原題:“Che: Part two” / 監督:スティーヴン・ソダーバーグ / 脚本:ピーター・バックマン / 製作:ローラ・ビックフォード、ベニチオ・デル・トロ / 製作総指揮:フレデリック・W・ブロスト、アルバロ・アウグスティン、アルバロ・ロンゴリア、ベレン・アティエンサ、グレゴリー・ジェイコブス / 撮影監督:ピーター・アンドリュース / プロダクション・エグゼクティヴ:アンチョン・ゴメス / 編集:パブロ・スマラーガ / 衣装デザイン:サビーヌ・デグレ / 音楽:アルベルト・イグレシアス / 出演:ベニチオ・デル・トロ、カルロス・バルデム、デミアン・ビチル、アキム・デ・アルメイダ、エルビラ・ミンゲス、フランカ・ポテンテ、カタリナ・サンディノ・モレノ、ロドリゴ・サントロ、ルー・ダイアモンド・フィリップス、マット・デイモン / 配給:GAGA Communications×日活
2008年アメリカ・フランス・スペイン作品 / 上映時間:2時間13分 / 日本語字幕:石田泰子
2009年01月31日日本公開
公式サイト : http://che.gyao.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2009/01/31)
[粗筋]
1959年1月のキューバ革命から6年、キューバ共産党が発足する記念すべき日に、革命の功労者であったエルネスト・“チェ”・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)の姿はなかった。長期にわたる不在に疑問の声が相次ぎ、革命の中心人物であるフィデル・カストロ(デミアン・ビチル)は遂に世界に向けて説明を行う羽目に陥る。彼が公の場で読み上げたのは、1965年3月、サトウキビ農場の視察に赴いたまま行方をくらましたチェが、カストロに宛てて残した手紙であった。そこには、チェがキューバにおける全権を放棄するとともに、中南米の別の国で活動を行うことが示唆されていた。
1966年、チェはラモンの偽名を携えて、密かにキューバに再入国する。カストロ、そしてキューバでの家族と最後のひとときを過ごしたのち、彼は米州機構の特使と偽って、ボリビアに入国する。当時、軍事政権によって貧困に喘いでいた農民の協力を受けながら、新たな革命を起こすことを彼は目論んでいたのである。
キューバ革命で見せた鮮烈な存在感のためにチェの名前は世界に轟いており、準備期間のうちに集められたゲリラの戦士達は、自分たちの指揮者がチェであることを知って興奮を顕わにする。
しかし、ボリビアでの活動は早くから破綻を来した。現地での資金協力を得られるはずだったボリビア共産党が突如及び腰になり、約束を撤回したのである。結果として解放闘争軍は移動ルートの確保、物資の調達を自前で行わなければならなくなった。
加えてチェ達を苦しめたのは、彼らが救済するはずであった農民達の反応の悪さである。現在の軍事政権がかつて行った農地改革に未だ恩義を覚えているために、革命の必要性を感じず、チェ達の説得にも要領を得ない表情を浮かべるばかりだった。そして、なけなしの資金を注ぎ込んで食糧を調達した農民達は、遅れてやって来た軍に脅され、あっさりとゲリラの情報を引き渡してしまう。
そしてボリビアのジャングルは草深いわりに高低差が激しく、いったん開けた土地に出ると簡単に所在を悟られてしまい、移動が非常に難しい。それらのことが、チェの必死の鼓舞も虚しく、ゲリラの士気を低下させ、彼らを追い込んでいった……
[感想]
キューバ解放闘争に勝利するまでを描いた『チェ 28歳の革命』に対し、本篇はチェ・ゲバラがキューバ共産党結党直前にキューバを去った事実をカストロが公表する場面から始まり、渓谷で捕縛、イゲラ村で処刑されるまでを描いている。
いわば失敗に至るまでの過程を描いた作品だから、と意識しているわけではないだろうが、本篇は序盤から『28歳の革命』と異なった雰囲気を醸し出している。いちどカストロや家族と面会するために、頭を剃り残った髪を白と黒のまだらに染め、眼鏡をかけた変装で現れる姿からして衝撃的だが、ほとんど初っぱなから計画が頓挫しているのに驚かされる。
チェ・ゲバラの名前は世界的に轟いているが、しかしいったんゲリラに身を投じた彼にとって、名声は意味を為していない。ボリビア共産党は武闘路線に対する拒絶反応や内部の思惑から物的支援の約束を反故にするが、その言い訳にゲリラの指導者が外国人であることを挙げる。最初の奇襲で軍の兵士はあっさり降伏するが、これが解放戦線であることを訴えて参加を求めても残る者はない。物資はおろか人材の補給もままならず、急速にチェのゲリラ軍は孤立を深めていく。『28歳の革命』と続けて鑑賞すると、そのあまりに対照的な成り行きに、観る側は早いうちから失敗を確信してしまうほどだ。
精神面はさておき、構成の巧さがここで光っている。現実にチェ自身がインタビューを受けることがあり、本人の言葉をそのままナレーションとして引用することが可能だった『28歳の革命』に対し、捕縛後すぐに処刑されたため本人の言葉がほとんど残っていない本篇は、事情であったり本人の心情についてまったく説明がない。そのために、普通なら何故失敗したのか、チェにどんな変化があったのかすぐに理解するのは難しくなりそうなものだが、まるで対比するように綴っていることで、きちんと『28歳の革命』を観てきた者ならば原因を察知することが出来る。ストイックな表現だが、その語り口は職人芸的で、最低限の娯楽性を維持しているのが、さすがスティーヴン・ソダーバーグ監督、といったところである。
ソダーバーグ監督らしさはカメラワークの上でも健在で、ことクライマックス近く、ゲリラ軍を追い詰めるボリビア軍の圧倒的な兵力を見せる場面の見せ方は実に秀逸だ。監視する側から、丘の上に兵士らしき人影がどんどん増えていく様を撮した場面、そしてラスト、カメラをゆっくりと振り、山野をゲリラの痕跡を求めて動き回る大量の兵士の姿を捉えた場面など、凄まじいまでの迫力があり、ゲリラの窮地を決定的に印象づける。
しかし、そうして破滅へ向かって突き進む姿を浮き彫りにしながらも、チェ・ゲバラという人物の意志の強さだけは『28歳の革命』と変わらず克明に描き出されている。緻密なリサーチに基づき、ほぼ虚構を採り入れることなく撮影したということだが、恐らく最後、処刑直前の言動は必ずしも正確に記録され、証言が取れたわけではないだろう。だが、その最後の1日における言葉が如何にもチェらしく、勝利か、或いは死、と覚悟を決めていた男の潔さと、同時にそういう状況にあっても最後まで革命への意思を窺わせる、生への執着とはまた次元の異なる執念を感じさせる。丹念にチェという人物の姿を追い、それを自分なりに解釈し消化しきったベニチオ・デル・トロならではの気迫の籠もった演技が、作品に横溢している。
チェ・ゲバラという男の生き様がストイックなら、本篇を製作した人々の姿勢もストイックであり、職人的な語り口の巧さでギリギリ娯楽性を保ちながらも、やはり観終わったあとで愉しかった、とは言いがたい作品に仕上がっている。ことエンドロールにおける趣向はいっそう気持ちを滅入らせるものだ。だが、そうして意志を貫きとおした男の人生の重みをきっちり刻みこんだ力作であり、間違いなく一見の価値はある。そして『28歳の革命』と併せて、時間をおいて観るほどに味わいを深める、掛け値無しの傑作である。
ベニチオ・デル・トロという俳優に惚れ込み、何年も前に本篇の製作の噂を聞いてから心待ちにしていたが、待った甲斐があった。今後もいい作品に出演してくれることを疑っていないが、間違いなく本篇は『トラフィック』などと並ぶ、彼の代表作になるだろう。
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