『モールス』

『モールス』

原題:“Let Me In” / 原作&オリジナル脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト(ハヤカワ文庫NV刊) / 監督&脚本:マット・リーヴス / 製作:サイモン・オークス、アレックス・ブルナー、ガイ・イースト、トビン・アームプラスト、ドナ・ジグリオッティ、ジョン・ノードリング、カール・モリンデル / 製作総指揮:ナイジェル・シンクレア、ジョン・プタク、フィリップ・エルウェイ、フレドリク・マルンベリ / 撮影監督:グレッグ・フレイザー / プロダクション・デザイナー:フォード・ホイーラー / 編集:スタン・サルファス / 衣装:メリッサ・ブルーニング / 音楽:マイケル・ジアッチーノ / 音楽監修:リズ・ギャラチャー / 出演:コディ・スミット=マクフィー、クロエ・グレース・モレッツイライアス・コティーズリチャード・ジェンキンス、カーラ・ブオノ、サーシャ・パレス、ディラン・ケニン、クリス・ブラウニング、リッチー・コスター、ディラン・ミネット / ハマー・フィルム製作 / 配給:Asmik Ace

2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間56分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15+

2011年8月5日日本公開

公式サイト : http://morse-movie.com/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/08/05)



[粗筋]

 1983年3月、アメリカ、ニューメキシコ州ロス・アラモス。

 雪に覆われたこの田舎町で、離婚調停中の母(カーラ・ブオノ)とふたり暮らしをしているオーウェン(コディ・スミット=マクフィー)の隣室に、新しい住人が入居した。窓から引っ越しの風景を目撃したオーウェンは、その家の娘と思しい少女(クロエ・グレース・モレッツ)が、雪の上を裸足で歩いているのに目を惹かれる。

 初めて言葉を交わしたときも、少女は裸足だった。学校でいじめられているオーウェンが、中庭で彼らに復讐する様を思い描きながら樹にナイフを突き立てていると、少女はふらりが現れる。自分に興味を示すオーウェンに、少女は「友だちにはなれない」と予め釘を刺して立ち去るのだった。

 だが、ふたたび中庭のジャングルジムで出会ったとき、少女はオーウェンが手にしていたルービックキューブに関心を示す。オーウェンがそれを快く貸すと、少女は初めて“アビー”と名乗った。翌る日、ジャングルジムの椅子の上に、6面すべて綺麗に色を揃えたキューブが置いてあった。

 学校にも家にも居場所のないオーウェンは、謎めいた少女・アビーに少しずつ心惹かれていく。それ故に、ときおり隣家から響き渡る異様な物音と、彼女の父親らしき男(リチャード・ジェンキンス)の不気味な行動が気にかかっていた……

[感想]

 スウェーデンで製作され、世界的に高い評価を得たホラー作品『ぼくのエリ 200歳の少女』の、ハリウッド・リメイクである。

 ハリウッドでのリメイクは、大枠のアイディアを残して、あとはアメリカを舞台に作り直してしまうために、時としてオリジナルの魅力であった雰囲気、精神性を損なってしまうことがある。韓国の名作『箪笥』をリメイクした『ゲスト』などがそのいい例で、仕掛けがよく出来ているので面白いことは面白いが、しかしオリジナルを知っていると無意味に感じられる。他方で、オリジナルのスタッフも招いて、ほぼ同じストーリーにした『REC:レック/ザ・クアランティン』のような例もあり、こちらは出来映えは優秀だったが、あまりにも一緒であるためにやはり微妙な印象も禁じ得なかった。

 本篇はどちらかと言えば『〜クアランティン』と同じ、ほぼオリジナルと同じストーリーを、アメリカの小さな街に舞台を移して作り直したものだ。ただ、『〜クアランティン』と比べると、本篇はオリジナルを超えた、という印象を受ける。

 端的に言えば、映像的にも、演技的にも、編集の上でも本篇はオリジナルより洗練されているのだ。プロローグに物語中盤の出来事を置き、何かが起きようとしている、という不穏な気配をたたえた状態で本筋に入るという構成。主人公の視点や感覚を巧みに伝え、またホラー的な気配の表現に優れた構成も、オリジナルの意図をよく汲み取った上で研ぎ澄ませている感がある。

 何より、オリジナルはホラー映画の一要素の、忘れられがちな特質に改めて着目することで、優秀なホラー映画として成立させたが、本篇はそれに加え、主人公オーウェンと鍵を握る人物アビーの心情を丁寧に描くことで、彼らが抱える孤独、哀しみを雪景色と重ね、清澄な美しさを物語に沿えることに成功しているのだ。

 オリジナルもこのメイン2人の役者は達者だったが、個性的な面立ちながら、繊細さをたたえた表情が印象に残るコディ・スミット=マクフィーと、『キック・アス』で日本においても一躍注目を集める若き名女優クロエ・グレース・モレッツの心の交流の可憐さ、切なさは特筆に値する。初めて惹かれた“異性”の歓心を得、人並みの交際をしてみたいと感じているオーウェンの微笑ましい振る舞いに、恐る恐る寄り添っていくアビー。特に彼女が終盤で及ぶ行動は、オリジナルと同じではあるが、寂しげな笑顔の魅力と相俟って、いっそう切なさがこみあげる。優秀な役者にツボを押さえた表現が、オリジナルにもあった良さを更に引き立てている。このあたりだけでも、本篇はリメイクとして充分すぎるほどに仕事を果たしている。

 しかし本篇の美点はそこに留まらない。オリジナルでも意味の大きかった要素を、細かな描写で緻密に掘り下げているのだ。

 観終わってだいぶ経ってから気づいたことだが、実はプロローグにもちょっとした仕掛けがある。火傷を負って病院に担ぎ込まれた人物が、刑事や看護師たちの目を離している隙に、書き置きを残して窓から身を投じる。このとき記した書き置きが大写しになるのだが、実はこの文章、スペルが間違っているのだ。瀕死の重傷を負っているが故に間違えた、と捉えることも出来るが、あとで明かされるこの人物の素性を考えると、深読みしたくなる描写である。或いはこのあたり、オリジナルにもあった要素なのかも知れないが、如何せんスウェーデンの言葉は国際的に見ても読める人は決して多くないはずで、英語にすることで伝わりやすくなったのは間違いないだろう。

 この人物については他にも描写が増えたことで、物語にある種の“予感”を齎し、その哀しみや孤独を膨らませる効果を上げている。より原作に忠実だったオリジナルでは、この人物についてのグロテスクな一面を匂わせることで、ホラー的な効果を高めていたが、同じ人物をほんの少しひねって用いることで、感情を揺さぶる方向へと活かしているのが巧妙だ。

 こう書いていくと、ホラー映画としては後退したような印象を与えるかも知れないが、そんなことはない。要所要所での緊張感、気配の醸成も巧みで、その意味でもより洗練されている。

 映画を作る上ではオリジナリティがすべてだ、と信じて疑わないような人には、一部の解釈を除いてまったく原典を踏襲している本篇に価値を見いだせないだろう。だが、その良さを認め、深化させる形で改良を施しているのは確かで、間違いなくその点は評価されるべきだ。そして、オリジナルを知らない人にとって本篇は、いちど観て忘れがたい余韻を齎し、噛むほどに味わいの広がる、上質の作品に仕上がっている。

 恐らく人によって、本篇を観終わったときの印象は異なるはずである。主人公たちのひたむきな決意に純粋に打たれた人には、醜くも可憐な純愛映画に思えるだろうが、幾つかの要素に着眼すると、遥か先に苦いものを感じさせる恐怖映画に思える。いずれにせよ、そんな奥行きのあるホラー映画など、滅多にあるものではない。

関連作品:

ぼくのエリ 200歳の少女

裏切り者

クローバーフィールド/HAKAISHA

キック・アス

扉をたたく人

SUPER8/スーパーエイト

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