『ノウイング』

『ノウイング』

原題:“Knowing” / 監督:アレックス・プロヤス / 原案:ライン・ダグラス・ピアソン / 脚本:ライン・ダグラス・ピアソン、ジュリエット・スノウドン、スタイルズ・ホワイト / 製作:アレックス・プロヤス、トッド・ブラック、ジェイソン・ブルメンタル、スティーヴ・ティッシュ / 製作総指揮:スティーヴン・ジョーンズ、トファー・ダウ、ノーム・ゴライトリー、デヴィッド・ブルームフィールド / 共同製作総指揮:アーロン・カプラン、ショーン・ペローネ / 撮影監督:サイモン・ダガン,A.C.S. / プロダクション・デザイナー:スティーヴン・ジョーンズ=エヴァンス / 編集:リチャード・リーロイド / 衣装:テリー・ライアン / 音楽:マルコ・ベルトラミ / 出演:ニコラス・ケイジローズ・バーン、チャンドラー・カンタベリー、ララ・ロビンソン、ベン・メンデルソーン、ナディア・タウンゼント、D・G・マロニー、アラン・ホップグッド、ダニエル・カーター、アレセア・マクグレース / エスケープ・アーティスツ製作 / 配給:東宝東和

2009年アメリカ作品 / 上映時間:2時間2分 / 日本語字幕:林完治

2009年7月10日日本公開

公式サイト : http://knowing.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2009/07/10)



[粗筋]

 1959年、マサチューセッツ州にあるウィリアム・ドーズ小学校の創立記念祭で、タイムカプセルを埋める企画が選ばれた。50年後の未来に掘り出されるその中に、今の生徒たちが思い描いた未来像をイラストにして収める、という趣旨だったが、ミス・テイラー(ダニエル・カーター)のクラスの少女ルシンダ・エンブリー(ララ・ロビンソン)だけは何故か画用紙いっぱいに謎めいた数字を羅列していた。時間もなかったため、テイラーは途中でやめさせて、そのままタイムカプセルに収める……

 ……時は流れ、2009年。

 ウィリアム・ドーズ小学校のタイムカプセルの封印が解かれた50年目の創立記念祭で、ルシンダの封筒を開いたのは、ケイレブ・ケストラー(チャンドラー・カンタベリー)という少年であった。本当は学校に戻さなければいけない封筒だったが、ケイレブはその数字の羅列に意味があることを直感して家に持ち帰る。

 ケイレブの父で、MITで宇宙物理学を教えるジョン・ケストラー(ニコラス・ケイジ)は息子の鞄に見つけたそれを、あとで自分が帰しに行くつもりで取り上げた。だが、亡き妻の想い出に浸りながらニュース番組を眺めているとき、ふとその数字のなかに既視感を覚え、インターネットで調べ始める。

 やがて彼の手は止まらなくなった――何故なら、画用紙に羅列された数字には、タイムカプセルが埋められた直後から現在に至るまで、世界各地で発生した大規模な災害の西暦による日にちと、犠牲者の数とが的確に記されていたのだ。日付と人数とのあいだに謎の数列があったが、あまりに正確な“預言”にジョンは驚愕し、そして戦慄する。

“預言”された数字のなかには、まだ訪れていない日にちも含まれていた。そのいちばん近い日付は、まさに明日。犠牲者の数は、81人。

 数字の“預言”は本物なのか。そしてその意図するものはいったい何なのか……?

[感想]

 多くの予算を投入する価値があり、映像的に派手な見せ場を多く組み込めることからだろう、ハリウッドでは頻繁に“ディザスター・ムービー”が製作される傾向がある。

 だがこのジャンル、本来は決して扱いやすいものではない。災害の規模に応じて多くの視点を導入すると話が散漫になって焦点を欠いた作品になりがちだし、ひとりだけを中心人物として採り上げると、結果としてあり得ないような英雄譚になってしまうか、個人の無力さだけが際立つことになる。話題性の大きさのわりにはあまり評価が芳しいものにならないのも、そうしたジレンマに起因しているのかも知れない。

 主題の描き方の巧拙、という意味では、本篇はかなり成功した部類だろう。視点はほぼ大学教授ジョン・ケストラーに一本化されているが、彼を闇雲に英雄にすることもなく、かといって無力感、失望を前面に押し出すこともしていない。何故か、について本気で語ると終盤の展開を割ってしまいかねないので詳述は省くが、“預言”という題材が効果的に機能している、ということだけは申し上げておこう。

 こういう、正体不明のメッセージを取り扱った映画は、よほど慎重に作らないと失敗に終わるか、真剣に読み解かないと納得が出来ず正当に評価されない事態に陥りがちだ。本篇の場合は、“預言”が提示された理由がかなり明確に存在しており、納得もしやすい。それが結果的にジョンや、のちに登場するルシンダの娘・ダイアナらを振り回してしまう原因もはっきりしている。その経緯は悲劇的だが、本篇を同じように大災害を扱った映画と一線を画した作品に仕立てることにも貢献している。

 中盤あたりまでの基本的な筋回しは、“預言”にまつわる事実を紐解いていく、ミステリ的な様式に添っているが、一方で主人公の家族構成と微妙な関係性とを巧みに織りこんでいく。これらが終盤に差しかかって、やもすると理不尽と感じられそうな壮絶なドラマに1本の芯と、救いとを作りだしている。一歩間違えば情緒過多になってしまいかねないところを抑制している匙加減も巧い。

 そして、ここは少々特異な見方かも知れないが、様々な“予兆”を描く手管が心なしか“怪談”の風格があるのも、個人的には好感を抱いた。冒頭、“預言”を残すことになる少女の行動の異様さ、現代篇にて少しずつ絡んでくる“囁く人”の接触の仕方など、場面を切り取ると“怪談”として成り立ちそうな薄気味の悪さがいい。現実の歪み、常識を逸脱した人々との接触を描いた傑作に『プロフェシー』という映画があるが、あそこまでではないものの、非常にクオリティが高い。少々劣った印象を受けるのにもはっきりとした理由があるのだが、ネタばらしになってしまうし、余計に個人的な嗜好が絡んでくるので、これ以上深くは語らないことにする。

“預言”の内容が内容であるだけに、随所で登場する大災害の表現も肝心だが、その点でも不足はない。予告篇でも用いられている飛行機墜落のシーン自体が強烈であるが、あのあと主人公が救出に走り、目撃する地獄図絵は更に激しいインパクトを齎す。ドキュメンタリーめいて震えるカメラが追う凄惨な現状は、圧倒的な臨場感だ。地下鉄事故の現場においても、事故そのもの以上に直後の混沌とした状況の描写が巧みで、単なる映像のインパクトだけで終わらせていないあたりが出色だ。

 と、私はかなり肯定的に捉えた本篇だが、少々残念に思うのは、終盤で示される超現実的なモチーフのデザインである。それまでの流れと比較するといささか空想的、ユートピア的に過ぎて、遊離してしまったような印象を受ける。もう少しそれまでの展開に配慮してイメージを構築するべきではなかったか――ただ、このあたりの匙加減は多分に観る側、製作者それぞれの個性に左右されることなので、一概に否定できるものでもないのだが。

 いずれにせよ、予告篇などから想像していたよりもずっと誠実かつ端整、迫力も備え、ドラマとしてもきっちりと構築された、優秀な“大作映画”である。大作でも大味なものは好ましくない、またシリーズ物はあまり好まないというのであれば、チェックしておいていい1本だろう。

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