから三人の身に異様な出来事が続発する……

 他方、シカゴで暮らしていたオーブリー(アンバー・タンブリン)は、姉のカレン(サラ・ミシェル・ゲラー)が東京で事件を起こし、心を病んで入院していると知らされる。不和からカレンとは疎遠になっていたオーブリーは、気が進まないながらも母にねちねちと懇願されて、姉を連れ戻すために東京に赴く。姿を見せると、カレンは想像していた以上にオーブリーを歓迎し、ここから出して欲しい、自分でなければ“あれ”を止められない、と訴える。困り果てた彼女に、ライターとしてカレンの関わった事件を調べているイーソン(エディソン・チャン)が接近するが、オーブリーははねつけて病院を立ち去ろうとする。そんな彼女の目前で、屋上から重いものが落ちてきた。それはついさっきまでオーブリーと話していたはずの、姉……

 そしてふたたび、シカゴ。ジェイク(マシュー・ナイト)は父親ビル(クリストファー・カズンス)の若い再婚相手トリッシュ(ジェニファー・ビールス)となかなか馴染めずにいた。姉のレイシー(サラ・ローマー)がはやばやと仲良しになってしまったため、軽く疎外感を味わっていたジェイクはある日、暮らすアパートに奇妙な人物がやってきたのを眼にする。やけに暗い雰囲気のその人物は、夜中に奇妙な物音を立てたり、窓を新聞紙で塞いだりと奇妙な行動を繰り返す。やがて異変は、穏やかだったジェイクの家にも伝播していく……

[感想]

 ビデオオリジナル作品として制作された2本に始まり、劇場版という形で続編『呪怨』『呪怨2』が制作され、それらがハリウッド屈指のヒット・メーカーとなったサム・ライミの目に留まったことで、一部の設定を改変しつつスピリットを踏襲したセルフ・リメイク『THE JUON―呪怨―』にまで発展した。このリメイク作品の大ヒットを受けて、ふたたびハリウッド資本によって制作された最新作が本編である。

 前作『THE JUON―呪怨―』はまだ主人公と関係者をアメリカ人にしたのみ、基本的には予算と技術を向上させただけの印象が色濃かったが、本編はビデオ版や日本の劇場版で登場しながら使われなかった要素を拾い上げつつ、更に大きく発展させることに成功している。旧作からの観客であれば、冒頭で描かれる食卓の風景に、恐怖よりも先に膝を打つに違いない。

 ホラーとしては意外な種類の衝撃を冒頭に置くという技術的な意味合いも濃いワンシーンだが、しかし昔からの観客に対しては、既に怪異の領域がアメリカにまで伝播していることを示す役割も果たしている。また、前作では利用されなかったが、日本ではビデオ版から連綿と受け継がれてきた、時系列を前後させることでサプライズや恐怖の質を操作する技を踏襲したことをこの時点で告げている。

 海外で初めてこのテクニックに触れる人には意外な、しかし日本で旧作から触れてきた観客にとっては嬉しいこの技の踏襲を示すことで、観る相手によって違った感興を呼び起こす、という趣向と捉えられるこの表現が仄めかすように、本編では全般に、監督の演出方法が洗練されている。これまでは恐怖の様式を新たに定義することで独自のムードを構築してきたが、本編では前作までに提示した予兆や表現を反復することで、悪夢や恐怖の到来を観客に予見させる、というタイプの見せ方に移行している。有り体のやり方のように見えるが、それだけ表現が浸透していなければ通用しないし、見越した上でないと巧く利用することは出来ない。すべてが奏功しているわけではないし、笑いにシフトしすぎている箇所もあちこちにあるが、もともと恐怖と笑いは紙一重であることはスタッフも自覚しているのだろう、そこに躊躇がなく、きっちりと自信を持って繰り出しているのが解る。監督のみならず、製作者も含めて長年ホラーに携わっているからこそ可能なスタイルに昇華されているのである。

 ただ、何もかも巧く行っているわけではない。こうした凝った手法はマニアやよほど丁寧に鑑賞する人、また勘のいい人でないと解りづらいし、また逆に初心者に配慮したと思しい要素が少し過剰に感じられることも指摘しておかねばならないだろう。こと終盤に登場する老婆と、彼女の語る事実はあまりに説明的で、いささか興醒めの感がある。翻って、こうして説明しているからこそ、初心者にも伝わりやすいホラー映画としての完成度を高めていると言えるのだが。

 いずれにせよ、怖いと感じるか否かは別にしても、ホラー映画として表現を洗練させた、間違いなく前作よりも良質の仕上がりである。今回の成り行きにより、今後は無理に日本を舞台にする必要性がなくなる分、文字通り“爆発感染(パンデミック)”が始まると思わせ、次回以降に期待を持たせる。実際に作られるかどうかは別として、そうしたところまで含めて貫禄を感じさせる1本であった。

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